悪女の婚約者はツンデレ様 〜悪女と口の悪い騎士王は愛し合う〜

I.Y

第1話 悪女と騎士王

 悪女とは、何か。

 その名の通り、悪い女のことである。

 では、何が悪いのか。

 性格か。風貌ふうぼうか。身分か。

 誰が悪を決めるのか。

 神か。はたまた自分か。いいや、他人だ。

 何の関わりもない、血の交わりもない人間により、悪というレッテルを貼られるのである。

 人とは不思議なもので。

 他人が他人に与えた価値を、あたかも自分が与えた価値であるかのように受け入れるのである。

 誰かがあの女が悪女だと言えば、周囲はその女を悪女だと見なす。

 美の基準が、幸の基準が、数多あまたの星ほどあるのと同じように、悪の基準もまた数多とあるのだ。



 ヘティリガ帝国。

 海に面する広大な領地を誇る帝国。自然に満ち溢れ、帝都をはじめとした都市が栄える世界有数の大国である。

 ヘティリガ帝国の中心部。眠らない街としても知られているヘティリガ皇都の中央には、天をも穿うがつ巨城があった。誰しもが憧れるヘティリガ皇城である。多くの宮を構え、敷地内には小規模な森も存在している美しい城だ。

 そんな城の宮のひとつ。皇城主催のパーティーを行うためだけに使用される宮では、きらびやかな空気の中、ただならぬ雰囲気が立ち込めていた。


「………………」

「………………」


 シャンデリアの輝きの下、対峙する男女。神々が作り出したと言わざるを得ない美貌びぼうが凄む様は、周囲で見守る貴族たちを震え上がらせるのには十分であった。


「おい、クソ女。どういうことだ」


 低すぎず、高すぎないちょうどいい声が間にひびき渡る。つややかな夜色で染めたブラックの髪に、海と空を混ぜたターコイズブルーの瞳の美青年。前髪が長く、ほんの少しだけ表情が分かりにくいが、酷く不機嫌なことだけは読み取れた。身長はほかの男性よりも随分と高く、足も長い。誰がどう見ても美しい、そう認めざるを得ない青年であった。

 彼は、ヘティリガ帝国全騎士の憧れである《四騎士よんきし》のひとり、ヘティリガ騎士団副団長グリディアード公爵家嫡男ちゃくなん騎士王きしおうルカ・リート・ティサレム・グリディアード。

 ルカは、分かりやすく不機嫌を露呈ろていしており、眉間には深い深い皺が刻み込まれている。せっかくの美貌も、台無しだ。だがそれだけで彼の美しさが完全に失われることはない。不機嫌なところもミステリアスで素敵! と熱い視線を送る令嬢がちらほら、ちらほらちらほら、数えきれないほどいるようだ。しかしそんな令嬢たちがルカの瞳に映ることはなく。彼が一心に見つめているのは、目の前の女性であった。


「説明するのは面倒なの。察してくださる?」


 柔らかく甘い声とは裏腹に、言葉にはしっかりと毒が含まれていた。口紅の如く赤いルージュ色の長髪を見事なまでにまとめ上げている。透き通る肌には、眉、目、鼻、口、ホクロが完璧すら超越ちょうえつした比率で鎮座ちんざする。ルカを見つめるのは、輝きを放つプリムローズイエローの双眸。小さな鼻に、たっぷりと水分と色気を含んだ厚い唇。その横には、可愛らしいホクロがあった。細い首を撫でるように見つめた下には、高級娼婦こうきゅうしょうふ驚愕きょうがくする大きさの胸。体型を際立たせるワインレッドのドレスで隠れてはいるが、見えないからこそ感じる色気というものがあるだう。

 彼女の名は、ヴィオレッタ・アリスティーラ・リ・ルクアーデ。ルクアーデ子爵家の令嬢である。年齢は今年19歳を迎えたばかりの若き女性だ。


「テメェ、喧嘩売ってんのか?」


 高貴なる騎士とは思えない憤怒ふんどをあらわとした表情に、ヴィオレッタはフイッと目を逸らした。ルカの額に血管が浮き上がる。

 騎士であるルカは、数週間前、十数日にも及ばない短い戦争から帰還したばかりであった。皇帝の計らいにより、今晩皇城で凱旋がいせんパーティーが開催されているのだが、ルカの怒りの原因はそのパーティーではなく、他でもないヴィオレッタにあった。

 彼女がまとうドレスは、ワインレッドのドレス。ルカがまとう正装の騎士服は、黒と青を基調とした立派なものであった。ルカは、ヴィオレッタのドレスに怒っているのである。


「喧嘩なんて売ってないわ。こびは売るけど」


 ルカは今にも腰に携えた剣を抜き取り、ヴィオレッタを牽制けんせいしたくなる衝動に駆られた。

 なぜ、ルカはヴィオレッタのまとうドレスに対して怒っているのか。それは、ヴィオレッタがルカの騎士服と対となるドレスを着て来なかったからである。

 そう、ふたりは、婚約者なのだ。

 大規模な舞踏会やパーティーでは、婚約者や夫婦は揃いの正装をすることが基本、マナーである。だが、ヴィオレッタはそのマナーを破り、わざとルカと揃いのドレスを着て来なかったのだ。なんとも型破りである。

 周囲を取り巻いていた貴族たちが途端にざわざわと話し始める。


「ねぇ、聞いた? 媚は売るですって……」

「あら嫌ね……。騎士王様の婚約者でありながら、あの体で多くの男性を誘惑ゆうわくしているんでしょう?」

「騎士王様の婚約者だというのに……はしたないご令嬢だわ」

「やはりサンロレツォ公爵家のご令嬢のほうが、騎士王様に相応しいわよね?」


 隠す気すらない。わざとらしく聞こえる声に、徐々に周囲の人々は同調していく。クスクスと馬鹿にする笑いが溢れ、定めた標的に向かって容赦なく言葉の剣を投げつける。



「ほら、だってあの方、屈指くっしの悪女だから」



 ひとりの女性が言い放った言葉に、どっと笑いが起こる。何が楽しいのか、それは彼女たちにしか分からぬことだろう。

 ヴィオレッタの口元から笑みが消え去る。ルカはそれを見逃さなかった。とりあえずヴィオレッタを連れてこの場を離れようとした時、彼女は何も言わずして背を向けて去って行ってしまった。ルカの伸ばした手は、行き場なくして役目を失ったのであった。

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