第36話 許嫁の決意
そんなわけで、入園式を無事に終え、俺は幼稚園に通い始めた。
十五歳まで育っている精神で幼稚園など耐えられたものではなさそうだ、と思っていたが、通ってみると思いのほか、気楽だった。
その理由は俺が子供に合わせるのが得意だから……なんてことはなく、単純にこういう経験がほぼゼロだったからだろう。
子供とは言え、普通に人付き合いが出来る感じがなんだか楽しく、そして全く人付き合いの経験がないことがむしろ、ちょうど良かった。
コミュニケーション能力が幼稚園児と同じレベルというか。
でもこれも語弊があるか。
こういう場所に身を置いていると分かるのだが、子供のコミュニケーション能力というのは意外に高い。
大人なら躊躇するであろう距離感を余裕でズケズケと踏み越えてくるのだ。
龍輝くんが唐突に俺に友達な、と言ったようなことが普通に皆出来るわけで。
でもそれが、俺にとってはありがたく、また新鮮な経験だったということだ。
ちなみに、俺や龍輝くんが所属することになった《星組》であるが、そこには我が許嫁たる咲耶もしっかりといた。
初日というか入園式の時は離れた席に座ったので話せなかったが、今では普通に会話する。
ただ、俺と違って咲耶は人気者なんだよな。
幼児にして、見た目がこの幼稚園の誰よりも整っているのもさることながら、黙ってそこに立っていても人を引きつけずにはいられない、カリスマ性のようなものを感じるのだ。
女王の風格というか……。
そのため、男女問わず人気を集めていて、彼女と話したい、遊びたい子供は枚挙にいとまがない。
そのため、中々俺も話しにはいけない状況にある。
まぁ別に、友達がいっぱい出来て良いことだろう。
そう思っていたのだが……。
「……武尊さま」
幼稚園での授業というかプログラムというか、そういうものが一通り全て終わり、迎えを待っている時間になってしばらく。
人が大分減ってきた辺りで、咲耶が俺の方にやってきて、そう声をかけてきた。
「あぁ、咲耶。どうかした?」
俺がそう尋ねると、咲耶は答える。
「……して、……ですか?」
「え?」
「どうして話しかけに来てくれなかったんですか!?」
「えぇ……?」
割と静かめな雰囲気のある咲耶にしては、意外な程に大きな声だったので、俺は驚く。
しかもちょっと涙目だ。
これは……。
「咲耶は……寂しかったです。武尊さまは、私の許嫁なのに……」
そして、割と決定的なことを言う。
この事実は、幼稚園では知られていなかったことだ。
というか、色々と常識のついてきた今の俺だからこそ分かることだが、許嫁システムなんてものは気術士以外の家ではまず見られるものじゃない。
そんなものは古く、廃れた、古代の遺物だという見方の方が強い。
ある種の憧れみたいなものは存在してはいるようだが、それだけで……。
だから、一般人も通うこの幼稚園内では公言しないことになっていたのだが、咲耶は感情が高ぶって思わず言ってしまったようだ。
「いや、咲耶……その」
「許嫁はずっと一緒にいるものなのです……離れてはいけないのです……」
そう言ってさめざめと泣かれると、俺がひどく悪いことをしている気分になる。
まぁ、俺が悪いのか?
あんまり話しかけなかったから……いやでも、囲まれてるのに押しのけていくのはちょっと問題だろう。
うーん、どう言ったものか。
俺は考えに考えて、言った。
「いや、咲耶、それはちょっと違う」
俺の言葉が予想外だったのか、咲耶が顔を上げて、
「……え?」
と言った。
うん、この虚を俺は突くべきだと察し、俺はまくし立てるように続ける。
「許嫁っていうのは、ずっと一緒で、離れてはいけないもの。それはそうだけどね。でもそれは物理的な距離の話じゃないんだ」
「……ぶつり……?」
「ええと、実際にこうして、近くにいなきゃいけないわけじゃないってこと」
そう言って俺は咲耶の手を取り、近づいて瞳を見る。
「っ……あ、あの、手を……」
「おっと、ごめんね」
パッと離すと、咲耶は少し残念そうな表情をしたが、俺に続きを求めるように見つめてくる。
「つまり……たとえば、咲耶がお家にいるとき、僕も家にいるとき、離れているでしょ? それでも許嫁なのは変わらないじゃないか」
「それは……そうです」
「どうしてか。それはね、きっと心で繋がってるからだよ」
「心で……?」
「僕が家にいても、咲耶のことを考えてること。咲耶がお家にいても、僕のことを考えてること。それが続く限り、僕と咲耶は許嫁なんだよ……そう、たとえ、ぜんぜん会えてなくても。そう信じられることが……許嫁なんだよ……」
我ながらうさんくさい話であると思う。
けれど、咲耶は俺のこの言葉に少し考え、それからなるほど、という顔になって、明るい表情を浮かべる。
そして、言った。
「武尊さま……」
「うん?」
「私、分かりました」
「そうか、分かってくれたんだ」
「はい! 私は武尊さまを何があろうと、信じます。ずっと、ずっと。それが、許嫁なんですね……?」
「うん……? うん……まぁ、そうかな……そうだね!」
若干、違うような、不穏な空気が感じないでもなかったが、俺にとって都合が良さそうなので、頷いてしまった。
これが大きなやらかしだったのだ、と気づくのはここからかなり後のことになるのだが、このときの俺は、うまく咲耶を言いくるめられたと言う気持ちしかなかった。
ただ、このときの話が良い方向に咲耶の行動を転がしてくれたのは事実だった。
咲耶はこのときから、俺が何をしていても不安そうにすることがなくなったからだ。
もちろん、全く話さないというわけではなく、話せるときには話したし、仲良くした。
俺と咲耶が許嫁であることについては、気づけば広まっていて、面倒なことになるかも、と考えていたが、以外にも園児たちは優しかったというか、気を遣ってくると言うか、俺と咲耶を機会があれば二人きりにしようとしてきたりとかしてきたくらいだ。
龍輝くんですら、そのあたりには気を遣っていたから面白いものだと思ったのだった。
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