六
夕暮の机に向う。障子も
踏むは地と思えばこそ、裂けはせぬかとの
されど一事に即し、一物に化するのみが詩人の感興とはいわぬ。ある時は一弁の花に化し、あるときは一双の
余は明かに何事をも考えておらぬ。またはたしかに何物をも見ておらぬ。わが意識の舞台に著るしき色彩をもって動くものがないから、われはいかなる事物に同化したともいえぬ。されども吾は動いている。世の中に動いてもおらぬ、世の外にも動いておらぬ。ただなんとなく動いている。花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、人間に対して動くにもあらず、ただ
しいて説明せよといわるるならば、余が心はただ春とともに動いているといいたい。あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、
この
この二種の製作家に
普通の画は感じはなくても物さえあればできる。第二の画は物と感じと両立すればできる。第三にいたっては存するものはただ心持ちだけであるから、画にするにはぜひともこの心持ちに
惜しいことに
鉛筆を置いて考えた。こんな抽象的な興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である。人間にそう変りはないから、多くの人のうちには、きっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興をなんらの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすればその手段はなんだろう。
たちまち音楽の二字がぴかりと目に映った。なるほど音楽はかかる時、かかる必要に
次に詩にはなるまいかと、第三の領分に踏み込んでみる。レッシングという男は、時間の経過を条件として起る出来事を、詩の本領であるごとく論じて、詩画は不一にして両様なりとの根本義を立てたように記憶するが、そう詩を見ると、今余の発表しようとあせっている境界もとうてい物になりそうにない。余が
議論はどうでもよい。ラオコーンなどはたいがい忘れているのだから、よく調べたら、こっちが怪しくなるかもしれない。とにかく、画にしそくなったから、ひとつ詩にしてみよう、と写生帖の上へ、鉛筆を押しつけて、前後に身をゆすぶってみた。しばらくは、筆の先の
青春二三月。
という六句だけできた。読み返してみると、みな画になりそうな句ばかりである。これならはじめから、画にすればよかったと思う。なぜ画よりも詩のほうが作り
独坐無シ二
とできた。もう一返最初から読み直してみると、ちょっと面白く読まれるが、どうも、自分が今しがた入った神境を写したものとすると、索然として物足りない。ついでだから、もう一首作ってみようかと、鉛筆を握ったまま、なんの気もなしに、入口の方を見ると、襖を引いて、開け放った幅三尺の空間をちらりと、奇麗な影が通った。はてな。
余が目を転じて、入口を見たときは、奇麗なものが、すでに引き開けた襖の影に半分かくれかけていた。しかもその姿は余が見ぬまえから、動いていたものらしく、はっと思う間に通り越した。余は詩をすてて入口を見守る。
一分と立たぬ間に、影は反対の方から、逆にあらわれてきた。
花曇りの空が、刻一刻に天から、ずり落ちて、今や降ると待たれたる夕暮の欄干に、しとやかに行き、しとやかに帰る振袖の影は、余が座敷から六間の中庭を隔てて、重き空気のなかに
女はもとより口も聞かぬ。
この長い振袖を着て、長い廊下をなんど
暮れんとする春の色の、
またこう感じた。うつくしき人が、うつくしき眠りに
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