再会

 今日も何事もなく仕事が終わり、急ぎ足で『Ciel事務局』へと向かった。


 写メ日記とTwitterにそれぞれ個人的な呟きや好きな食べ物、出先での食事、好きな映画や趣味のジョギングの事などを書き、最後にスケジュールを載せる。そんなプライベートを垣間見る内容が受けてか指名客も増え、最近ではスケジュールをアップすれば予約が入り、数日後には『予約満了』の文字が踊るようになった。体力的にキツいと思う日もあるが、リピートしてくれるお客や新規の客との時間はツカサにとって毎回新鮮であり、刺激となっていた。


 レナから当日キャンセルのDMを貰ってから早くも3ヶ月が過ぎた。

 あれからレナから新たな予約も入っておらず、DMもこない。写メ日記とTwitterは以前は頻繁に更新されていたのに、最近は3日に1度、少ない時は2日に1度の更新で、出勤時間も午前中のみが多く、時折体調不良で当日欠勤をする事もあるようだ。

 キャンセルの時、通っている福祉センターから母親がいなくなり、その後無事に見つかった報せのDMを貰い安堵した。しかし、以前から認知症の症状が徐々に悪化していると聞いていたので心配はしているが、レナからDMも何も無い限りこちから、あれこれ訊くのは迷惑になってしまうかもしれない。だからレナから再び予約なりの連絡が入るのをただ待つしかなかった。


「お疲れ様です」


 着替えと施術用の道具一式が入った鞄、あと予備のタオルをレンタルする為、事務局に立ち寄る必要があった。


「おっ!ツカサさん!今夜も予約が入ってますよ」


 事務局の松田がツカサに気付くと同時に上機嫌で近寄ってきた。


「あの話、考えてくれました?」


 松田が言うのは、ツカサの元には『女性向け風俗』関連のサイトから他店舗のセラピストと合同、もしくは対談式インタビューの話が何件が来ているのだがツカサは顔出しNGにしている為、返答は慎重にしたいと思っておりまだ正式な返答を出せないでいた。


「まぁ…前向きに考えていますが…」

「出来たら良い返事をお願いしますよ。ツカサさんは最近人気出てきていますし、この勢いで行けばナンバー入りも確実ですし」


 松田の言葉は大袈裟なように聞こえるが、強ち冗談ではなかった。

 実際 予約満了の数や口コミの数などを取ってもツカサのナンバー入りは間近で、事務局としても今までのリピート客を大事にしつつ、メディアへの露出で店舗とセラピスト・ツカサを宣伝してもらい、新規客を取り込みたい考えがあった。


「う〜ん、良い返事をしたいんですけどね…」

「お願いしますよ!今日明日に先方に連絡入れないといけなくて」

「分かりました。受けます。ただし松田さんにお願いがあるんですが…」

「本当ですか! 出来る限りの事はしますよ!」

「以前、僕の実技講習をして下さった先生に、もう一度僕をテストして欲しんです」

「えっ!岬先生にですか。まぁ、先生の都合を訊いてみないと分かりませんけど、ツカサさんは、もうあの時とは違うし、別に再テストを受けなくても…」

「いいえ、あの時はあの時ですが、今回は今の僕をテストして欲しいんです。あと…あの時は聞けなかった事を今度は色々聞いて、これからに生かしたいんです」


 松田はツカサの真剣な表情に負け、「分かりました」と返事をした。


「まぁ、取材がOKの返事をいただけたので、しっかりセッティングしますよ」


 松田に頭を下げるとツカサは急いで着替えと身支度を済ませ、事務局を後にした。




 インタビュー企画の話にOKを出して数日後、松田から連絡が来た。


『岬先生に話したら、快諾してくれましたよ。スケジュールは今週は夕方くらいからならいつでも都合が付くそうなのでツカサさんに合わせてくれるそうです』


 出来るだけ今週中が良かったので、明後日の19:00新宿で待ち合わせでお願いした。



 

 約束の日当日。

 早めに新宿に到着し、スタバで時間を潰しながらツカサはずっと落ち着けないでいた。

 今日は普通の施術ではない。以前自分の実技を講習し、テストしてくれた講師と久しぶりに会うのだ。 あれから暫く期間が空いているし、粗相は無いと思うが、それでも変に緊張してしまう。


「ツカサさん」


 約束の時間調度に待ち合わせ場所であるアルタ前に着いた。

 声がした方を見ると、一人の女性が立っていた。かつてツカサのデビュー前に彼の実技講習を担当した講師・岬だ。


「岬さん、お久しぶりです」

「まさか再講習をする事になるとは。しかもツカサさんから直々のご指名なんて、嬉しい限りです。それにしても何だか垢抜けましたね、ツカサさん」

「そうですか?僕自身はよく分かりませんけど」


 ツカサはさり気なく岬の手を取り、事前に調べておいたホテルへ向かって歩き出した。




 ツカサが選んだホテルは歌舞伎町から近い場所にあり、口コミでも評判が良いホテルだった。


「やっぱり、垢抜けましたよ、ツカサさん」


 シャワーを浴び終わり、ツカサからマッサージを受けながら岬は呟いた。


「以前と違います?」

「まず、エスコートが完璧でしたし。ここまでの流れも文句無しです」

「以前は…エスコートも出来ていませんでしたしね」

「それもありましたけど、今回はさり気なさが至る所にあって、女性を大切にしている姿勢というか…優しさを感じます」


 岬の言葉を受けながらツカサはセラピストの門を叩いた、あの日の事を思い出していた。



 新人研修の最終項目。講師を実際の客に見立てて、待ち合わせ、エスコート、そしてマッサージとサービスに至る全ての実技試験の日。 

 全行程を終え、ツカサは先程から『セラピストチェックシート』に向かって難しい表情でペン先を送っている岬の言葉をただ待つしかなかった。


「う〜ん…何て言ったらいいかなぁ…」


 岬は先程からペン先を走らせては止まり、独り言を繰り返していた。

 ツカサはどう反応して良いか分からず、ただジッと座って待つしかない。まるで成績最下位の生徒が職員室に呼び出され、教師からお叱りの言葉を待つ心境だった。重い空気のあまり、ツカサの顔には汗が流れ、掛けていたメガネを取って汗をハンカチで拭った。


「…お待たせしました」


 しばらく悩んでいた岬は、ペンを置き、ようやく書き終えたチェックシートをツカサに渡した。

 恐る恐る渡されたシートに視線を落とすと、ツカサは書かれた内容に言葉を失った。



セラピストチェックシート

【評価】

良い 3

普通 2

悪い 1

お気付きの点があれば自由に書いてください。


1、 待ち合わせ時の印象

2

無理に笑っているのが気になりました。



2、 ホテルまでのエスコート(事前に調べていたか等)

3

下調べは完璧でした。スムーズに行けたのが良かったです。



3、 カウンセリング時に飲み物提供

2

飲み物の提供はありませんでした。



4、 ホテルに入室後のカウンセリング

2

流れは悪くはありませんでしたが、カウンセリングをしつつ、もう少し会話があればよいと思いました。



5、 浴室、ベッドメイク等の準備の出際

3

手際は良く、準備はスムーズでした。



6、 施術の流れ

2

流れは完璧でしたが、女性を大切にしたい、気持ち良くしたい…等の気遣いや気持ちが感じられませんでした。


【総合評価】

一連の流れは悪くありませんでした。施術にしてもエスコートにしても全体的に心がこもっていませんでした。

何故セラピスト業をやるのか?

どんな風に女性を癒すのか?

ご自身の中でテーマを一つでも良いので決めて、女性に接してみてください。


「心が…こもっていないって…」

「実技としては完璧でしたよ。でもそこに『優しさ』が感じられませんでした」


 初めての実技であったが、自分の中では良く出来た方だと思っていただけに、岬の言葉は意外過ぎて、言葉が出てこなかった。


「…どうしたら、良いですか?」

「セラピストとしての目的を持つ事が1番大事だと思います。セラピストになる人の目的はそれぞれです。女性を癒したい、マッサージ技術を向上させたい、お金を稼ぎたい、人の笑顔を見たい…その為に何をすれば良いか。目的を定めれば、自ずと答えは見えてきます。 ツカサさんはどうしてセラピストをやろうと思ったんですか?」

「……分かりません。自分でも理由は良く分からないんです。ただ…」

「ただ?」

「知りたいと思っています。男性と違う、女性の気持ちや、考えとか」

「そうですか。でも、今のツカサさんではそれすら難しいかもしれませんよ。何故だか分かりますか? ツカサさん自身が相手に心を開いていないからです。こんな事を言ったら失礼ですが、ツカサさん…何だか冷たい印象を受けますし、そのせいか施術も気持ちが感じられませんでした。まずツカサさんが相手に心を開いて、しっかり相手の気持ちに寄り添う事。それが出来なければ相手が男性だろうと女性だろうと、他人の気持ちも分かりません。難しい事ばかり言ってしまいましたが、まずツカサさんが相手に心を開いてみて下さい。それが出来なければ、セラピストを続けるのは難しいでしょう」



『あなたは…冷たい人ね!』


 聞いたことのある声がツカサの中で響いた。


 本当は分かっていた。相手に対して冷たい印象を与えてしまっている事を。けれど認めたくなかった。弱さや欠点を認めることは、負けることだから。

 相手がいて、成立する職業なのに。ツカサの中の変なプライドが邪魔して素直になる…心を開く事が出来ずにいる。どう心を開けば良いのか。考えれば考えるほど分からなくなっていく。答えはきっと単純なはずなのに…。


 身支度をしている時、岬から鏡の前に立つように言われた。


「ツカサさん、メガネを外すのは難しいですか?」

「いいえ、コンタクトをすれば、メガネをしなくても大丈夫です」

「では、メガネは取って…」


 そう言いながら岬はツカサが掛けていたメガネを取り、次にネクタイを外し、シャツの第二ボタンまで外して首元から肌が微かに見えるところまでシャツを開いた。


「ちょっ!ちょっと!!」


 突然の事でツカサは驚きと恥ずかしさで変な声を出してしまった。


「これで良し!」


 鏡の前に映るのは、さっきまでのネクタイ姿と違って、大胆に胸元あたりまでシャツが開き、どこか色気が漂うツカサがそこにいた。


「これで時々スーツを変えるように髪型を変えたり、色々ご自分でアレンジしてみてください。ツカサさんは年齢的にも大人の色気があるので、その良さを生かさないと勿体ないですよ」



 

 岬の口から「ふふ…」という笑い声が漏れた。


「どうしたんですか?」

「ちょっと思い出していたんです。以前のツカサさんの事」

「あぁ〜、何だか何年も前の事のように勘違いしてしまいますが、まだ今年の出来事なんですよね」

「それにしても、ツカサさんがこんなに垢抜けたのは予想外でした。どこかで垢抜ける瞬間はあると思っていましたが。以前とは比べものにならないくらい言う事無しですよ」


 話しながら岬の手は以前と違い、迷う事なくスラスラとペンを走らせ、セラピストチェックシートに記入していく。


「はい、お待たせしました。今回は文句無しの高得点です」


 渡されたチェックシートには、前回と違って高得点と賛辞のコメントが綴られていた。

 それらに目を通しながら、これが今の…セラピスト・ツカサとしての評価なのだと、改めて自信を得た。


「何か、目標が出来たんですか?」

「え?いえ、特には。ただ…」

「ただ?」

「色々な女性と出会う機会があって、今まで自分が知らなかった女性の身体の事や、考えとか…色々な事を知ることが出来たんです。女風ユーザーさんは様々で、セラピストに求める事も人によって違うし。知れば知るほど色々な表情や仕草を見たくなるんです。まだ自分が知り得ない女性像があるような気がして。 あ、こんな事を思うのって変ですか?」

「いいえ、変じゃありませんよ。ツカサさんの言う通り、女風ユーザーがセラピストさんに求める事は性感だけでは無く、人それぞれです。面白い事に誰一人として同じ人間はいません。それはセラピストさんも同じです。ツカサさんのように年齢が上の人もいれば、マッサージに秀でている方、お話が上手な方もいたりと、誰一人として同じタイプのセラピストさんはいません。私もそれは驚いていますし、同時にみんなタイプが違うので面白いなと感じています」


 

 夜の新宿は人通りも多く、賑わいに溢れていた。

 ツカサは岬とホテルを後にし、待ち合わせ場所だったアルタ前に戻ってきた。


「岬さん、今日はありがとうございました」

「こちらこそ。ツカサさんの成長振りには正直驚きました。写メ日記とTwitterも見ていますので、これからも頑張ってください」

「あの、岬さん、一つ訊いてもいいですか?」

「何でしょう?」

「……今の僕は、岬さんから見て、どんな人間に見えますか?」


 岬は少し考えたあと、ツカサを見つめながら答えた。


「今のツカサさんは、『優しさに溢れたセラピストさん』として私の目には写っていますよ」

「…ありがとうございます。その言葉が聞けただけで十分です。変な事を訊いてすみませんでした。これからも頑張ります」



 岬と別れたツカサは暫く駅のホームのベンチに座り、何台かの電車を見送っていた。


『あなたは…冷たい人ね!』


 又あの声が脳裏を過った。

 その言葉を思い出すたびに いつも立ち止まり、返す言葉が見つけられずにいた。だが、今日ようやく返せる言葉が見つかった。


『そうだね。僕は冷たい人間だった…ごめんね』


 返せる言葉が見つかっても、もうその言葉を言える相手はここにはいない。

 どんなに後悔をしても時間は戻せないのだ。


 後悔と今日改めて得られた自信。2つの異なる心情を抱えながら、ツカサは星の見えない夜空を静かに見上げた。

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