第43話 夢野の気持ち

 幼稚園教諭としての仕事というのがこれほどまでに大変だとは思ってもみなかった。

 私、夢野景としては、気術士としての仕事に誇りをもって働いてきた人生だったから、幼稚園の先生になるなんて、生まれてこの方一ミリも考えたことはなかった。

 けれど、日々、妖魔と相対し、命を賭けて戦ってきたのだから、幼稚園の先生くらい楽勝だろうとすら考えていた。

 いくらなんでも、命のやりとりなんて発生しようがない、激務と言っても血反吐を吐くとかそんなことなどありえない。

 そんな職業なのだから、まぁ今までに比べたらきっと楽だろうと。

 そう思った私を誰が責められるというのか。

 そもそも、私は幼稚園の先生などやりたくはなかった。

 確かに、表向きの身分を得るために、大学まで行ってしっかりとその資格は取った。

 取ったけれども、本当にしっかりと幼稚園の先生を目指していた人とは違って、かなり楽な、素早く資格を取れるルートが気術士には用意されていて、私はそれに乗っかって資格をとった。

 そのため、どれほどこの仕事が大変なのかを知らなかったのだ。

 とはいえ、普通はそれで問題ないのだ。

 あくまでも、表向きの身分のために持っているだけの資格であって、それが本当に活用されることなど滅多にないのだから。

 それなのに、私は本当にそれを使う羽目になった。

 なぜか、と言えば私が悪いのは間違いない。

 本職……気術士としての任務で、私は失敗したからだ。


 その日、妖魔を他の同僚気術士たちと共に追い詰めていた私は、ほんの少しの油断から、妖魔を逃がしてしまった。

 その結果生じたのが、とある子供の惨殺だった。

 私がもう少し注意していれば、そんなことは起こらなかったのに。

 同僚たちは、その時の状況から私に大きなミスがなかったこと、妖魔の方が一枚上手だったことを証言してくれたが、組織の方は冷酷だった。

 いや、その時の私が、もはやほとんど使い物にならなくなっていたことを察して、むしろ温情からそうしたのだと思う。

 私は、組織から、とある幼稚園への出向を命じられた。

 事実上、気術士としてはクビということだった。

 

 その幼稚園とは、現代の気術士たちなら皆知っている、気術士の名門、気術総合学院の幼等部に当たる、竜生幼稚園であり、必ずしも左遷とは言い切れないところだ。

 むしろ、望んで務めたいと考える気術士たちも大勢いて、結構な倍率なのだが、私はそういった試験を全く受けることなく、すんなりと配属されることになった。

 というのも、実戦を経験した気術士たちは中々、学院の門を叩くことがなく、貴重なのだという。

 実際、配属されてみれば、私以外にも気術士はいたが、園長と、もう一人同僚がいるだけ、しかも実戦はほぼ未経験というかなり心許ない人物だった。

 

 だからこそ、緊急事態には私が重宝された。

 子供の気術士というのは、妖魔から狙われやすい。

 私がここに来る羽目になった原因の事件でも、狙われたのは真気の素質がある人間……霊能力者の子供だった。

 どうも、妖魔にとって、真気の満ちた存在というのはかなりおいしく見えるらしく、またそれらを食うことによって自らの妖魔としての位階をあげられるのだという。

 まぁ、妖魔が強くなるための方法はそれだけではないが、一番手っ取り早いやり方なのだろう。

 

 そのため、学院の生徒を守る必要があり、気術士が学院には常駐している。

 気術の基礎を教えるため、というのも理由にあるが、それ以上に守護としての役割を強く期待されているのだ。

 だから、私はその警報音を聞いたとき、ついに来たか、と思った。

 私は担任の御影先生に、


「すみません、緊急事態で、生徒を何人か連れ出しますね」


 と耳打ちをする。

 少しばかり暗示がかかっているため、一般人である御影は特に何も文句も言わず頷いた。

 一般人に暗示をかけるようなやり方は、基本的に避けるべきだとされているが、今回のような場合は許される。

 学院での仕事上、仕方がないことだと考えられているからだ。

 うまい言い訳を考える、でもいいのだが、妖魔はここのところかなりの頻度で出現するようになっていて、そうそう何度も使える方法でもないからだ。

 私は御影が同意したのを確認して、目的の人物たちを連れ出した。

 

 北御門家の咲耶様、高森家の武尊くん、時雨家の龍輝くん。

 いずれも気術士の家系では名門と言われているところで、四大家一門には属していない私のような在野の気術士とは全く違う、御曹司たち。

 以前であれば、そのようなボンボンたちなどより、ずっと努力して危険な場所に身を置いてきた自分の方が優れている、と考えていただろうが、今となってはこの三人の実力を見て、考えを改めている。


 数日前に、気術士の基本を教える授業を開いたのだが、この三人は私が教えたことを、その場で、たった一日で身につけてしまったからだ。

 特に、咲耶さまなど私よりも巧みに人形を操り始めたので、この道二十年の私の努力は何だったのかと頭を抱えたくなったのは言うまでもない。

 武尊くんもまぁまぁおかしかった。

 私の人形には内部機構の漏洩防止のため、自爆機能がついているのだが、これは特別なやり方で真気を注がないと起動しない。

 例外として、かなり多めの真気を注ぐことでも機能するが、それは緊急手段であって、しかも、私ならば全力を注がないとまず無理な量だ。

 けれど、武尊くんは軽く真気を注いだだけで、それを起動させてしまったのだ。

 信じられないことである。

 高森家は名門と言っても、比較的下位の方だったはずだが、それでもこれなのかと思った。

 さらに龍輝くん。

 彼は前の二人と比べると少しばかり落ちるが、それでも人形を起動させられたのは間違いない。

 本来なら一月かかるのが普通のところ、たった一日で。

 これだけでもおかしいのだ。

 それが三人とも……。


 これが天才という奴なのか、と心の底から理解した私だった。


 そしてだからこそ、この気術士の宝を、妖魔に持って行かれるわけにはいかないのだという思いも確かにした。

 強い気術士がいれば、私がした失敗のような悲劇の数を減らせる。

 咲耶さまたち三人が成長すれば、どれだけの人が救えることだろう。

 そんな三人を守ることが、私の使命なのだとすら思った。

 だから彼らを強度結界室に連れていき、こもらせる。

 これは非常に特殊な作りで、結界術の大家、南雲家が特別に作り上げたものだ。

 内部に大きな真気を持つ存在がいても、その存在を外部には決して悟らせない遮断力がある。

 だから、たとえこの幼稚園に妖魔が近づいても、この中にいる者達には気づくことが出来ない。

 私は彼らをここに入れられたことに安心して、校長に報告し、幼稚園を出た。


 先ほどの警報は、言うまでもなく、近くに妖魔が出現したことを伝えるもの。

 あれが聞こえた場合、私たち幼稚園の気術士は、子供たちの身の安全を確保するために動き出す。

 まず一つ目が、子供たちをあの結界室に入れること。

 そしてもう一つが……。


「……やっぱりいたね。この地域の気術士はどこに行ってるのかな?」


 私の目の前には、小鬼が一匹立っていた。

 身長は百二十センチほどだろうか。

 低位の鬼で、さほど強くはないが、それだけに見つかり次第、その地域の気術士に素早く討伐される。

 この辺りを管轄する気術士は優秀な人物で、見逃すはずはないのだが……。


「まぁ、いいか。私がやってしまっても。ほら、行くよ、メリー、それにエリー」


 呼びかけると、私の懐から二体の人形が這い出してくる。

 そしてそのまま、小鬼に襲いかかった。

 メリーは手に包丁を、エリーは拳にかぎ爪を身につけていて、それをもって攻撃するのだ。

 どちらにも真気が込められており、その攻撃力は普通の刃物の比ではない。

 小鬼は、


「ガ、ガァ……」


 二体の人形の動きを見て敵わないと思ったのが、慌てて逃げようとするも、もう遅い。

 

 ──ザシュッ!


 という小気味のいい音と共に、小鬼の首と胴体が切り裂かれ、倒れたのだった。

 それから、私は小鬼に霊符を貼り付け、祝詞を捧げる。

 霊符から白い炎が吹き出し、小鬼の遺体を燃やしていく。

 小鬼程度からはさしたる素材も取れないので、倒した場合はさっさと灼いて浄化するのが基本だ。

 灼いても、一応、霊石は残るため、それだけ拾って私は幼稚園に戻る。

 それから、園長に小鬼のことを報告すると、園長は今回の顛末を説明してくれた。


 それによると、今回、かなり大規模かつ広範囲に妖魔が出現したようで、この辺りにも複数体の妖魔が出現していたらしい。

 地域の気術士が来なかったのは、その他の妖魔にかかっているからだろうという話だった。

 だったら、まだ警戒し続けた方が良いのか、と尋ねると、しばらくはそうした方が良いだろうが、幼稚園の周囲に妖魔の気配はもうないから、とりあえず子供たちは結界室からダシいて良いと言われた。

 どうも、先ほどまでかなり大きな妖魔の気配があったらしいが、いつの間にか消えてしまったという。

 理由が分からないだけに少し不気味だが、こういうことは妖魔には良くある。

 奴らは神出鬼没であるが、同様に気まぐれでもある。

 どこかに潜んでいるというのならともかく、この園長は感知能力だけには恐ろしく長けていて、そのために園長の椅子に座っている。

 だから彼がいないというのならば、それは信用して良い。

 

 結界室に戻ると、子供たちは皆、少しだけ不安そうにしていたが、私の顔を見てパッと表情を輝かせる。

 口々に、もう出て良いの、と尋ねてきたので、私はそれに頷いた。

 ただ、ここでも咲耶さまたち三人は反応が他の子供たちと違っていて、何か微妙な表情をしていたのが不思議だった。

 何か言いたいのか、いや、そういう感じでもないけど……?

 ともあれ、教室に戻った時には普段通りに戻っていたので、私はこのときの違和感をそのまま忘れてしまった。

 このとき、もっと考えておけばよかった、と後で思うとは知らずに。

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