五
「失礼ですが
「東京と見えるかい」
「見えるかいって、一目見りゃあ、──
「東京はどこだか知れるかい」
「そうさね。東京はばかに広いからね。──なんでも下町じゃねえようだ。山の手だね。山の手は
「まあそんな見当だろう。よく知ってるな」
「こう
「
「えへへへへ。からっきし、どうも、人間もこうなっちゃ、みじめですぜ」
「なんでまたこんな
「ちげえねえ、旦那の
「もとから
「親方じゃねえ、職人さ。え? 所かね。所は
「おい、もう少し、
「痛うがすかい。
「我慢は
「我慢しきれねえかね。そんなに痛かあねえはずだが。
やけに
すでに髪結床である以上は、お客の権利として、余は鏡に向わなければならん。しかし余はさっきからこの権利を放棄したく考えている。鏡という道具は平らにできて、なだらかに人の顔を写さなくては義理が立たぬ。もしこの性質が
そのうえこの親方がただの親方ではない。そとから
彼は
最後に彼は酔っ払っている。旦那えというたんびに妙な
「
「旦那あ、あんまり見受けねえようだが、なんですかい、近ごろ来なすったのかい」
「
「へえ、どこにいるんですい」
「志保田に
「うん、あすこのお客さんですか。おおかたそんな
「奇麗なお嬢さんがいるじゃないか」
「あぶねえね」
「なにが?」
「なにがって。旦那の
「そうかい」
「そうかいどころの
「そうかな」
「
「本家があるのかい」
「本家は
「おい、もう
「よく痛くなる髭だね。髭が
「これから、そうしよう。なんなら毎日来てもいい」
「そんなに長く
「どうして」
「旦那あの娘は
「なぜ」
「なぜって、旦那。村のものは、みんな
「そりゃなにかの間違だろう」
「だって、現に証拠があるんだから、およしなせえ。けんのんだ」
「おれは
「
「頭はよそう」
「
親方は
「どうです、好い心持でしょう」
「非常な
「え? こうやると誰でもさっぱりするからね」
「首が抜けそうだよ」
「そんなに
「お嬢さんが、どうとか、
「
「その坊主たあ、どの坊主だい」
「
「納所にも住持にも、坊主はまだ一人も出てこないんだ」
「そうか、
「誰が驚ろいたんだい」
「女がさ」
「女が文を受け取って驚ろいたんだね」
「ところが驚ろくような女なら、
「じゃ誰が驚ろいたんだい」
「
「
「ええ、
「それじゃやっぱり女だろう」
「なあに男がさ」
「男なら、その坊主だろう」
「ええ、その坊主がさ」
「坊主がどうして驚ろいたのかい」
「どうしてって、本堂で
「どうかしたのかい」
「そんなに
「へええ」
「
「死んだ?」
「死んだろうと思うのさ。生きちゃいられめえ」
「なんともいえない」
「そうさ、相手が気狂じゃ、死んだって
「なかなか面白い話だ」
「面白いの、面白くないのって、村中大笑いでさあ。ところが当人だけは、根が気が違ってるんだから、しゃあしゃあして平気なもんで──なあに旦那のようにしっかりしていりゃ大丈夫ですがね、相手が相手だから、めったにからかったりなんかすると、大変な目に逢いますよ」
「ちっと気を付けるかね。ははははは」
砂川は二間に足らぬ小橋の下を流れて、浜の方へ春の水をそそぐ。春の水が春の海と出合うあたりには、
この景色とこの親方とはとうてい調和しない。もしこの親方の人格が強烈で四辺の風光と
こう考えると、この親方もなかなか画にも、詩にもなる男だから、とうに帰るべきところを、わざと
「御免、一つ剃ってもらおうか」
とはいって来る。
「
「いんにゃ、褒められた」
「
「若いに似ず了念は、よく遊んで来て感心じゃ言うて、老師が褒められたのよ」
「
「捏ね直すくらいなら、ますこし
「はははは頭は
「腕は鈍いが、酒だけ強いはお前だろ」
「
「わしが言うたのじゃない。老師が言われたのじゃ。そう
「ヘン、面白くもねえ。──ねえ、旦那」
「ええ?」
「ぜんてえ坊主なんてえものは、高い石段の上に住んでやがって、屈托がねえから、しぜんに口が達者になるわけですかね。こんな小坊主までなかなか
「痛いがな。そう無茶をしては」
「このくらいな辛抱ができなくって坊主になれるもんか」
「坊主にはもうなっとるがな」
「まだ
「泰安さんは死にはせんがな」
「死なねえ? はてな。死んだはずだが」
「泰安さんは、その
「なにが結構だい、いくら坊主だって、夜逃をして結構な法はあるめえ。お
「狂印という女は聞いたことがない」
「通じねえ、
「狂印は来んが、志保田の娘さんなら来る」
「いくら、和尚さんの
「あの娘さんはえらい女だ。老師がよう褒めておられる」
「石段をあがると、なんでも
「いやもう少し遊んで行って
「かってにしろ、口の減らねえ
「
「なんだと?」
青い頭はすでに暖簾をくぐって、
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