第149話 仙人

「なんだかんだ私も、向こうの気楽な家事に慣れちゃってるところあるんですけどねぇ。洗濯機ない生活は面倒くさいなぁ」


 光枝さんがそう言う。


「……おい。まぁでも、こっちに機械がないなら、そう言うのは手洗いになるわけか……大変な重労働だな」


「川で洗濯板でって感じですね。みんな慣れているので今更という感じですが……あっ、見えてきましたよ! あそこです」


 光枝さんがそう言って示した先を見ると、針金のような山の山頂に、小さな家屋が一軒、建っているのが見えた。

 とはいえ、歩いて辿り着けないというほど傾斜がきついというわけでもないが。

 そもそも標高自体がさほど高くないしな。

 それでも可能な限り登りたくないような感じではあったけれども。

 俺たちはそんな家屋の前に着地する。

 澪は龍形態からすぐに人間形態に移行した。

 最近では龍の姿でいるより人間の姿の方が楽らしい。

 戦うのであれば、龍の姿の方がいいようだが。

 人間形態だと出力がさほどでないのだという。


「……師匠! ただいま帰りました! 師匠ー!?」


 光枝さんが家屋にトコトコ向かいながら、そんな声で叫ぶ。

 すると、しばらくして家屋の裏手から、一人の老人が顔を出した。


「……ふむ、光枝か。久しぶりじゃのう」


「あっ、師匠! 蓮華師匠!」


 現れたのは、まさに仙人、と言った様子の老人だった。

 真っ白な髭に、幾つなのか全く推測できない顔立ち、背の低い姿。

 しかし、彼が現れたと同時に、その姿が全くの擬態に過ぎないことを、俺も澪も察していた。


「……なんじゃあれ。あれが、仙人という存在なのか……?」


 若干怯えながらそう言った澪に、俺は言う。


「光枝さんが未熟者だ、と言っていた意味が分かるな。仙人は無為自然がその思想だというが……そうでありながら、あの老人に集まる気は……恐ろしいほどだ。とてもではないが戦いになるとは思えない……」


 地脈から無尽蔵に真気を収集できる俺ですらそう思うのだ。

 とんでもない力だった。

 けれど、それでいて本当に自然なのだ。

 何も力んでいる様子もなく、敵対的な視線すらも感じない。

 道を悟るとは、こう言うことなのか……。


 そんなことを考える俺たちに、その仙人は言う。


「……ふむ、お主らが……。確か、人間界の気術士、高森武尊殿と、龍の澪殿でよかったかの?」


 語りかける声にも力みも何もなく、穏やかに尋ねられた。

 俺と澪は緊張しつつ、返答する。


「……はい、高森武尊と申します。仙人様」


「澪でございまする……」


 そう言うのが限界だった、と言うのが実際のところだ。

 そんな俺たちを仙人は笑い、


「フォッフォッフォッ! それほどまでに警戒せんでも構わんぞ。すまぬな、先程までむしと戦っていたゆえ、多少気が立っていたかもしれん」


 そう呟くと、ふっと圧力が消え去る。


「これでどうじゃ?」


 そう言った仙人には逆に何の力も感じられず、だからこそ恐ろしかった。


「……何も……存在すら、感じない……?」


 首を傾げる俺に、仙人は言う。


「光枝から聞いておるじゃろう。わしらの思想は、無為自然。自然に溶け込み、自然と共に生きる……それが故に、空気ように在ることが理想じゃ。今もそのように心がけているゆえな」


 確かに、今の仙人の気配は、完全に空気に溶け込んでいた。

 しかし、そうだとすると先ほどのそれはなんだったのか。

 そんな俺の疑問に答えるように、仙人は言う。


「人間界の妖魔のように、仙界にも澱は溜まるのじゃ。それこそが、蟲……それをわしらは定期的に駆除するんじゃが、そういう時は、攻撃性が出る。じゃからじゃろうな」

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