来訪の報告
エキドナは船の旅を経て、王国に到着していた。
現在は、王城の客間にて待機している。
その間、王とヨース夫妻、そしてラストルグエフ夫妻による説明をしている最中だ。
二組の夫妻と一緒に、王へ謁見したのだが、知らぬ女を連れて帰国した夫妻を見て頭を痛めていた。そして謁見してきたのが、勇者一行でなかったことも、頭痛の原因だ。
それは、勇者が死亡したことを知らせるには十分すぎることだった。
王は「夫妻とだけ、まず話させてくれ……。いや、話させて頂けますでしょうか」と申し出をした。優しいエキドナが断るはずもなく、彼女はそのまま客間に通されたのだ。
「アリス様、おまたせ致しました……。只今、パルドウィン王国へ……到着致しました、致しました……」
待機している間、彼女は言われた通り、アリスに通信魔術を飛ばしていた。
国に来てからはすぐに城へと向かい、時間が取れなかった。やっと連絡が取れる時間を貰えたのだ。
『おぉー、お疲れ様。船旅はどうだった?』
「とても興味深いもので御座いました……。貴重な経験をさせていただき、感謝いたします……」
『よかった、よかった。あ、そうだ。お願いしたいことがあったんだ』
「なんなりと……」
エキドナはチラリと扉を見る。いまだ、音すら聞こえない。
まだ話し合いは続いているようで、客間に誰かがやってくる雰囲気はない。もっとも、夫妻どころか使用人すら寄り付いていない。
この中にいる美しい女性が、あの魔王の手先であると知れば、メイドや執事ですら入るのを拒むだろう。客人をもてなさねばならないといえども、死にたくないのだ。
エキドナもエキドナで、変にもてなされたところで対応に困る。
彼女は人間の形を取っているが、こう見えても蛇なのだ。人の食事を持ってこられても、アリスのように食べることは出来ない。
『リーベが、パルドウィンに行きたがっててね』
「それでしたら……。お部屋の用意など……致しますわ、致しますわ……」
『あー、ううん。それはいいの。それらはパルドウィンの人間に任せてみて』
「……危険が生じるような……、あっ、いえ。その……すみません……口を挟んでしまい……」
エキドナはあれから、よく意見するようになった。
普段の幹部との話し合いを考えるとあまり変わりないが、こうして一対一のときは、己の考えを言うことが増えた。
アリスとしてもそれはいいことだ。彼女はまだまだ未熟な身。小さなことでも意見をもらえるのは、嬉しいことだった。
しかしエキドナの意見が少し、保守的――というより、人間を守る側に偏っているのは、少々頂けないことだが。
『いいんだ。あえて危険にさせる』
「え……?」
『どうせパルドウィンの貴族やお偉方は、私達を疑って、陥れようとする。今のうちに躾けよう。リーベはその囮さ』
「それは……」
エキドナは言い淀んだ。なんと返答して良いのか、分からなかった。
アリスもそれを承知していた。異常なほど優しい彼女は、アリスのしようとしていることに猛反対するだろう。
幼く未来のある子供に、トラウマを植え付けるが如く、命を危険に晒す。それはエキドナにとって、許しがたいこと。
アリスから長時間離れただけでも、リーベは命の危険がある。食事の方法が彼女からの魔力供給のみとなっている以上、リーベにとってアリスは必要不可欠だ。
それだというのに、アリスはそんな子供をデコイにしようというのだ。
『エキドナの言いたいことは分かるよ。私が殺せって言ったラストルグエフ夫婦を、生かしたいって言ってたくらいだし』
「……申し訳御座いません……」
『別にいいけどね。エンプティとかの前では、言わないほうがいいよ』
「はい……」
〝人の心〟が微かに残るアリスは、エキドナの言い分も分からなくはない。だからこうして、許容することが可能なのだ。
しかし幹部は、そうはいかない。特に、人間や低レベルの存在に、過剰なまでに嫌悪を示している者達には。
エンプティやパラケルススなどは、エキドナの考えを強く否定するだろう。そして反逆だと、エキドナを罰するかもしれない。
アリスだって、愛する子供達が傷つけ合うのは見たくない。
作った〝性格〟上、軽い口喧嘩をしてしまうのは微笑ましいが、アリスのために命を奪おうとする場面なんて、あってほしくないのだ。
『それに別に、今回は殺すわけじゃない。私だってリーベが欲しくて、ユリアナから奪ったんだもん。早々に壊すなんて、もったいないよ』
「えぇ……そうですわ……」
『とりあえずエキドナは貴族達に、リーベを歓迎する手筈を整えるよう伝えて。視察とか言って城を出てくれる?』
「承知致しました……」
『そっちにベルを送って、リーベの監視をさせるよ。死なないようにね』
「……! 畏まりました……」
ぶつり、と通信が切れる。
エキドナはほぅ、と息を吐いた。その表情は暗いものではなく、薄っすらと微笑んでいる。
――アリスは優しい。
そう、彼女は思っていた。
アリスがやることは誰がどう見ても、非人道的であり、残虐性を帯びているものだ。養子とは言え、己の子供を囮にして、国の裏面を暴こうとしている。
だがアリスが、リーベを死なせないように裏で計らうと知った。それだけで、エキドナにとってアリスは〝優しい創造主〟に変わってしまう。
エキドナがどれだけ人間に優しくなろうとも、根底では彼女には怪物としての思考が染み付いているということ。
エキドナがその残酷な事実を理解できるのは、一体いつになるのだろうか。
◇◆
「い、今……なんと?」
「あぁ……申し訳ありません、申し訳ありません……。聞こえませんでしたでしょうか……。リーベ様が、この国へ来訪されます……」
聞き間違いかと思っていたが、エキドナが再び説明すればその場はざわつき始める。
リーベ。その名前に、聞き覚えはある。
戦争が終わってまだまだ時間も経っていない。国は忙しく、だが変わらず回っている。
新しい政治形態に、受け入れられていない貴族達だったが、新たな主人であるアリスの周りの者については、把握し始めていた。
というよりかは、それらを把握しなければ知らぬうちに首が飛ぶ――その名の通り、胴と頭が分断されるという意味で――ので、必死になって頭に叩き込んだのだ。
故に、リーベという名前には聞き覚えがあった。
アリスの養子であり、亡くなった勇者・オリヴァーとその恋人、ユリアナの一人息子である。まだ彼らが恋人同士だったのは、卒業を控えた学生だったから。
魔王戦争よりも前に、南に位置するジョルネイダ公国との戦争があった。それを前にして、ユリアナはオリヴァーとの思い出のために、体を重ねた。
そこで生まれたのが、リーベである。
「は、はあ……。では、迎える準備を整えます」
「お願い致します……。わたくしは国内の視察に参りますので……送迎や宿泊などの手筈は全てそちらに……お任せします、お任せします……」
「……かしこまりました」
貴族らはエキドナから命令を賜ると、頭を下げてから部屋をあとにした。
この貴族達のなかに、ヨース夫妻はいない。もちろん、ラストルグエフも。彼らがいれば、貴族達は〝自由に〟計画を練れないだろう。
それになんといっても、隷属契約を結んだ身。
リーベが危険に晒されるとなれば、否が応でも守ろうと動く。そうなれば、アリスの計画が崩れてしまう。
それは避けねばいけない事柄だ。
「さてさて、見ものだね」
「あら、いつの間に……」
「通信のあと、すぐ。首都に転移しなかったから、困ったけど」
「ベル様の速度であれば……その……」
「ん、まぁそうだね」
貴族らが立ち去ると、エキドナのいる部屋に瞬時にベルが現れる。
音もなく一瞬でそこに現れた漆黒の少女、ベル・フェゴールは、最初に生み出された幹部の一人。
幹部最速を誇るそのスピードは、本気を出せば幹部ですら視認できない。暗殺、隠密を得意とするのが、彼女だ。
黒ベースのセーラー服風ロリータを纏っている。顔を覆う黒いぱっつん前髪は、彼女の最大の特徴である複眼を隠すため。なお、死角をなくすため、後頭部にも二つ瞳があったりもする。
ベルは上位の悪魔であり、人を食事として見ている――蟲だ。
「ドナネキは出るまで、ずっとここにいんの?」
「えぇ……。目を通しておきたい資料が、たくさんありますので……」
「ひゃー、大変だね。あたしはちょっと見て回ってくるよ」
「……どこかへ……行かれるのでしょうか……?」
「まーね」
ベルは今回、リーベが最悪の事態に陥らないための監視員。
何も問題なければ、隠密を利用して見守るだけだ。だが万が一、リーベが空腹に見舞われたときに、魔力を供給することになる。
そうなれば必要なるのは、アリスが来るまでにリーベを繋ぎ止められるだけの魔力。
ベルは幹部の中で見れば、魔力量は平均。普段遣いには困らない。――とはいえ、人間に比べれば圧倒的に多いのだが。
しかし、今回は普段遣いというたぐいではない。
リーベは一度の食事で、大量の魔力を消費する。〝おやつ程度〟で済めばいいが、長らくアリスから離れていれば、空腹量もそれに比例するというもの。
何よりも準備するに越したことはない。
「ポーションとか、用意しとこうと思ってね」
「なるほど……。それでしたら、冒険者組合の周辺などどうでしょう。パルドウィンは本部もありますから、きっといいものを手に入れられると思いますわ……」
「おぉー! あざっす! ドナネキも出かけるときは気を付けて~」
「えぇ、えぇ……。ありがとうございます……」
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