第276話 気配

 それは、妙な男だった。

 一見してその辺にいる一般人として変わりない、普通の気配を纏っているように見える。

 事実、少し遠くから近づいてくる彼を見る限り、俺にはそのように見えていた。

 しかし、こうして手が届くほどの距離に近づいてみると、その身に漂う真気の異様さに気づくのだ。

 普通、真気というのは人間の体内を血液のように流れ、またわずかな余剰が体外に靄のように放出し、空気中へと溶けていっている。

 真気を使える気術士は、この空気中への真気の浸出を可能な限り、もしくは完全に抑えることで、その寿命や若さの維持を結果的に行えるようになるのだ。

 真気は生命エネルギーであり、人間の生理活動の多くを人知れず助けている。

 そのことを一般人は気づくことが出来ないが、実際にそうなっている。

 

 だが、目の前の男の真気は妙な流れ方をしていた。

 確かに一般人と変わりないように真気が流れているように見える。

 けれどよく見るとそれは表面上に過ぎない。

 厳密にいうなら、皮膚の上を、という感じだろうか。 

 その内部を流れる真気は、全く見えない。

 騙し絵を見ている感じというのか……紙にかいた絵が三次元的に見える感覚に等しいな。

 ここから推測できるのは、おそらく、服のような術具を人知れず身に纏っている、のではないだろうか。

 そのような術具の存在を俺は聞いたことがない。

 もちろん、鎧やスーツのような形の術具は存在している。

 しかしそういったものは、あくまでもその人間の真気を使用して何かしらの強化を施すことを主目的とするものだ。

 目の前のこれは……完全に自分を一般人だと誤認させることを目的としている。

 理論的には作れないものではないだろうが……気術士的には作る意味がさほどないから発展してこなかった系統というか。

 気術士がこれを使わなければならない場合を考えるに、気術士同士の戦いの中ででしか考えられない。

 妖魔などに対する隠蔽系は、また違った理論で行われるものだからだ。

 

 ただし、このようなものを製作するにはそれなりに高度な術具製作技術が必要であり研究も必要である。

 気術士組織以外にそのようなことが可能なのは……。


「……やはり、邪術士か」


 ぼそり、と俺が呟いたのを、誰も聞いてはいなかった。

 いや、咲耶は聞いていただろう。

 本来であれば、彼女だけ、のはずだったが……。


 ──にやり、と涼子のマネージャーとしてついてきた男が笑ったのを、俺は見逃さなかった。


 なるほど、そもそも隠す気がないのか?

 男は、涼子がスタッフたちと話している中、耳元で何か呟いて彼女から離れていく。

 しかし、その時の視線は俺から外れることはなかった。

 まるで、俺についてこいと言っているような雰囲気すらある。

 というより、まさにそう言っているのだろうな。

 釣ったつもりで、むしろ向こうは俺を飲み込むつもりできたか……舐められたものだ。

 ただ同時に、思ったより大物が来たのかも知れない、という気もした。

 面白い。

 誘いには、乗ってやるか。


「……梔子さん、俺、ちょっと……」


 彼女にそう言うと、


「あ、トイレ? うん、行ってきて大丈夫」


 と気づかずに進めてくれた。

 訂正しようかと思ったが、変に緊張を強いることもないだろう。

 俺は彼女に頷いて、


「ええ、何かあったら咲耶に頼ってください。知っているでしょうがあいつは強いので、大抵のことはなんとかできますから」


「分かってるわ」

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