第2話 悲しき兄弟

 ちた獅子ししとも呼ばれるルクアーデ子爵家。数年前までは、公爵家の名を欲しいがままとしていたが、ヴィオレッタの父である先代の不祥事ふしょうじにより子爵家まで没落してしまったのだ。そんな家の令嬢ヴィオレッタが悪女と呼ばれみ嫌われることは、ある意味理にかなっているのかもしれない。

 宮から抜け出したヴィオレッタは、美しい花々が咲き乱れる庭園へとやって来た。息の詰まる場所になどいたくはなかったのだ。

 数多の戦場を巡り、剣がびるほど血を浴びてきた騎士王ルカ。ヘティリガ帝国のいしずえを築き支えてきた《四騎士》の一柱に名を連ねるルカと悪女ヴィオレッタが婚約をしたのは、約一年前のこと。婚約とは無縁であったヴィオレッタの元に、グリディアード公爵家から縁談がやって来たのだ。まだ結婚は早いからと、ひとまずは婚約という形で落ち着いた。

 ヴィオレッタはずっと疑問に思っている。なぜ、自分でなければダメなのか、と。あの口の悪い俺様男のことだ。どうせ、多くの女性の中から適当にヴィオレッタを選んだのだろう。そう思わなければ、公爵家と子爵家は、釣り合いが取れない。


「疲れる男」


 ヴィオレッタは赤い薔薇ばらにそっと触れながら、ぽつりと呟いた。

 とにかくルカは、女性陣や男性陣から絶大な人気を誇る。つい最近まで、真実か嘘かも分からない噂はあろうとも、一切婚約者を迎えなかった帝国一の美男子ルカが、悪女として名をせるヴィオレッタを婚約者として指名した。それがどれだけヘティリガ帝国を揺るがす事態となっているか、ルカは全くもって分かっていない。ヴィオレッタも他人事のように思っているため、体で誘ったとか、脅したとか、根も葉もない噂が至る所で流れている。婚約発表から約一年経った今も、炎上は水を浴びることを知らないのだ。


「おや、ここにいたのか?」

「……お兄様」


 庭園にたたずむヴィオレッタに声をかけてきたのは、ひとりの青年。月夜に輝くライムライト色の髪に、プラチナ色の双眸そうぼうの美丈夫だ。人の良さが顔ににじみ出ており、だまされやすそうな雰囲気ふんいきに包まれている。

 彼の名は、ヴィロード・ベッダ・リ・ルクアーデ。ルクアーデ子爵であり、ヴィオレッタの血の繋がった兄だ。年齢は22歳。結婚適齢期ながら、妻どころか婚約者も恋人もいないという変わり者でもある。ヘティリガ帝国貴族令嬢の憧れの的であるルカとは違い、比較的近寄りやすい美男子と言われている。そのため、下級貴族の令嬢方の中では、手の届かないルカを追い求めるより、ヴィロードを狙ったほうがいいという鉄則が生まれつつあるのだとか。


「先程、グリディアード公爵令息と言い争っていたようだったが……何か酷いことは言われなかったか?」

「あのお方が私に酷いことを言うのは、今に始まったことではないわ」

「ヴィオレッタ……」

「私は気にしていないわ。どうせ、すぐに婚約破棄されるわよ」


 どこか諦観ていかんした様子で、言いきったヴィオレッタ。

 公爵家と子爵家という遥かに身分違いの婚約。弱みを握られたわけでもなく、握ったわけでもなく、はたまた身分の壁を越えた愛などあるはずもなく。一時の気の迷いか、暇潰しだろう。ヴィオレッタは婚約破棄を言い渡される準備はとうの昔にできていた。どうせまた、社交界で噂が広がりネタとされるだろうが、ヴィオレッタには断じてどうでもいいことであった。


「私はお前が心配だ、ヴィオレッタ」

「心配だと思うのならあのお方との婚約を断ってちょうだい」

「それはっ………………」


 ヴィロードは、反論しようとするも、いい言葉が見つからなかったからか、黙り込んでしまった。

 ルクアーデ子爵家は、通常の子爵家や男爵家と比べると、かなり貧乏だ。ヴィオレッタがルカと婚約し、そして結婚まで辿り着いたとなれば、ルクアーデ子爵家の身分は一気に上昇し、万年貧乏から脱却だっきゃくすることができるかもしれない。ヴィロードは愛する妹のことを大事に思うも、子爵としての役目も忘れてはならないという可哀想かわいそうな立場に立たされているのだ。

 それに加え、子爵家が公爵家に正式に婚約破棄を申し込むことは、ご法度はっととされている。

 ヴィオレッタは、複雑そうな表情を浮かべるヴィロードの腕にそっと擦り寄った。


「……お兄様を責めるつもりはなかったわ。ごめんなさい」

「いいんだ。私はお前の兄失格だな……」


 悲しげに笑う兄の顔に、ヴィオレッタは胸がしめつけられる感覚を覚える。唯一の家族にそんな顔をさせるなど、自分は最低だと思ってしまったのである。

 ふたりの両親は、既に他界。父に限っては、処刑という不名誉ふめいよで亡くなっている。あんなにも優しかった父は、自分のとうとい命と引き換えに、家族の命を助けることを条件として提示した。ヘティリガ皇帝はそれを受け入れ、父を処刑したのだ。

 ヴィオレッタやヴィロードにとって、皇帝は忌み嫌う存在。だが、子爵家という弱小の立場では何もできない。ただ、貴族位に留まれたことをありがたく思いながら、社交界の影となって貧しく生きていくしか、あわれな兄妹に道はないのだ――。

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