第5話 悪女と新皇帝

 しばし見つめ合った後、ヴィオレッタは完璧な所作しょさで挨拶をする。


「新皇帝陛下に拝謁はいえついたします。即位されたこと、心よりおよろこび申し上げますと共に、ヘティリガ帝国のさらなる繁栄はんえいを祝福いたします」


 あなたが即位したんだから帝国はもちろん栄えるに決まっているわよね? といった意味合いが含まれた言葉に、新皇帝はエメラルドグリーンの瞳をパチクリと瞬かせた。父である皇帝を惨殺ざんさつしたとは思えない子供のような表情に、ヴィオレッタは可愛らしいと思った。

 すっかりと毒気を抜かれた新皇帝は、上機嫌に微笑んだ。


「名乗ることを許そう」

「この上ない光栄ですわ。私は、ヴィオレッタ・アリスティーラ・リ・ルクアーデ。ルクアーデ子爵の令嬢にございます」


 ヴィオレッタの名を聞いた新皇帝は、目を見開く。ヴィオレッタは、反応を示した新皇帝に対して、堕ちた獅子の名も伊達だてではない、と感じるのであった。


「かの《四騎士》騎士王様の凱旋パーティーですわよね? さぁ、うたげの続きを楽しみましょう」


 少しの狂いもない完璧な笑み。新皇帝は、ヴィオレッタを大層な女だと鼻で笑った。

 我先にと脱出しようとしていた貴族たちは、徐々に元の位置に戻り始める。新皇帝が即位した今、勝手に帰ろうとするのは、反逆罪として処罰されかねないからだ。

 どこか重たい雰囲気の中、間は再びパーティーモードへと突入する。一流音楽団の奏でる音色に合わせ、貴族たちがダンスを踊る。先代皇帝が死んだというのに笑い泣きをし始めるという頭のおかしい悪女のヴィオレッタをダンスに誘おうとする猛者もさはいないようであった。


「お前……あの男に目をつけられたら人生終わんぞ」

「あら。それは親切心かしら。私は既にあなたに目をつけられた時点で人生終わってるのよ」

「……んなに………………かよ……」


 の鳴く声。聞こえなかったもどかしさからか、ヴィオレッタは眉間に皺を寄せた。目元を覆い隠すようにしてサラリと流れ落ちる黒髪を、眉上で綺麗に切り揃えてやりたい気持ちとなる。だがしかし、聞き返してやる義理ぎりもない。どうせ舌打ちして「一回で聞き取れクソが」と言ってどこかへ行ってしまうのだろう。面倒だと思ったヴィオレッタは、ヴィロードにそっと耳打ちをする。


「お兄様。私、とても疲れたわ。もう帰りましょう」

「お前が疲れたと言うなら帰ろうか。受付の方に報告だけして…」


 ヴィロードはそう言って、うつむき気味のルカに向き直る。


「グリディアード公爵令息。私たちはこれで失礼いたします」

「……ルクアーデ子爵。今度、お話したいことがあります。時間をいただけますか」

「あ、あぁ、もちろんです」


 ルカはヴィロードに一礼すると、ヴィオレッタに睨みを利かせ、去って行った。

 最後まで腹の立つ男だ。わざわざにらむ必要などないだろうに。何がそんなに気に入らないのか。問うたとしても、ろくな回答は得られないのだろう。

 考えるだけ時間の無駄だと感じたヴィオレッタは、頭の大半を占めていたルカの存在を抹消まっしょうしたのであった。



 騎士王の凱旋パーティーから数日が経った。

 新皇帝アイヴァンの即位と、先代皇帝の退位並びに逝去の話は、瞬く間に世界中へと広まった。新皇帝は父を殺した恩知らずであるだとか、歴代稀まれに見ぬ暴君ぼうくんだとか、そんな噂も同時に広まる。悪女だと言われているヴィオレッタからすれば、嫌われ者で恐れられている皇帝のほうが親近感が湧くというものだ。

 ヴィオレッタは、自室で本を読みながら、暴君と恐れられる皇帝のことを考えていた。その時、思考を遮断しゃだんするように扉を叩く音がする。


「どなた?」

「私だ」

「お入りになって」


 ヴィオレッタの部屋を訪ねて来たのは、ヴィロードだった。いつも柔らかな笑みをたたえているヴィロードだが、今日ばかりはおかしな表情を浮かべていた。言わなければ、だがなんと言えばいいのやら、といった気まずい表情だ。

 ぎこちなく、そう広くはない部屋の中央まで歩いて来たヴィロードは、ヴィオレッタの向かいのソファーに腰掛けた。思いのほか尻が沈んだため、ビクッと驚いている。


「どうかしたの?」

「あ、あぁ……」

「歯切れが悪いわね」


 ヴィオレッタが溜息混じりにそう言って、本にしおりを挟み閉じる。コトッと木造のテーブルの上に本を置いたのと同時に、ヴィロードも手に持っていた手紙をテーブルに置いた。穢れのない、輝きを放つ純白じゅんぱく封筒ふうとう。その表面には、三つの頭を持つ黄金のたか紋章もんしょうが描かれていた。ヘティリガ帝国において、神の化身けしんとしても有名な三つの頭を持つ黄金の鷹。その紋章を記すことができ、名乗ることができるのは、ヘティリガ帝国においてたった一家。そう、ヘティリガ皇族である。


「皇族からの、手紙……」

「それも、皇帝陛下からだ」


 ヴィオレッタは目を見開く。ゴクリと喉を鳴らし、そっと手紙に触れた。指先を通して伝わってくるいかにも上質な封筒。ヴィオレッタは丁寧に、レターオープナーを使って封筒を切った。

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