第3話 真の婚約者

 凱旋パーティーから黙って帰ることもできず、ヴィオレッタとヴィロードは再び宮の間へと戻って来ていた。

 ヴィロードの姿に、反応を示す下級貴族の令嬢たち。ヴィロードの隣にヴィオレッタがいることに気がついた瞬間、彼女たちは分かりやすく敵意をあらわとした。

 女性陣はヴィオレッタに対してあからさまに嫌悪けんおを向けている。しかし、男性陣はと言うと、頬を赤らめながらチラチラとよからぬ視線をヴィオレッタに送っていた。天の草原に咲き誇る花のような美しさ。毒が含まれているため触れてはいけないと分かっていながらも、かれずにはいられない危険な美。あわよくば彼女の婚約者に、夫に、と狙っているわけではない。毎晩違う男性をベッドに連れ込んでいると噂のヴィオレッタ。彼女の今晩の相手役の座を手に入れようとしているのだ。まさかその噂が嘘だとも知らずして、下半身がやたらと元気な男共は、ヴィオレッタに性的な欲求を向けているのであった。


「ヴィオレッタ。何か飲むか?」

「そうね。いただこうかしら」


 ヴィロードは近くを歩いていた執事しつじを呼び止め、グラスに入った赤いワインをふたつ受け取った。そしてヴィオレッタに差し出す。なんの欲求も、なんの企みも見えない純粋じゅんすいなプラチナの瞳。ヴィオレッタはグラスを受け取り、上品に笑った。


「私、お兄様と血が繋がっていなかったら、絶対お兄様と結婚していたわ」

「それは嬉しいな。この世で一番美しいヴィオレッタと結婚できるなんて、私は幸せ者だ」


 冗談を冗談で返してくれる優しさも持つヴィロードに、ヴィオレッタは彼がいてくれるのならあとは何も望まないと感じた。

 あまり風貌の似ていないふたり。血が繋がった兄妹と知らなければ、仲のいい若夫婦だと勘違いされてもおかしくないほどである。

 ヴィオレッタとヴィロードが放つ華々はなばなしい空気に、誰も寄りつくことができない中、堂々とふたりの空気を壊しに行く男がいた。


「ルクアーデ子爵」

「おや……グリディアード公爵令息」


 何重にも重ねられた分厚い結界を叩き割ったのは、ヴィオレッタの婚約者ルカであった。眉間みけんには、深い深い皺が刻まれている。何がそんなに気に入らないのか分からないし、理解しようとも思わないのだが、いちいち話しかけてくるのはやめてくれないかしら、とヴィオレッタは思った。


「ご挨拶が遅くなり申し訳ございません」

「そんなっ……気になさらないでください。本来なら、こちらから挨拶にうかがわなければならないのに、なかなかタイミングが掴めず……申し訳ないです」


 ヘティリガ皇帝に対しても全く敬語を使わないことで有名なルカが、格下の貴族であるヴィロードに敬語を使っている。その事実に、ヴィオレッタはじめ、多くの貴族たちが驚愕した。先程までルカを取り囲んでいた令嬢方は、悔しげな色を瞳に滲ませる。ルカが婚約者の兄であるヴィロードには、礼儀を心がけるということが、ヴィオレッタを真の婚約者であると認めているかのようだ。


「おい、俺はまだ許してねぇぞ」

「お兄様。この方は放っておいてあちらに行きましょう」

「え、え?」


 ヴィオレッタがヴィロードの腕に抱きつく。その瞬間、一気に放たれる殺気さっき。背中を駆け上がる寒気と、額を流れる冷や汗。騎士王の名に相応しいルカの殺気がヴィロードを襲った。殺られる…! と咄嗟とっさに思ったヴィロードは、ヴィオレッタから優しく離れる。瞬間、殺気がピタリと止んだ。


「次は合わせろ。いいな」

「………………」

「チッ」


 圧倒的に言葉が足りないが、次の正式な場では服装を合わせろということだろう。返事をせずルカをいない者として扱っているヴィオレッタに、ルカは小さく舌打ちをかました。


静粛せいしゅくに!!!」


 突然騎士の声が響き渡り、騒がしかった貴族たちは、一瞬のうちに黙り込んだ。身も重たくなるほどの静寂せいじゃくが包み込む中、皆が視線を向ける壇上だんじょうの端から、皇帝が姿を現した。ヴィオレッタは思わず吐き気を覚え、皇帝から目を逸らす。

 玉座にドカッと座ったのは、ヘティリガ皇帝であるニコラス・ケイト・アーノル・ヘティリガ。肩辺りまで伸びたゴールドの髪に、かすんだエメラルドグリーンの瞳。可もなく不可もなく、まつりごとを行ってきた皇帝は、今にもあの世からのお迎えが来てしまいそうだ。

 皇帝からあからさまに目を逸らすヴィオレッタをチラリと見たルカ。皇帝を毛嫌いするのも仕方ないか、とターコイズブルーの瞳を伏せた。


「皆の者よ。宴を楽しむがよい」


 かれた皇帝の声に、ヴィオレッタは身震いをした。ヴィロードも先程までの優しさはどこへやら、険しい表情を浮かべて皇帝を睨みつけていた。


「皇帝陛下」


 口を開いたのは、誰であったか。騎士でもなければ、ほかの貴族でもない。ふらっと姿を現したのは、さらりと絹のようなゴールドの髪に、み渡った海よりも美しいエメラルドグリーンの双眸。皇帝と全く同じ特徴を持つその美青年の名は、アイヴァン・ジェフ・アーノル・ヘティリガ。年齢は27歳。何を隠そう、ヘティリガ皇帝の実子であり、現皇太子であった。

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