第163話 死

「……今何が起こっていたか、分かるか?」


 首筋の痛みがまだジンジンと残っている中、蓮華仙人が尋ねた。


「いえ……特には。仙核を解こうとしましたけど、それだけで」


「馬鹿者が……そこまでやれとは言っておらんぞ。いや、やっていることは正しいのだが……何かまずい、とか危険だ、とか感じなかったのか?」


 言われて、そういえば、その直前に少し怖いような感覚があったというか、いきなり地面がなくなったような感触が一瞬したな。

 だけど、別に気にするほどのことでもないと思い、そのまま続けてしまったが……。

 そんなことを蓮華仙人に言うと、彼はふう、とため息をついて言う。


「……武尊、お主はどうやら随分と、死に対する恐怖が薄いらしい」


「え?」


「仙核は、仙人にとって命そのものじゃ。つまり、それを完全に解けば、そのまま死ぬ。お主は今死ぬところじゃったんじゃぞ」


「そんな……でもそうしなければ、自然との一体化など……」


 少なくとも、完全に解き切れば一体化できるという感覚、確信があった。

 だから……それに蓮華仙人もやり方は間違っていないと言っていた。


「完全にやってしまえば、それこそ死なのじゃよ。だから、途中で止めるのじゃ。それで十分なんじゃよ……。ただ、それが難しいのじゃが。仙人になった者でも、たまに失敗してそのまま死ぬこともあるくらいじゃ。失敗でなくても、長い人生に飽いて、意図的にやる者もおるがな」


「仙人の死はそんな風なのですね……」


「それか、蟲に殺されるとかな。不老とはいえ、不死ではない。ともあれ、お主は死ぬ直前だった。外側から見ると……そうじゃな、ものすごく透けて見えた感じじゃな。体のほとんどが、空気と一体化しておった」


「それは……恐ろしいですね。でも気持ちよくて」


「死は心地よいものじゃぞ。それこそ、自然と完全に一つになれる。世界そのものになれるのじゃ。だから、非常に気分がいい。だが、世界に個人としてあり続けるためには、気をつけなければならぬ。気を強く持って、最後の一線は超えぬようにな……まぁ、いい経験にはなったと思うが。先ほど、お主が越えようとしていたものが、まさに最後の一線じゃ。そこを越えれば死ぬからな」


「分かりました……では、その手前で止まっておけば十分なのですか?」


「概ねな。それと、お主は体内の真気全てを空間上のそれと同一にしようとしておったが、そこまでやらずとも仙術は使える。体と外の境界の仙気を外し、仙核までの間の仙気の分布をこう、グラデーションがあるように濃度調整するのが理想的じゃ。そうすると、力が伝わりやすくなるゆえ」


「なるほど……あそこまでやらなくてもいいのですね」


「うむ。お主には手本を見せた方がよかったな。まさか、初めからここまで躊躇なく崖を飛び越えるような奴だとは思っていなかった。もちろん、かなりの才能があるとは思っていたが……どれほど才能がある人間であっても、死は無意識に避けようとするものじゃ。最初から死すら恐れずに飛び降りようとする者は、普通おらん」


「そんなつもりはなかったんですが……」


 でも、考えてみると俺は一度死んでいる。

 もしかしたら、あの時にそういう恐れというものは捨ててしまったのかもしれない。

 今の話が事実なのだとしたら、相当な注意をしなければまずいな。

 さっきも本当に気分が良かったし、あのままということも普通にあり得た。

 少なくとも同じことをすれば、止められない限りはまたやってしまいそうな気がしている。

 そんな俺の表情を読んだのか、蓮華仙人は、


「……しばらくは練習じゃな。わしがついていられる間に、耐える精神力をつけよ。こればかりは、いくらお主であっても、一朝一夕では行かぬようじゃ」


 そう言ったのだった。

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