第16話 皇帝は不機嫌

 ヘティリガ皇城。皇帝の第一執務室だいいちしつむしつにて、城の主は心底不機嫌であった。


「おい、なんだこれは」


 ドスの効いた声が響く。ヘティリガ帝国アイヴァン皇帝は、目の前に立っている男に一枚の紙を投げつけた。

 ヒースグレイの長髪をひとつにまとめている。髪色と同じ色の瞳は、レンズの向こう側で極寒ごっかんの地を思わせる冷たさを誇っていた。

 彼の名は、ヨーゼフ・ユハ・カールロ・イシンセス。皇帝が即位したのと同時に、ヘティリガ帝国の宰相さいしょうの座に座った男である。爵位は侯爵こうしゃく。歳は27。皇帝と同い年である。歳の割には、皺が多く目の下の隈も濃い。皇帝の側近そっきんとして、何かと苦労を重ねているのだろう。


「聞いているのか? ヨーゼフ」

「はぁ……聞いていますよ。この新聞の記事はクソだ、けしからん、今すぐ破り捨てろ、ということですよね」

「断じて違う。そんなことを言っているのではない」

「ならなんですか?」


 宰相は、大きな大きな溜息をつく。地面に落ちてしまった一枚の紙を拾い上げ、広げた。

 その紙は、ヘティリガ皇都で人気をはくしている新聞記事だ。その一面を飾っているのは、ヴィオレッタとルカであった。舞踏会で優雅に踊る写真から、ルカがヴィオレッタを男たちから助けた写真まで貼られている。

 「ヘティリガ帝国一の不仲な婚約者のふたり、密会の夜はとびきり甘かった――!?」という見出しと共に、読むのも億劫おっくうになるほどの多くの憶測おくそくが語られていた。

 貴族だけではなく、帝国民からも度々注目されている騎士王と悪女。そのふたりのビッグニュースは、今頃皇都の端から端まで広められていることだろう。この新聞の記事によって。


仲睦なかむつまじくてよいではありませんか。《四騎士》の騎士王と帝国の悪女。このお二方が仲良くすることにご不満でも?」

「不満しかないわ、たわけ」

「よもや……陛下。ルクアーデ子爵令嬢のことを気に入ったと申されるのでは、ありませんよね?」

「気に入らなければ話し相手になどせん」


 皇帝は腰を上げ、皇城の下に広がる街を一望できる窓の前に立つ。どこからか入り込んだ風が、彼の金糸を揺らした。


「そういうことではなく……ひとりの女性として気に入られたのではないか、と聞いているのです」


 宰相の問いかけに、皇帝は黙り込む。都合つごうが悪くなるといつも黙りだ、と宰相は呆れ返る様子を見せた。

 生涯未婚を貫くと断言している皇帝ならば、ヴィオレッタを女性として気に入り、妻に迎えるということはありえない。彼にも、辛い過去、苦い思い出があるだろうから。

 外を眺めていた皇帝は振り向き、緩い寝間着のまま扉の方へと向かっていく。


「陛下? どこへ、」

「客人だ」


 宰相の言葉を遮った皇帝は、第一執務室を出ていってしまった。



 客間が並ぶ宮。最高峰の客人を招く最上階の一番奥の客間に向かった。見張りの騎士たちは皇帝に敬礼をし、扉を開く。両開きの扉の先、会いたかった人物が背を向けて立っていた。ふわりと舞うのは、ルージュ色の長髪。華麗に振り向いた彼女は、柔らかく笑った。


「皇帝陛下。ごきげんよう」


 赤い唇から紡がれる言葉は、ひとつひとつが美しく聞こえた。


「前回は陛下がお茶を淹れてくださったので、今回は私がお茶を淹れてみました。どうぞ、お召し上がりくださいな」


 ヴィオレッタは、テーブルの上へ紅茶が入ったカップを置く。扉の前で佇んでいた皇帝は我に返り、ソファーへ腰を下ろした。そしてカップを手に取り、そっと口をつける。程よい甘さと共に、鼻を抜ける爽やかな味わいが広がる。茶葉が一級品ということもあるのだが、恐らくヴィオレッタの淹れ方が上手なのだろう。


美味びみだ」

「ありがとうございます」


 微笑びしょうしたヴィオレッタも紅茶を飲む。美味しい、と一言。優しく告げた。


「今度、茶菓子も用意しといてやろう」

「まぁ、よろしいのですか? 私、結構たくさん食べますのよ」

「構わん。太れ」

「あら、今のは年頃の女性に対して言う言葉ではありませんわ」

「本音を言ったまでだ。痩せているよりはふっくらしているほうがいい」


 思わぬ流れで、皇帝の好みの体型を聞き出してしまった。痩せているよりは、ふっくらと太っていたほうがいいなど、意外だ。

 さすがに現役最強騎士であるルカよりはガッシリとした体ではないが、皇帝も随分と着痩きやせするタイプであろう。ルカがどんな女性の体型が好みかは知らないが、皇帝は間違いなく細い女性がタイプだとヴィオレッタは思っていた。


(ちょっと、ヴィオレッタ。なんでそこであの男が出てくるのよ)


 ヴィオレッタは自身にツッコミを入れる。

 今は皇帝の話をしているのであって、ルカの話は微塵みじんもしていない。頼むから思考を邪魔してくれるな、と彼女は脳内の中で暴れようとするルカを殴り飛ばしたのであった。

 ヴィオレッタの表情の変化を観察していた皇帝は、面白くなさそうに頬杖をつき、こう言った。


「騎士王のことを考えていたな」

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