第12話 ふたりだけの世界

「我が婚約者、ヴィオレッタ。俺と共に踊ってはくれないか」


 騎士らしく、ひざまずいたルカを前にして、ヴィオレッタは静かに息を呑んだ。

 帝国内で有名な音楽団が奏でる音がピタリと止む。優雅に踊っていた貴族たちは足を止める。そして誰しもが、ふたりに視線を向けた。

 吃驚きっきょうに包まれる中、欣幸きんこうも滲み出る。ヴィオレッタは、ルカに正式なダンスの誘いを受けたことを嬉しく思った。婚約してから一度もダンスを踊ったことがなかったため、この先もきっと婚約破棄をする時まで踊ることはないのだろうと考えていた。しかし、どうやらその考えは間違っていたようだ。

 ヴィオレッタは、日焼けのない白い頬をほんのりと赤く染めながら、ドレスを少し摘み持ち上げる。


「喜んで」


 その言葉に、ルカは目を見張る。ヴィオレッタは驚く彼と目を合わせることが恥ずかしく思ったのか、そっと視線を外してしまった。

 ルカは立ち上がり彼女の手を引いて、間の中央へと向かう。ふたりは、向かい合う。周囲の貴族たちは自然とふたりから離れた。ハッと我に返った音楽団たちは、指揮者の合図に合わせ楽器を奏でる。流れるような音と共に、ステップを踏み始める。ルカの軽快なステップに合わせながら、ヴィオレッタもクルクルと華麗に踊る。黒の生地に、赤のレースが施されたドレスがふわりと舞った。光り輝くルージュ色の長髪が美しく揺れる度に、皆の視線が釘付けとなる。

 一瞬に思える時間。ふたりは確かに、互いのことしか見えていなかったし、ここは明らかにふたりだけの世界であった。

 演奏が終局を迎えた瞬間、ふたりの世界も終わりを迎える。パチパチ、と拍手の音が響き始めると、次々と連鎖していく。会場中が拍手の嵐に包まれた時、ヴィオレッタは指先が震えていることに気がついた。こんなにも多くの人々から拍手を受けたことなどなかったからだ。罵られることは慣れていても、褒められることには慣れていない。

 ヴィオレッタは何も言わずして、背を向けて歩く。黒のヒールの音が鳴る中、誰ひとり彼女を呼び止めることなく、その背中を見送ったのであった。



 間を飛び出したあと、別の宮に移ると、見知らぬ部屋へと逃げ込んだ。小さな部屋は、貴族が出入りをする場所ではない。掃除道具などが置かれていることから、物置用の部屋なのだろうということがうかがえた。

 心臓が震えている。激しい運動をしたからかもしれないが、そんなのは言い訳にしかならないことは、ヴィオレッタもよく分かっている。ルカと踊ったことにより、胸が高鳴っているのだ。

 ヴィオレッタは、小窓から射し込む月明かりに惹かれ、窓辺に腰掛けた。部屋から一望することができる庭園は、薄暗い夜に呑まれているのにも関わらず、キラキラと輝きを放っていた。ルクアーデ子爵邸のないに等しい庭園とは、全く違う。見渡す限りに広い美しい庭園は、管理するのにも一苦労だろう。

 そんなことを思いながら庭園を眺めていると、とある男女が目に入った。


「あれは……」


 つい先程、ヴィオレッタと手を取り合い華麗なステップを披露ひろうしたルカと、見知らぬ女性であった。

 深い青色のドレス。ウエストは驚くほどに細く、引きしまっている。胸はだいぶ控えめだが、身長が高いため、ルカと並んでも全く見劣みおとりしない。

 頭上高くで括られた鮮やかな黄色フェンネル色の長髪。フレイムオレンジの瞳は、暗い中でもよく映えて見える。誰がどう見ても美しくかっこいい女性だと断言するだろう。き出しになった腕は、程よく筋肉がついており、なめらかで綺麗だ。

 どこかの貴族令嬢だろう。先程まで高鳴っていた心臓が、嘘のように落ち着いていく。

 令嬢が何かを問いかけた時、ルカは頬を赤らめる。何を話しているのかは聞こえない。しかし、ふたりが親密な関係にあることだけは見て取れる。


「恋する騎士王と美人でかっこいい令嬢。私は……当て馬ってところね」


 ヴィオレッタは頬杖ほおづえをつき、ルカを一心に見つめた。少し前にこの光景を見ていたとしても、きっと何も思わなかった。しかし、彼との距離が少しだけ近づいた今、ほかの女性と親しくしている場面を見てしまったことで、再び彼との距離が開いてしまったのを感じる。

 どうせ、自分は悪女。愛し合うふたりを引き裂かんとする忌まわしき女だ。

 ヴィオレッタは、悲しそうにそう思った。小さな溜息を吐こうとした時、ターコイズブルーの瞳と目が合ってしまいそうになった。


「っ……!」


 急いで身を隠す。気がつかれていないと思うが、不安だ……。

 ヴィオレッタは、そっと部屋をあとにした。

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