第17話 皇帝は上機嫌

「へ?」


 間抜けとも取れる声を出してしまったヴィオレッタは、コホンッと軽く咳払いをした。

 今皇帝は、騎士王のことを考えていたな、とヴィオレッタに言った。なぜ、分かったのだろうか。彼女はそんなに分かりやすい表情を浮かべていたであろうか。何かを考えているとは分かっても、誰のことを考えているかまでは分からないのが普通だろう。


「皇都にて、騎士王とお前を話題にした新聞が発行されていた。密会の夜はとびきり甘かった、と書いてあったぞ」

「………………」


 グッと唇を噤み、変な声が漏れてしまわないよう必死に耐える。

 密会の夜とは、先日のグリディアード公爵城で行われた舞踏会でのことを言っているのだろうか。何はともあれ、ヘティリガの皇帝ともあろう人間が、誰が書いたかも不明は新聞記事を盲信もうしんするのか。

 ヴィオレッタはチラリと皇帝に視線を向ける。エメラルドグリーンの瞳はまっすぐに彼女を見ていた。あまりの純朴じゅんぼくさに、本当に27歳かと問いたくなる衝動に駆られる。


「問おう、ヴィオレッタ」

「はい、なんでしょう」


 皇帝は、テーブルの上に置かれたカップに触れながら、動揺に濡れたプリムローズイエローの双眸を見つめる。色濃い黄色がキラキラと星のような輝きを放つ。そんな輝きを美しいと感じた皇帝は、席を立ちヴィオレッタの隣に腰を下ろす。ビクリ、と彼女の両肩が跳ね上がる様がなんとも可愛らしく見えた。だが、可愛いからと言って、皇帝の質問から逃れるわけではない。

 淡く色づく潤った唇が、恐ろしい言葉を紡いだ。



「騎士王と、愛し合っているのか」



 ヴィオレッタは絶句してしまう。まさか皇帝の口からそんな言葉が飛び出るとは思っていなかったからだ。

 なぜ、皇帝はそんなことを聞くのだろうか。ヴィオレッタはそれが理解できなかった。皇帝に気に入られたからと言って、別に婚約者になれるなど、ましてや皇后の座に座ることができるなどとは思っていない。皇帝にとって、彼女が誰と愛し合っていようが、婚約をしていようが、関係ないはず。彼女は、皇帝にお金で雇われた話し相手にしか過ぎないのだから。

 それなのにも関わらず、皇帝はヴィオレッタに騎士王との恋愛事情を問いかけた。「愛しているのか」ではなく、「愛し合っているのか」と。

 ヴィオレッタは乾ききった口を紅茶で湿した後、口を開いた。


「……そんなわけありませんわ。ただの婚約者です。私も、グリディアード公爵令息も望んだ婚約ではありませんから」

「ほう? 詳しく聞かせろ」


 面倒なことになった、とヴィオレッタは黙り込む。皇帝は、いつまで経っても話そうとしない彼女の肩をちょんちょん、と触る。早く話せ、と催促しているのだ。誰も彼の命令には逆らえないため、彼女は仕方なく話し始める。


「詳しく聞かせるも何も……。婚約を申し込んできたのはグリディアード公爵令息ですのに、距離が縮まるどころか、顔を合わせる度に遠のいておりますの。つまるところ、女性面での面倒事を避けるために婚約をしたとか、そんなことでしょうね」


 溜息混じりの説明に、皇帝は少しの納得を見せると共に、違和感を感じたのか眉をひそめた。

 女性面での面倒事を避けるために、わざわざヘティリガ一の悪女とまで称されるヴィオレッタに婚約を申し込むのか。そして、あの孤高ここうの騎士王がそんな面倒なことをするのだろうか。皇帝の疑問は止まらないが、これ以上問うのはさらに面倒に思われてしまいそうだと我慢をする。


「ならば、愛し合っていないということだな」

「……陛下も私たちの仲が悪いという噂はご存知でしょう? なぜそのような勘違いをされたのですか?」


 皇帝はソファーの背もたれに肘を置き、頬に手を添えながらヴィオレッタを見つめた。澄んだエメラルドグリーンは、どんな価値がある宝石よりも美しい。なんの動揺も見せることのないいだ目がそっと瞬く。黄金の睫毛がパサッと揺れた。27歳の男の色気が全身から溢れ出す。皇帝の美しさに目を焼かれたかと錯覚さっかくしたヴィオレッタは咄嗟に顔を背けてしまった。


「噂は信じないが、なぜだろうか。お前と騎士王のことは、疑ってしまった」


 耳元で囁かれる言葉に、ヴィオレッタは息を呑む。

 彼女も色気と妖艶ようえんさでは全く負けていない。しかし、やはり19歳の彼女と27歳の皇帝では、踏んできた場数が違う。皇帝は未婚とは言え、様々な経験をしてきただろうし、ヴィオレッタのような若い娘には負けないというのが本音だろう。


「あの、陛下……。距離が近いような気がしますが」

「気のせいだろう。俺は心を許した相手とは、これくらいの距離で話す」

「…………そうなのですわね」


 ヴィオレッタはそれ以上掘り下げることはせず、引きった笑みを浮かべた。皇帝はそれを見て、愉快そうに喉を鳴らしたのであった。

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