第4話 わずかな亀裂

それは、本当にわずかな亀裂から生じた。時刻は24時。私は眠気に襲われ、1階のリビングにいる弟を残して寝室のある2階に向かおうとしていた。


「玄関の鍵、よろしく」


戸締まりが完了しているか確認するのは、最も遅くに就寝する人間。我が家ではそういうルールがあった。普段から頻繁に外出するタイプの一家ではないが、21時頃に玄関の外にいる柴犬に餌をやる。その時、玄関の鍵を閉め忘れることが多い。


父が23時頃に毎晩戸締まりがしてあるかチェックするが、信用ならない。


「よし、よし!」


と、何度も指差確認を行うが、門灯の電気が点いたままということが連発する。何度も確認しておきながら、だいたい抜け目があることにイライラする。


23時頃ということもあり、テレビも面白さが倍増する。リビングで私はテレビを見ているが、その横の玄関から


「よし、よし!」


と毎晩声が聞こえ、イライラする。


この日も私はイライラしていた。父は今日も騒がしく指差確認を終えると、大きな足音を立てながら2階の寝室に向かう。もっと静かに歩けばいいのに、ドスドスと大きな音を立てるのが、より一層イライラを増幅させる。


そんな時、弟が風呂から出てきた。ほかほかした顔でリビングにやって来た弟は、鏡を取り出して液体を顔につけている。私にはその液体がなにか分からないが、美容のためのものということは知っていた。


弟は高校2年生の頃から、顔を触らせてくれなくなっていた。手が顔に触れると、なにかの菌が増殖し、ニキビができると力説し始めた。


ちょうどその頃から顔に液体を塗り始め、顔の白さがみるみる際立つも、その肌には絶対触れられなかった。


以前は容易に触れることができていた。弟はゲームが好きで、1日ほったらかしておくと、ずっとゲームをやっている。見かねた母が、いつも言っていた。


「ゲームやめなさい!」


聞き馴染みすぎて、もはや効力を失っていた。日住生活の中の1ピースとして存在したその言葉は、弟も聞き流しているようだった。


ただ、母も弟を可愛がってた。私のライバル的存在だ。母は私よりも弟に好かれ、思うがままに弟を動かすときが多かった。


その一環として、顔を触ることがあった。白く、ぷっくらと膨れた餅のような肌を触ることで、弟のゲームを容認するというものだった。


「はぁ、もちもち!」


母が弟の顔をムギュっと潰し、弟はされるがまま大人しくしている。そうすることで、ゲーム時間を確保する時期があった。


良き思い出に浸りながら、私はイライラを少しずつ抑えていった。テレビを楽しみ、歯を磨いた後、私は弟に声をかけた。


「もう寝るわ」


弟の返事はない。私は弟の方を見たが、イヤホンをしているわけでもない。


「玄関の鍵、よろしく」


私がもう一度声をかけても、反応がない。私はまだ心に残っていたイライラが着火剤となり、一気に頭が熱くなった。


「おい、反応しろ!」


強めの口調で言った瞬間、弟が立ち上がって私の方に向かってきた。次の瞬間、


「ドン!」


と肩をぶつけ、私の方を睨んでくる。このわずかな出来事が、一気に弟に対する憎しみへと変わっていく。


「おい、お前ふざけてんのか?」


私がそう言うと、弟はさらに私の方に向かってぶつかってこようとする。目はいつもより鋭く、可愛さを感じられない。じっと私の方を睨み、まばたきをしない。


気づけば、私と弟は掴み合っていた。わずかな出来事から、生まれた亀裂。それは、今まで弟を可愛がっていた感情から、憎しみの感情に変わった瞬間でもあった。


みるみる憎しみの感情が浸食していく。愛情と憎しみは表裏一体。この時、初めて身をもって体感した。

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