第11話 婚約者だから

 グリディアード公爵城での舞踏会当日。

 ヴィオレッタは、美しくドレスアップして、グリディアード公爵城へやって来た。馬車から降りると、既に多くの貴族や軍人たちがいた。皆、会場となる宮に一直線に歩いている。ヴィオレッタも例に漏れず、宮へ歩き始めた時、途端に目前に影が落ちる。


「……?」


 顔を上げると、目の前には見上げるほどに高い身長の男、ルカがいた。暗がりの中でもはっきりと分かる、整った顔立ち。夜よりも深い色味の髪が見え、ターコイズブルーの瞳が美しく煌めいた。長い前髪もさっぱりと上げており、つるりとした卵のような額が可愛らしく見えている。いつもはミステリアスな雰囲気が漂っているが、今日ばかりはヴィオレッタも驚く男前であった。

 衣装は、正式の場でのみまとうことを許される黒の騎士服。ところどころにあしらわれた黄金が美しい。胸元には、数え切れない勲章くんしょう。その勲章が数多もの戦歴せんれきを残して来た騎士であることを物語っていた。

 ヴィオレッタは見惚れてしまう。

 あまりにも見つめられたことが不快だったのか、ルカは彼女から目を逸らして、首の後ろを軽く掻く。ヴィオレッタはふと我に返った。


「な、なんでここにいるのよ」

「……クソみてぇな質問だな」

「……うるさいわね」


 ルカの隣を通り過ぎようとする。しかし、パシッと腕を取られてしまった。黒く染められた手袋越しに伝わる鼓動に、ヴィオレッタは息を呑む。見上げたらダメ、ダメだと分かっているのに、彼女は見上げてしまった。間近に迫る美貌。百人に聞けば百人が、千人に聞けば千人が、美しい男だと断言するだろう。女性よりも長いふさふさとした睫毛が風に震えた時、ヴィオレッタは周囲の視線を一気に集めていることに気がついた。焦った彼女は、ルカの手から逃れようと乱暴らんぼうに手を動かす。


「放してちょうだい」

「……その必要はねぇだろ」

「どうしてよ。皆見てるのよ?」


 薄暗い中、プリムローズイエローの瞳が光る。何を言ってるんだとルカを責める目だ。

 ただでさえ、《四騎士》に名を連ねるルカは、ひとりでも注目を集める。ヴィオレッタも、いい意味でも悪い意味でも視線を集めるのだ。そんなふたりが何やら怪しげな雰囲気の中、至近距離で見つめ合っているなど、注目の的でしかないだろう。宮に向かっていた大勢の貴族たちは足を止め、小声で話をしている。

 噂をされることには慣れている。だが、今回はルカもいるのだ。なんだか落ち着かない。

 力の差が歴然れきぜんとしているため、振り払うこともできず困っていると、ルカがヴィオレッタの腕をそっと放した。


「俺たちは、婚約者だ。手に……触れることくらい、普通だろう」


 呆気に取られるヴィオレッタの手に優しく触れる。指先をそっと握り、真っ向から彼女の瞳を見つめた。プリムローズイエローとターコイズブルーが混じり合う。まるで世界にふたりきりとなった感覚だ。

 貴族たちはぴたりと話を止め、見つめ合うヴィオレッタとルカを凝視する。婚約は、嫌々ではなかったのか、と貴族たちは思った。

 ルカの妻の座を虎視眈々と狙っていた貴族令嬢たちも、ヴィオレッタの夜の相手の座を狙っている貴族令息たちも、ふたりの間に入ることはできないのでは、と悟らざるを得なかった。

 ルカはヴィオレッタをエスコートし始める。貴族ちが自然と道を開ける中、ふたりはゆっくりと歩く。


(この男、何考えるのよ……)


 ヴィオレッタはルカの行動が理解できなかったが、ひとまずは彼に従うこととした。



 グリディアード公爵城の間に入るふたり。空のように高い天井から吊るされた多くのシャンデリアが、黄金の光を注いでいた。


「………………」

「…………踊るか」

「嫌よ」

「………………」


 ルカは勇気を出して、ヴィオレッタを誘うが、断られてしまった。眉間に深い皺が刻まれると同時に、ターコイズブルーの瞳に悲哀ひあいの感情が映る。一度断られたからと言って諦めるわけにはいかない。ルカが歩み寄る努力をしなければ、彼女と一向にお近付きになれないからだ。

 ルカは大きく息を吐いて、壁の花になろうとしているヴィオレッタと向き合う。


「……何?」


 赤く熟れた唇が息を漏らす。あの唇に自らの唇を重ねたら、どれほど幸福だろうか。熱そうで、そして甘そうな唇を食むことができた時、ルカは鼻血を出してしまうかもしれない。

 ルカのことをいぶかしげに見つめるヴィオレッタ。ルカは、意を決してその場に片膝を着いた。漆黒しっこくのマントがふわりと舞い、地面に着地をする。

 突然の奇行きこうにヴィオレッタは戸惑うほかなかった。


「我が婚約者、ヴィオレッタ。俺と共に踊ってはくれないか」


 グリディアード公爵城の自室で、そして騎士団本部の寝室でも、ヴィオレッタの名を呼ぶ練習を何度もした。今日、ようやくその成果が表れたようだ。口の悪さも今だけは我慢できた。ルカは、やればできる子なのだ。

 ルカは下心を隠しながら、ヴィオレッタの手の甲に優しく唇を落とす。そして瞳をゆっくりと開き、愛しい彼女を見上げた――。

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