第111話 そして起こったこと
「本来なかったはずの感情……」
それはどういうことだ?
俺が思わず呟いた言葉に、重蔵は頷いて言う。
「そうだ。とはいっても、わしがそれに気がついたのは、全てが終わって後のことだったがな。その前は、正しくこれが自分の感情なのだと、未熟で醜い自分が生み出した感情なのだと思っていた……」
「でも、そうだとしても……そのくらい、お祖父様なら抑えられるのでは……?」
薙人が言う。
彼からしてみれば、重蔵は最初から今の姿のまま、自らを高潔な精神で律する、百戦錬磨の気術士なのだろう。
ただ、残念ながらあの頃は……。
重蔵は忸怩たる思いが覗けるような表情で、薙人に諭すように言う。
「いいや。あの頃のわしには無理だった。わしはあの頃、強くなることしか考えていなかった。心のあり方や、精神を鍛えるための技法、力には無頓着だった。それらが、わしの心に闇が手を伸ばす隙を作ってしまったのだ……」
なるほどな、と思う。
そういうことかとも。
だが、そうだとして、その場合、俺は何を思えば良い。
生まれてから今まで……いや、殺されたあの人から今まで、ずっと原動力にしてきた気持ちの置き場所が見つからなくなってしまうではないか。
それなのに、重蔵の言葉には深い納得があるのだ。
それは重蔵が本音で話しているからだ。
孫に軽蔑されてもそれで構わないという、それくらいの覚悟をもってだ。
そんな男に俺は何を思えば……。
重蔵は続ける。
「そして、日々は過ぎていった。あの日に近づくにつれ、わしの心には多くの闇が囁いた。尊は邪魔者ではないか、わざわざわしが目をかけているのに話を聞こうともしないのはもはや裏切りではないか、裏切るのであれば……。そんな声だ。だが、そのたびにわしはそんな声を無視し、打ち消してきた。あの日も、大鬼のところへ辿り着くまでは、そうだったはずなのだ……どうにかして、尊を今からでも帰らせようとわしは必死だった。声に抗い、尊を冷たく扱い、そして強力無比な妖気に耐え、前衛として妖魔たちを屠り……ふっ。余裕がなさ過ぎたのだな。そして、とどめは、あの大妖……それを目の前にしたことだ」
「とどめとは……?」
薙人が尋ねる。
重蔵は答えた。
「笑ってくれ。わしは怖じ気づいたのだ。あんなものを一体どうやったら倒せるのだと、無理だと、殺されて終わりだと……一瞬。誓ってほんの一瞬だが……思ってしまったのだ。そしてその一瞬を闇は掴んだ……『気を抜いたな』、そんな声がわしの奥底から聞こえ……そこから、わしは体の自由が利かなくなったのだ」
「それは……どういうことなんですか……!?」
薙人が目を見開いて言う。
重蔵は遠くを見るような瞳で……おそらくはあの時を思い起こしているのだろう。
深く、深く。
「……わしの口は、おかしなことを喋っていた。大鬼を封印するとか……そしてそれに慎司と景子は何も違和感を抱かずに受け入れ……そしてわしは、あやつの足を、腱を切り、行動不能にし……そして慎司により、大鬼は封印され……そして、わしらは転移符にて、その場を抜けて……」
話しながら、声が枯れていく。
恐ろしいことを話しているような、そんな声だった。
思い出したくないことを無理矢理思い出している。
そんな声だった。
「……お祖父様が、尊様のことを切って……なぜ、どうして、そんな卑怯なことを!」
薙人が絶叫した。
重蔵はそんな糾弾に、苦しみつつも答える。
「……正確には、分からん。だが、戻ってきたとき、不思議なことにあやつに対して今まで感じていた怒り、憎しみ、疎ましく思う心、そういうものがすべて、スッと消え去った。そして、わしの心には深い後悔が生まれていた。なぜあんなことをしたのかと。友ではなかったのかと。そもそも、なぜあのとき、自分の意志で指一本でも動かせなくなったのだと。わしは、わしは……」
ここまで聞けば、重蔵がどうしてあんなことをしたのか、大まかに予想はついた。
俺はそれを受け入れ、ぽつりと口にした。
「……妖魔に、心を乗っ取られましたか……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます