第4話 新皇帝の即位

 皇帝に声をかけたのは、アイヴァン・ジェフ・アーノル・ヘティリガ。ヘティリガ帝国の皇太子だった。

 ルカに引き続き、アイヴァンの登場に、令嬢たちの興奮は最高潮さいこうちょうに達した。一晩で帝国を代表するふたりの美青年に会えるとは、思ってもいなかったらしい。


「今から、何が起こるか、父上には分かりますか?」


 アイヴァンは、ゆっくりと上段に上がる。おおやけの場において、皇太子である息子が皇帝である父を「父上」と呼ぶことは、許されていない。しかしアイヴァンは、凱旋パーティーともあろう派手な場で、あえてそう呼んだのだ。何かしら裏があるとしか思えないだろう。


おろかな父上には分からないでしょうね」


 アイヴァンは、鼻で笑い飛ばしながら、そう言った。

 明らかにおかしな雰囲気。今から何が起こるのか、それは皇帝だけではなく、この場にいる貴族誰しもが分からないことであった。ヴィオレッタも無様ぶざまに動揺することはないが、異様な空気にしっとりと冷や汗を流していた。恐怖ではない、父を見捨てた皇帝が散る様をこの目で見れるかもしれないという高揚こうようである。


「何が、言いたい……」

「これ以上、俺の期待を裏切るのはやめていただきたい」


 アイヴァンは、腰に携えた剣をさやから抜き取る。玉座の頭上に浮かぶ巨大なシャンデリアの光に照らされた銀色の刀身。ようやく状況を把握したのか、皇帝の顔が青ざめていく。ヴィオレッタは、歴史的瞬間を目の当たりにし、息をむ。


「おいっ、誰か助けんか!!! このバカを止めろ!!!」


 皇帝の叫びに反して、だんまりを貫く騎士たち。この場に、皇帝の味方など誰ひとりとしていなかった。

 アイヴァンは、皇帝に近寄る。腰が抜けているせいか、立てない皇帝の頭上に剣を掲げた。


「その座は、俺のものだ」


 キラリ、と流れ星の如く美しく光った剣先が振り下ろされる。神聖しんせいなる玉座は、皇帝、否、先代皇帝の血でけがされた。誰かが我に返り、叫び声を上げながら会場をあとにしたのを皮切りに、続々と扉に人が殺到さっとうする。完全にパニック状態だ。

 阿鼻叫喚あびきょうかんの中、アイヴァンは皇帝の死体を玉座から落とす。階段をゴロゴロと転がる様がなんとも滑稽こっけいに見えた。レッドカーペットに黒い血液を撒き散らしながら、ルカの目前もくぜんで死体が止まる。ルカはおもむろに立ち上がり、むくろとなった皇帝を見下ろした。


「皇帝たる証を持って来い」

「かしこまりました」


 ひとりの騎士が転がっていたかんむりを拾い上げ、アイヴァンに捧げる。アイヴァンはそれを受け取ると、自身の頭にゆっくりと乗せる。


「ヘティリガ帝国新皇帝アイヴァン・ジェフ・アーノル・ヘティリガ。全員、俺を崇拝すうはいしろ」


 澄んだ美声。皇太子であったアイヴァンは、今この瞬間より、ヘティリガ帝国の頂きに君臨くんりんする新皇帝となった。

 ヘティリガ皇帝の証である冠の下からゴールドの髪がサラサラと落ちる。エメラルドグリーンの双眸は、父である皇帝を殺したというのに、恐ろしいまでに澄みきっていた。神聖なる美を構え、神たる風貌を携えたルカとはまた違った美しさ。人間の最高峰さいこうほうの美を誇る新皇帝は、ゆっくりと口角を上げた。

 整然せいぜんたる態度。圧倒的な王者。この男について行けばなんら問題はない、と思わせる風格に、騒いでいた貴族たちは黙り込んだ。

 皇太子が皇帝を殺して即位する。または、皇位継承権争いの最中で皇子や皇女が皇帝を殺すといった事件は、ヘティリガ皇族において珍しいことではない。だが、公の場、それもヘティリガ帝国の戦闘力のかなめ、偉大なる《四騎士》の一柱の凱旋パーティーで皇帝を殺害した事件は、帝国の長い長い歴史上において類を見ないのではないか。

 緊迫きんぱくした空気が立ち込める中、ヴィオレッタは耐えきれぬ笑いをこぼした。


「ふふ、ふふっ……」


 クスクス、と場違いな笑い声が響く。先程までヴィオレッタを殺す勢いで見つめていた令嬢たちも、こいつ正気か? とでも言いたげにヴィオレッタを見つめている。

 不祥事を犯した父、ルクアーデ公爵に救済処置を設けず、そして不祥事が真実なのかもろくに調査しようとせず、彼を簡単に殺した皇帝が、今、たった今、ヴィオレッタの目の前で無様に死んだのである。これほどの復讐ふくしゅうがあろうか。ヴィオレッタは父の無念が少しは晴らされたのではないか、と思い、笑みをこぼすがそれと同時に涙もこぼした。

 皇帝の死に対して、笑いながら泣くというおかしなヴィオレッタに、新皇帝もルカもヴィロードさえも呆気に取られていた。


「どいつもこいつも、バカしかいないじゃないの」


 ヴィオレッタは目元の涙を拭い、大きく深呼吸をする。一通り笑ったことに満足したヴィオレッタは、周囲の視線を集めてしまっていたことにようやく気がつく。が、動揺を見せる彼女ではなかった。咄嗟にまずい、と思ったルカは、新皇帝から見えぬようヴィオレッタを庇う。


「女の無礼を許す。退け、騎士王」

「……………」

「聞こえなかったのか。退けと言っている」

「チッ、クソが……」


 ルカは新皇帝をののしり、ヴィオレッタの隣に移動した。

 エメラルドグリーンの瞳とプリムローズイエローの瞳が合わさる。青と黄色の共演は、海と月のように美しく見えた。

 たったふたりだけの時間。何者も邪魔することを許されない空気の中、新皇帝とヴィオレッタは互いを見つめ続けたのであった。

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