第二話 

 終演後の楽屋は関係者でごった返していた。

 会話中のスエツグさんに声をかけると、破顔で握手を求められた。

「ライブどうだった?」

「最高でした」

「うそつけ。どうせ寝落ちしたんだろ」と笑いながら、肩に手を回してきた。

「彼女?」とシノダさんを見た。彼女は緊張気味の面持ちでぺこりと頭を下げた。

「バイトの同僚です」

「そうか。きてくれてありがとうね」

 彼女に声をかけ、「また連絡するわ」と談笑の輪に戻った。

「ずいぶんと親しいんですね」

「もう三年くらいの付き合いだからね」

「希少な古着を率先して紹介してたって言ってましたっけ」

「そうそう、それでたまに食事をするようになって」

「才能を認めてくれてるのかしら」

「どうだろうね」

 何度かデモテープを聴いてもらったことはあるが、反応はうすかった。急速に仲良くなったのは、個人的な頼まれごとビジネスをするようになってからだ。ただ、ライブや食事に誘われることはあっても、コウイチさんや他のメンバーに紹介はされなかった。だからこそ、マネージャーのヤマモトさんとコネクションをもてたことは、大きな進展だった。


「よおーっす! 新曲書いてきた?」

 とヤマモトさんがにこにこ顔で近づいてきた。

「はい! 持ってきました!」

 とCD-Rを渡した。

 年の頃は五十代前半あたり。「どんな大御所おおごしょアーティストを前にしても物怖じしたことはない。いずれはレコード会社の社長にのし上がるつもり」の言葉通り、あいかわらずの大物オーラを放っていた。

「じゃあ、あとで新曲の感想を送るから」

「よろしくお願いします!」

「葬儀屋の子?」

 シノダさんをチラ見して、声をひそめた。

「ええ」

「かなり蝋人形ろうにんぎょう度高めだね」

 と耳打ちした。

「葬儀屋は屍体したい慣れしてますから」

 と冗談で返した。


「事務所のひとですか?」

 ヤマモトさんが立ち去ると、シノダさんが話しかけてきた。

「うん。ベンズのマネージャーだよ」

「へえ」と鼻を鳴らした。

 さっきのやりとりを聞かれただろうか。不安になって、「ちょっと変わり者でね」と言い添えた。

「変なひとの近くには変なひとが集まりますもんね」

 と彼女はそっぽを向いた。

「一人でギターを弾いている変人には誰も近づかないみたいよ」と隅の汚いソファでアコギを弾いている孤独なギタリストヤマトコウイチを指した。

「まだ弾き足りないんですかね」

 と彼女は微笑んだ。

「ひとと接したくないだけでしょ」

 と言うと、無視された。

「ていうか、いまが絶好のチャンスじゃないの」

「じゃあ、行きましょうか」

 さっそうと彼女は歩き出した。僕はといえば、彼女の神の御前ごぜんの手前で遠慮した。

 だいぶ前のことだが、楽屋でスエツグさんが僕の顔がツムグに似てきたと揶揄からかったことがある。間髪入れずにコウイチさんが立ち上がりざま空き缶をゴミ箱に叩きつけると、スエツグさんを含め、みな押し黙った。尋常じんじょうじゃない空気を感じながら、このバンドの柱が誰なのかを思い知った瞬間だった。

「おつかれさまです!」

 彼女の一声で、近場の一味が一斉に振り返った。やはり、触らぬ神にたたりなし的な扱いを受けているのだ。もっとも、コウイチさんはいたって落ち着いた声で応答した。

「中学のときからファンでした。コウイチさんの言葉と音楽で救われたといっても過言ではありません。ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました!」

 深々と礼をすると、コウイチさんはアコギをわきに置いて、彼女の手をとった。「ありがとうね。もっといい音楽を作れるように努力します」

 かわいらしい会釈をした。

「これからもずっと応援してます!」

 二十歳の信者は、湯気立つほどにほおを上気させていた。

 うんうんと言った感じでコウイチさんは再びアコギを爪弾いた。やけにやさしいメロディーだった。ほらほら、神がメッセージを送ってるよ、もう一声を待ってるんだよ、と内心ほくそ笑んだ。


 もう一歩神に近づくチャンスを逃した彼女だったが、顔つきはさっきまでと違っていた。神の啓示けいじを受けた信者の心境だろうか。いずれにせよ、興奮が落ち着いても余韻よいんは残る。ある程度の基準を満たす相手なら一晩くらいならいいかと思うかもしれない。何気にラブホテル街方面に向かっていることに彼女は気づいているだろうか。

「電話鳴ってますよ」と指摘されるまで気づかなかったのは、妄想に浸っていたせいじゃない。雑踏ざっとうではよくあることだ。

 電話は切れていたが、すぐさまメールが着信した。

「ごめん。返信だけしていい?」

「どうぞ」


<今夜の蝋人形ちゃん、どうにかならない? Yamamoto>

 

 正直、読まなければよかったと後悔した。実を言うと、どこかの段階でこのメールがこないように祈る気持ちがあった。シノダさんに特別な感情を抱き始めている? どうだろう。女なんて吐いて捨てるほどいるし、ヤマモトさんのお下がりがイヤなわけでもない。その後のフォローだって毎度ゲーム感覚で楽しめたし、そもそも彼女らの記憶に残るのは二番手の僕だけだ。

 ただ、今回はかなり異例のケースでもある。シノダさんがコウイチさんのファンじゃなかったら、ベンズのライブに誘いはしなかった。実行前にヤマモトさんの存在を知られたことも気がかりだったが、依頼主マスターのごきげんを損ねるわけにはいかない。


<どうにかしますので、どうにでもしてください(笑)> →送信


「お待たせ」と歩き出そうとすると、「ちょっと待ってください」と彼女に呼び止められた。

「わたしを二万円で買ってくれませんか」

 二本指を立てたが、当然ピースサインの意味はない。

「あ、でも、ホテル代を入れたら二万五千円くらいかも。お泊まりがいいならそれでもオーケーです。その辺はおまかせします」

「あ、そういうこと?」

 おどろきで、すっとぼけた返答をしてしまった。

「ちがいます。誰とでも寝るわけじゃないです」

 彼女も勘違いしたようだ。

「ライターになるにはたくさんのライブに通わなきゃいけないって前に言いましたよね。貧乏学生にとっては出費がキツイんです。ていうか、どん引きましたよね…」

 やや落ち込んだ風の笑みを浮かべた。

「そんなことはない」と僕は答えた。

 そんなことはない。女側から誘われたのなんて初めてだったから、おいおい、こんなに物事が簡単に運んでいいのかと思っていただけだ。

「じゃあ、宿泊コースで」

 と財布を開けようとすると、

「こんな街中でやめてくださいよ!」

 あわてた様子に、こちらもわれに返った。

「ていうか、交渉成立ですか?」

「お願いします」

 と先ほどのコウイチ風の礼をすると、

「こちらこそよろしくお願いします」

 と彼女はうやうやしく頭を下げた。


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