第110話 重蔵の感覚

「……ここまでの話は、あくまで前提に過ぎん。ここから先が重要なところだ」


 重蔵はそう、言葉に力を込める。


「え……?」


 と首を傾げる薙人だったが、柔造は言う。


「特に、薙人。お前は、もしかしたら今まで、多少なりともわしのことを尊敬してくれていたかもしれん。しかし、この先を聞けば……その感覚は、霧散するかもしれん。それでも聞いてくれるか?」


 つまり、重蔵は本当に真実を語るつもりがある、ということなのだろう。

 薙人はこれに、


「……俺は……でも、お祖父様が、覚悟を決めてお話しされることなら……受け止めるのが、俺の責任だと思います」


 と意外にもはっきりとした口調で言う。

 どこか軟弱に思えるところがあった薙人だったが、思った以上に覚悟が決まっていたようだ。

 流石は、四大家の気術士だ、と言うべきだろうか。

 いや……これは、重蔵に厳しく、誠実に育てられたから、なのだろうな。

 そう思わずにはいられなかった。 

 そして、そんな重蔵は薙人に言う。


「よく言ったな……すまない。わしの恥を、お前は継がなければならない……」


「お祖父様の恥など……いえ、聞かなければ分かりませんね。一体何が……」


「うむ……それについては、あの決戦の、そうさな、概ね、一年ほど前からの話になるが……」


 あの決戦とは、もちろん、気術士の間で、《鬼神島の決戦》などと呼ばれている戦いの一年前だろうが……そこで、何かあったのか?

 首を傾げる俺と薙人に、重蔵は語る。


「ここから先の話は、別に信じなくとも構わない。ただのわしの心の弱さが結果へと結びついたことかもしれんからだ」


 かなりはっきりとした前提を口にし、俺たちがそれに驚きつつも頷いたのを確認しながら、重蔵は続けた。


「うむ、それで良い……わしが、尊に辛く当たり始めた、その話は覚えておるな」


 俺たちはそれに頷いた。


「そこから数年の月日が経った後のこと……尊が十二の時からだから、およそ二年ほどか。そのあたりのことだ……お前たちに言うのはなんだが、人間というのは不思議なものでな。本心からでない、フリであっで長い間、他人を攻撃し続けると、どこか、よくない感情が自ずと心の中に宿ってしまうものなのだ……」


「よくない感情って……尊様に対するものですか?」


 薙人が尋ねると、重蔵は頷く。


「あぁ。もう知っての通り、わしは尊を気術士から引かせたかった。そのために、ありとあらゆる嫌がらせをした。もちろん、極度に肉体的な危害を加えるようなものはなかったが……精神を削るようなものであったのは、仕方のないことだった……わしから見れば、な」


「ですが、それがどうしたというのですか?」


 俺が尋ねると、重蔵は言う。


「当時、わしが思っていたのは……人間、長年一人の人間を卑下し続ければ、見下しとか憎しみとか、そういう感情を僅かにでも、常に抱いてしまうようになる、ということだった」


「重蔵様は、尊様を憎んで……?」


「うむ。ただそうは言っても、死んで欲しいとかではなく、あくまでも、なぜわしがこれほどまでに尊の安全を考えて気術士を辞めさせるべく動いているのに、辞めようとしないのか、というような気持ちだったがな……」


「思い通りにいかない、怒りのような」


「そうだ。そんなものに近かった……」


「しかし、それは普通のことでは?」


 別にそこまで問題のある感情ではないな。

 気術士とは言っても、それなりに嫉妬や怒りや憎しみのような感情は、他人に向けたりする。

 人間なのだから。

 特にそれが自分より優れた術師相手になら、なおさらに。

 当時俺が重蔵より優れていたとは思わないが……。

 ではどうして、俺にそんな感情を向けたのか。

 重蔵は言う。


「誓っていうが、ただの心配からだった。お前たちに経験があるかは分からんが、自分より弱い者に避難を命じたとして、それを拒否されれば、少なかずイラつく心はあるだろう? なぜ自分に任せないのか、と」


 ……確かに、それはあるな。

 だからと言って、殊更に責めようとは思わないが。

 なぜなら、そういう弱い人間を助けるのが俺たち気術士の指名だからだ。

 けれど重蔵は、


「わしには、その時それができなかった……なぜか、尊の無茶を見るたびに、少しずつ、怒りのような感情が溜まっていった……わしに、そのような気持ちは、本来なかったはずなのに、だ」

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