第108話 重蔵、本心
「に、逃げ帰ってきたって……!? ですけど、知られてる話では、倒せはしなかったものの、なんとか封印をして戻ってきたって……」
薙人がそう言った。
確かに、世の中ではというか、気術士界隈ではそういうことになっているらしいとは美智から聞いている。
というか、事実としてはまさにそれで正しいしな。
詳細を言うなら、俺を犠牲にして俺の真気を起点に封印術を施した、しかも鬼神とは一切交戦することはなかった、と言う話になってしまうが。
なんだかそれにしても不思議というか、奇妙だ。
なぜ重蔵が自分のしたことを卑下するように言うんだ?
むしろ、望んでの結末ではなかったのだろうか。
いや……こいつの性格的に、考えてみるとおかしくはある、か。
六十年近く前のことだが、こいつの性格は今と根本的には変わっていないような気がしている。
あの頃は今より遥かに粗暴で雑でぶっきらぼうではあったが、人を後ろから切りつけるようなことはなかった。
少なくとも、あの時までは。
だから俺は余計に驚いて、憎しみを募らせた……のだが。
どういうことだ……。
よくわからないまでも、重蔵の話をまず、聞く。
これは本人からの告白だ。
美智などが調べようとしても、調べきれないもの。
事実を言うのか、嘘を言うのかはともかくとして、まず参考に聞く必要があると思った。
重蔵は言う。
「その前に、今から話すことを、お前達二人は誰にも言わないと約束できるか?」
「えっ……」
「それはどういうことですか?」
妙に険のある声になってしまったのは、真実を隠そうとしているのか、ことここに至って、みたいな感情が漏れてしまったからだ。
これは良くないな……。
だが、重蔵はそんな俺の僅かに漏れ出した責めるような声音に気付いたのだろう。
苦笑しながら言った。
「別に、保身のためにと言うわけではない。お前達からすれば、事実と違う、わしの恥の話をこれからするのだから、自らの名声を守るためにお前達に秘密を守れと言っているように聞こえるのだろうが……そもそも、これはわし一人の恥ではないからな。分かるだろう?」
「……あの場にいたという、重蔵様以外の二人も……」
「そうだ。あいつらのことは……正直、今のわしにもよくわからん。何を考えているのか、あの時、何を思っていたのか……。だからこれからするのは、わしのことだけだ。ただそれでも、このことがあの二人の耳に入れば、危険かもしれん。それこそ、保身のためにな……。わしが何があろうと守る、と言えればよかったのだが……尊すら守れんかったわしに一体何を保証できようか……」
尊と言った。
武尊ではなく、それがあの尊であることは明らかだった。
こいつは……俺は守る気だったと?
だがこいつは間違いなく俺を切ったのだ。
罵声も浴びせてきた……それで一体何を……。
体が熱くなるような思いがした。
それでも、俺は深呼吸をして、尋ねる。
「それだけの秘密を、なぜ今話す気になられたのですか? しかも、薙人だけでなく、俺にも……」
そもそも、そこがおかしくないか。
薙人については、わかる。
重蔵の孫で、いずれ東雲家を継ぐ少年だ。
彼には知らなければならない秘密が山ほどあるだろう。
そのうちの一つを先に教えておくと言うのは理解できた。
重蔵も、気術士の寿命が長いとはいえ、いつ死ぬかは分からないからな。
ある程度心が強くなっているだろうと思われる、今くらいから教えていくのは、そんなにおかしなことではない。
だが、俺は東雲一門とは直接関係のない、他家の者だ。
それなのに。
これに重蔵は言う。
「それは……お前があいつに、尊に似ているからだ。おっと、名前だけではないぞ。なにか……お前を見ていると、あいつを思い出す。あの頃のあいつを……」
「それは……犠牲になったという、北御門の?」
「そうだ。わしが確かに斬り、あの場に置き去りにしてきた、あいつのことだ。わしの生涯最初の友であり、最後の友だ。まぁ、もはや向こうはそんなことをなど思っておらんだろうが。冥府でわしが落ちてくるところを待っているだろう。それでももう一度会いたいが……それも出来ん……わしは……」
その瞳には、確かに後悔があった。
なぜだ。
なぜこいつが後悔などしている。
いや……あれから六十年だ。
六十年もあれば、自分の罪を振り返り、後悔することくらい、あるだろうと論理的には分かる。
感情的にも、それはそうだろうという気がする。
本当にまともな精神をしていれば、自分の罪を忘れることが出来なければ、後悔するものだ。
重蔵にはそういう心が……ある?
それは別におかしなことではない……なぜって、今の重蔵には、高潔な部分しか感じられないから。
認め難いと、認めるわけにはいかないとずっと見ないふりをしてきたが、それでも。
であるならば……。
「……何があったのか、お聞かせください」
俺にはそう言うことしかできなかった。
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