セラピスト

 女風に関してあれから色々検索してみて分かったが、20代のセラピストしか在籍していない店舗があったり、逆に20代は取らず、30代以上しか在籍しない店舗があったりと、男性が利用する風俗と似たように女性用風俗も各店舗でそれぞれの特色を生かし、様々な女性のニーズに対応出来るようになっている。

 『Ciel』はそんな数ある店舗の中では総合的で、幅広い年齢のセラピストを在籍させ幅広い世代の女性に合う人材が揃っていた。


 写メ日記を更新情報をTwitterで呟く度、いつものフォロワーに混じりツカサも「いいね」をほぼ毎回してくれるようになった。ツカサから「いいね」が付く度、レナもツカサの写メ日記を覗いてみる。出勤前に自室で撮ったと思われるスーツ姿の写真、出勤情報の更新など、相変わらずプライベートを垣間見れるような内容は少ないが、そんなミステリアスな部分が逆に好奇心を擽られる。


 連休前の平日は客足が思うように伸びず、午後から待機をしていた。

 今日は予約も入っていないし、早めに上がってしまおうか。そう迷っていた時プライベート用のスマホが鳴った。母からだ。


『美奈ちゃん!大変なのお財布が見当たらないのよ!鞄の中とか何処を探しても見付からないの!!』


 取り乱している声だ。

 ここ数日 母は財布が無い、印鑑が見当たらない、鞄が無いと言っては電話をかけてくる。本当は失くなっていないのに、冷静な判断が出来ずパニックになるが、時間が経つと忘れてしまう。

 最初は心配から真に受けて早退させてもらい、急いで帰宅したが当の母本人は財布を失くしておらず、更には電話をした記憶も無いという。

 心配して損した。その日はあと2名の事前予約が入っており、幸い2名共常連でレナの事情は知っていてくれたので別日に振り替える事が出来たが、もしそうじゃなかったら間違いなく次の来店は無いだろう。キャンセルとなれば稼ぎも減るし、当日キャンセルが続いてしまうとレナの評判にも関わってしまう。

怒っても本人に記憶が無いのでは話しにならず、最近は適当に返事をして受け流していた。


「帰ったら一緒に探してあげるから」

『何時に帰って来るの?早く帰ってきてくれないとお買い物にも行けないじゃない!!折角今夜は美奈ちゃんの好きな肉じゃがにしようと思ったのに!お願いだから早く帰ってきて!』

「食事なら昨晩カレーを作ってあるし、お母さんの分は大丈夫よ。必要なものもこっちでメモしてあるし買い物は私がするから。仕事終わったら又電話するわね」

『ちょっと!美奈ちゃ…!』


 強引に通話を終えた。最近母との通話を終えると決まって溜め息が出てしまう。同じような事が最近多くなり、今では仕事終わりにかけている電話をするのも億劫に感じてしまってきている。自分はいつからこんな心が狭い人間になってしまったのだろう。

 いや、ならざるを得なかったのかもしれない。今は母は認知症と診断された当初とは明らかに違っている。症状が進行し、以前では考えられなかった言動がここ最近一気に増えた。

 母の面倒をみて、いずれ本格的な介護が必要になったら、何がなんでも頑張る。そうして2人で生きていく、と決めていたのに…。

認知症と診断されてから あらゆる事を想像し、必要な事は福祉センターのスタッフや西本カウンセラーに訊き、インターネットで調べていたが、それらが徐々に現実味を帯びてくると、冷静でいる事の難しさを痛感した。

 本当はもっと優しい口調で、パニックで不安になっている母を落ち着かせてあげたい。

 頭では分かっている。でも現実はパニックの声を聞いた途端、分かっていた事が殆ど白紙になり、聞き流す事を選んでしまう。

聞き流すのも一つの手段という者もいるが、果たしてどれが正解なのか。

これで本当に母のサポートをしていると言えるのか。考えても答えは出ない。


 悩んだ末に、福祉センターのスタッフ・川崎に連絡を入れ、事情を話した。

川崎もここ最近の母の物忘れや言動の変化に気付いていたらしく、地域のボランティア団体を含め、認知症支援団体や施設を当たっていたらしい。今はまだ探している最中だが、良い解決策が出せるように急ぎます。と力強い返事を貰えた。

 自分以外の人に話をする事でほんの少し気持ちが軽くなる。それはレナを演じている美奈子にとって心強いものだった。


 予約も入っていないので早めに上がらせてもらった。仕事終わりとはいえ、先ほどの事もあり、母に電話を入れる気になれない。

 普段ならそのまま三ノ輪駅に向かい電車に乗るところだが、今は帰る気になれない。

 以前先輩から教えて貰った都電三ノ輪橋駅近くの珈琲館に入り、本日のオススメコーヒーを注文した。ここで気持ちが落ち着くまで待とう。

 恐らく母は電話で言っていた財布の事、美奈子が強引に電話を切った事はすでに忘れているだろう。だからと言っても笑顔で顔を合わせられる自信は無い。


 コーヒーを待つ間、Twitterをチェックするとフォロワーがさっき更新した『お疲れ様でした』の写メ日記に「いいね」やコメントをしてくれていた。その中にあの『ツカサ』も「いいね」を付けてくれている。

未だに挨拶DMしか交わしていないセラピスト。

 予約を入れる訳でもなく、お互いの写メ日記を介して遠くから見つめ合うような相手。モザイク越しの表情はどんなだろう。どんな声なんだろう。そしてどんな事をしてくれるだろう。


「…女風…かぁ…」


 ジャンルこそ違えど、同じ風俗の世界にいる。男性が利用するのではなく、完全に女性が利用するために創られた世界。


『この仕事って相談出来る人は限られるじゃない。ソープとセラピストは異なる部分はあるけど、同業者みたいだし、気楽に悩みや愚痴を言えるから…』


 ふとエレナの言葉が頭を過ぎる。

今 美奈子がレナとしてソープ嬢をしている事を知っている者はいない。

 OL時代の同期や後輩、上司が今の自分を知ったらどう思うだろう。白い眼を向けてくるだろうか。それとも哀れむのか。どちらにしろ、ソープの事を打ち明けたからと言ってどうにかなる訳ではない。ましてや母や福祉センターの川崎を始めとするスタッフにも。

打ち明けられない部分を打ち明けられるのは店の先輩、もしくは同業者となる。

 ツカサはTwitterとはいえ、ソープ嬢・レナを知っている。だから嘘を考える必要もない。


『もしツカサさんが優しい人だったら、本音で話が出来るかな…』


 考えと共に、スマホを弄る指は『Ciel』のホームページに飛び、『ツカサ』のページのスケジュール欄にたどり着いていた。

 来週1週間は平日が16:00〜23:00の出勤で、土日は10:00〜19:00となっている。

 平日はどこかでお店を早めに終わる日を作れば、夕方から大丈夫だ。躊躇いも無く予約画面に向かい、必要事項の欄を埋めていく。


ご予約日:○月○日(水)

ご希望のセラピスト:ツカサ

ご希望の時刻 17:30

ご希望コース:性感コース 120分

お名前:レナ

メールアドレス:△△△@×××.jp

電話番号:090-○○○○-××××

待ち合わせ駅・場所:池袋


 予約のボタンを押す瞬間、ふと冷静になった。


 予約をしたら、来週にはこのツカサというセラピストに会う。認知症の母親の存在を置いて。

 福祉センターのスタッフが母を支え、面倒を診てくれているのに自分は見ず知らずの、しかもお金で男性を買おうとしている。最悪だ。情けない!!母親に悪いと思わないのか!?

 頭の中で誰だか分からない声が響き、予約ボタンを押す指を鈍らせる。確かにそうだ。綺麗事を並べても、友人とショッピングや食事をする事とは違って、セラピストを予約する事はお金でそのセラピスト(男性)の存在と時間を買う事だ。 しかも自分には面倒を診なければいけない母親がいて、心配し支えてくれる福祉センターのスタッフもいる。今この予約ボタンを押す事はそんな人達の心を裏切ってしまう行為なのではないか。

 背徳感を煽る言葉が頭を占め、予約ボタンから離そうとする。それは制御装置みたいなものだ。しかし美奈子は頭の中で響く声を振り払い、思い切って予約ボタンを押した。


 あれだけ迷ったのに、予約をしてしまうと不思議な程呆気なく、後ろめたさも感じない。

 しばらくすると、『Ciel事務局』から『ご予約内容の確認』の件名でメールが届いた。

 メールには先ほどの予約欄に美奈子が記入した内容の反映と料金が表示されていた。

【120分コース料金】、【交通費】、最後に【新人割引】が適応され、合計金額は15,000円。

最後に、『ご利用料金は当日、直接セラピストにお渡しください』と書いてあった。正にデリヘルだ。

 一通り予約確認のメールを読み終えた頃、いつの間にかコーヒーが手元に置かれていた。

 新人割引があるとはいえ安くない金額だが、風俗を利用する男性も貴重なお金を使ってひと時の快楽を買っている。そう考えたら、女風というジャンルもソープのようにレベルが高い職種なのかもしれない。

 

 コーヒーを二口ほど付けた時、TwitterのDM通知が鳴った。


『レナさん

Cielのツカサです。

事務局から連絡があり、この度はご予約ありがとうございます。僕はまだ新人で至らぬ点も多いかもしれませんが、誠心誠意レナさんに楽しんでいただけるよう努めますのでよろしくお願いします。レナさんは以前 女性用風俗のご利用はありますか?』


 ツカサから初めて長い文章のDMだ。文章から察して、真面目で誠実な性格かもしれない。

 母との生活が自分にとって大事だ。どんな犠牲を払っても母を見捨てず支える事を選んだ。結婚の選択肢もそして新しい恋をする気も無い。しかしそんな決心の裏でこのまま『女性』として見られる時間が刻一刻と過ぎていき、いつか迎えるであろう賞味期限の瞬間に怯えている。人生は一回きり。ならば例え風俗という形でも『女性』として扱われてみたい。そう思った瞬間、何かが振り切れた。


『ツカサさん。レナです。

DMありがとうございます。思い切って予約をしました。今から凄く楽しみなのですが、私は女性用風俗は初めてで、在籍店の先輩から話を聞いただけです。この機会ですから是非色々と教えてください』


 DMを打っている最中、何だかウキウキして思わず口角が上がってしまう。こんなにウキウキした気分はいつ以来だろう。


『レナさんへ

女性用風俗は初めてでしたか。ではレナさんさえ良ければ待ち合わせ時間の少し前にお会い出来ますか?初めてでしたらお茶を飲みながらご説明を兼ねて少しお話しをさせていただけたら幸いです。

僕のやり方は時間前にお茶をしながらお話しをしてリラックスしていただき、その後ホテルで施術致します。事務局には事前に僕から連絡しておきますし、お茶タイムの時間はコース時間には入れませんので。

もし時間的に難しいようでしたら待ち合わせした後、ホテルにてお話しをさせていただきますので。お気軽に選んでください』


 DMを読んで、ツカサというセラピストは真面目にお客である女性と向き合おうとしているのだと感心してしまった。新人ゆえの必死さもあるかもしれないが、根が真面目なのは間違いない。どんなセラピストなのか、益々興味が湧いてきた。


 まだ来週の出勤日程は出していないし、今から十分に調整は可能だ。折角だし、初めて逢うツカサと話してみたい。


『ツカサさん。お気遣いありがとうございます。

是非初めてなので、ツカサさんとお茶をしたいです。もうご存知でしょうが私は吉原でソープをしています。まだ来週の日程は出していないのでいくらでも調整は可能ですが16:30に待ち合わせでいかがでしょう?』


『レナさんへ

ありがとうございます。

では16:30に池袋駅のいけふくろう像の前で待ち合わせ致しましょう。当日の服装は決まり次第ご連絡を入れます。

ソープのお仕事は身体に負担もかかりますし、大変なお仕事だと思います。当日までどうか無理なさらないでくださいね。お会い出来るのを楽しみにしています』


 まだ見ぬツカサを想像しながら、労いの言葉に笑みが溢れる。


「楽しみだなぁ」


 思わず独り言が口をついた。

楽しみがあれば人はどんな事でも頑張れる…という言葉を聞いた事があるが、今の自分は正にそうだ。例え嫌なお客に当たっても、パニックに満ちた母からの電話を受けても、我儘を言われても、今なら笑顔で受け止められる自信があった。

 コーヒーの残りを飲み干して、珈琲館を後にする。

帰宅したら笑顔で母に接しよう。美奈子の足取りは久しぶりに軽かった。

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