第265話 プロデューサー藤野清吾
「……お手並み拝見、といっちゃおうかな」
そう呟いたのは、この現場を仕切るプロデューサーである藤野清吾であった。
彼の視線の先には先ほどしばらくの間、撮影が止まってしまったドラマ《契約の
しかし、そこには一人、本来出演する予定では無い人物がいる。
北御門咲耶と言ったか。
この現場に入ってから、その容姿と酷く落ち着いた雰囲気に目を引かれていたが、まさかこんな流れになるとは思ってはいなかった。
芸能事務所の人間……梔子玲が連れていたし、事前に現場の見学の話も聞いていたからそれがあの子達か、とは思ったし、雰囲気のある子だなとも思ってはいたが、今日のところは名前を聞くくらいだろうなと、その程度だった。
けれど、今回の現場では、事故が起こった。
ストーリー上、ヒロインのライバルとなる役の
元々、完璧主義で知られている彼女のことである。
事前の練習などに力を入れすぎてのことだろうというのは想像がついた。
怪我をして辛いにも関わらず、そのことをしきりに気にしていたし、現場を自分のせいで止めることも大分申し訳なく思っているようだった。
可能であれば代役を立てても構わないとも。
降板覚悟でそこまで言えるのは、本人の責任感のゆえ。
まぁそうは言っても、事務所の力関係とか色々あるので、そう簡単に話は通らないが、今回の場合は役が特殊であるために、彼女の希望をギリギリ通せそうだった。
つまりは、今回だけの代役、である。
他の話は治り次第、彼女に出てもらえばいい。
それが可能なのだった。
妖姫はその能力として変化が出来、見た目や立場を頻繁に変えているという設定で、実際、話毎に変わっていく
それでも本来だと、涼子が化粧や特殊メイクによって演じる予定だったが、この際である。
本当に別人に演じさせる、というのもアリだろう。
そう考え、玲と咲耶に話を持って行ったら、すぐにオーケーされた。
浮き沈みの激しいこの世界で、こういうチャンスは中々無い。
受け入れられるのも当然の話だった。
問題は本当に演じられるか、だ。
涼子は確かに美人だが、顔で選ばれたわけでは無く、難しい役である妖姫を演技できる人物だという理由で白羽の矢が立ったのだ。
それに匹敵する、いや、そこまでは無理でもある程度食らいついていけるものがなければ、代役などとてもではないが務められない。
だから、十五分で台本を覚えろ、なんて無茶も言ってみたが……。
「まさか五分で覚えたと言われてしまうとはねぇ。それも、少しばかり
流石にそのままだと話に齟齬が出るからと、脚本家と話して微妙に台詞や展開を変えた。
突貫工事で、それこそ十五分で終わらせたわけだが、それを彼女は数分で覚えてしまった。
だから、彼女に代役を頼んでから、まだ三十分くらいしか経っていない。
本当に出来るのか?
そして本当に出来てしまったら……。
「新たなスターが誕生、するかな……?」
いやいやまさか。
そんな簡単な世界じゃ無い。
けれど、それを期待させる雰囲気があるのだ。
この仕事を始めて三十年。
こんな感覚を覚えたのは、一度か二度。
そしてその時の女優は今や誰も名前を知らぬ者がいないほどになっている。
だから、藤野は期待せずにはいられなかった。
「……ヨーイ!」
そして、撮影が始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます