第14話 暗闇の先

 物置部屋を出たヴィオレッタは、舞踏会の間に戻ろうか迷った結果、間に戻ることを決めた。そして、舞踏会の主催者でこの黒城の主であるグリディアード公爵に挨拶をして、邸宅に帰ろうと決意をする。

 螺旋らせん階段を下り、別の宮に移るべく渡り廊下を歩いている時、前方に人の影が揺れるのが見えた。


「おや、ルクアーデ子爵令嬢」


 ブラックの髪に、甘いラベンダーモーブの双眸。ルカの父親であるとは思えない穏やかな美貌を持つ彼は、グリディアード公爵であった。


「ごきげんよう、グリディアード公爵」


 ヴィオレッタは挨拶をする。かしこまった挨拶をする彼女に、グリディアード公爵は頬を掻きながら柔らかな笑みを浮かべた。

 ヴィオレッタは、彼が不機嫌で口の悪いルカの父親なのかと真剣に疑った。温厚な父親から何がどうなってあんな愚息ぐそくが生まれてくるのか、と疑問を抱く。


「前に会った時よりもますます綺麗になったね」

「グリディアード公爵にお褒めいただき光栄です」


 慈愛じあいのこもった目に、ヴィオレッタは少しだけ気恥ずかしくなる。

 母を早くに亡くし、父も不本意な形で亡くした彼女にとっては、グリディアード公爵は父親のように身近に感じる人間だ。実際ルカと結婚すれば、義父になるのだが、それは万にひとつどころか億にひとつもありえない。そのため残念ながらグリディアード公爵が義父となることはない。しかし、ルカと婚約している今くらいは、グリディアード公爵のことを父親のように思っても何も問題ないだろう。


「母親とは系統の違う美人だ」

「……母、ですか?」

「……あぁ、すまない。僕は君の母親、ルクアーデ子爵夫人……いいや、公爵夫人と友人だったんだ」

「そう、だったのですね」


 驚愕しながらも、なんとか返事をする。

 ルクアーデ子爵家は、元は公爵家だ。かつて公爵夫人であったヴィオレッタの母がグリディアード公爵と友人関係にあったことは、なんら不思議ではない。母と友人であったということは、もしかしたら父とも……? とヴィオレッタはグリディアード公爵をチラリと見る。


「自慢の友人だったよ。未だに思い出すくらいには……」


 濃紺のうこんの上で黄金の輝きを放つ大きな月を見つめながら、哀愁あいしゅうに浸る。そんなグリディアード公爵が可哀想に見えてしまい、ヴィオレッタはなんと声をかければいいのか分からなかった。彼女が困っていると、グリディアード公爵は、眉尻を下げて笑う。


「変な話をしてすまない。ほら、もう行くといい。ルカが探しているよ、きっと」

「……グリディアード公爵。私はこれで失礼いたしますわ」


 ヴィオレッタは一礼をし、グリディアード公爵の横を通り過ぎる。ふわり、と甘い花の香りが漂う。かつての友人と同じ香りに、グリディアード公爵は目を見開き振り向いた。


「ルクアーデ子爵令嬢……!」

「……なんでしょう」

「……いや、その……」


 何が言い難いことでもあるのだろうか。グリディアード公爵は、上手く言葉が出てこないのか、どもる。いつも温厚で冷静な彼らしくない姿だが、ヴィオレッタの目には少し新鮮に映る。


「息子を……ルカを、よろしく頼む」

「………………」

「口が悪く、素直になることが苦手な子だが、人一倍情に厚く、根は優しい子だ。どうか、少しでも、歩み寄ってやってほしい」


 嘘偽うそいつわりを言っていないまっすぐな眼差しに、ヴィオレッタは口をつぐむ。そして、明確な答えを出すことはせず、静かに一礼をして今度こそその場を去ったのであった。



 ヴィオレッタは、舞踏会が行われている間に戻ろうとしていたのだが、どうやら迷子になってしまったみたいだ。

 グリディアード公爵城は、無駄に広い。ルクアーデ公爵邸は、既に取り壊されほかの公爵の所有地となっているらしいが、公爵令嬢であったヴィオレッタが住んでいた邸宅よりもずっと大きく感じられた。

 進めば進むほど、迷っている気がする。途方とほうれそうになった時、壁にかけられた美しい絵画かいがが目に入った。

 白い羽衣はごろももまとった女神に、許しをう男。あまりの美しさに息を呑みながら、引き寄せられるようにして絵画に触れる。女神の羽衣をなぞり、風に揺れる金髪に触れる。そして、膝をついて女神を見つめる黒髪の男にそっと手をかざす。その瞬間――。


「え、」


 ガタガタ、という音と共に、絵画が飾られていた壁がゆっくりと動く。壁の向こう側には、地下へと続く長い階段が現れた。ひんやりとした空気が流れ、先の見えない黒闇がヴィオレッタを誘う。急激に怖くなった彼女は、再び絵画に触れて、壁を元に戻した。後退りして、背を向ける。

 黒城と呼ばれるグリディアード公爵城。様々な部屋が存在し、しかけがあるのも承知している。しかし、あの階段の先には、ヴィオレッタが見てはならない何かがあるようであった。

 彼女は、先程のことは忘れようと決意をし、歩き始めた。と、その時、どこからか騒ぎ立てる男共の声が聞こえてきた。


「おいおい! 嫌がんなよ!」


 ヴィオレッタは、野太い男の声に、嫌な予感を感じ取った。

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