いかめしい表玄関の戸はいつもの通りまっていた。津田はそのじようはんすかぼりのようにまれた厚いこうの中を何気なくのぞいた。中には大きな花崗みかげいしくつぬぎが静かに横たわっていた。それからてんじようの真中からあおぐろい色をしたものでんとうがさが下がっていた。今までついぞここに足を踏み込んだためしのない彼はわざとそこを通り越して横手へ廻った。そうして書生部屋のすぐそばにあるないげんかんから案内を頼んだ。

「まだ御帰りになりません」

 くらはかまを着けて彼の前にひざをついた書生の返事は簡単であった。それですぐ相手が帰るものとみ込んでいるらしい彼の様子が少し津田を弱らせた。津田はとうとう折り返していた。

「奥さんはおいでですか」

「奥さんはいらっしゃいます」

 事実を云うと津田は吉川よりもかえって細君の方と懇意であった。足をここまで運んで来る途中の彼の頭の中には、すでに最初から細君に会おうという気分がだいぶ働らいていた。

「ではどうぞ奥さんに」

 彼はまだ自分の顔を知らないこの新らしい書生に、もう一返取次を頼み直した。書生はいやな顔もせずに奥へ入った。それからまた出て来た時、少し改まった口調で、「奥さんが御目におかかりになるとおっしゃいますからどうぞ」と云って彼を西洋建の応接間へ案内した。

 彼がそこにある椅子に腰をかけるや否や、まだ茶もたばこぼんも運ばれない先に、細君はすぐ顔を出した。

「今御帰りがけ?」

 彼はおろした腰をまた立てなければならなかった。

「奥さんはどうなすって」

 津田のあいさつに軽いしやくをしたなり席に着いた細君はすぐこういた。津田はちょっと苦笑した。何と返事をしていいか分らなかった。

「奥さんができたせいか近頃はあんまりうちへいらっしゃらなくなったようね」

 細君の言葉には遠慮も何もなかった。彼女は自分の前に年齢とししたの男を見るだけであった。そうしてその年齢下の男はかねてしたの男であった。

「まだうれしいんでしょう」

 津田は軽く砂を揚げて来る風を、じっとしてやり過ごす時のように、おとなしくしていた。

「だけど、もうよっぽどになるわね、結婚なすってから」

「ええもうはんとしと少しになります」

「早いものね、ついこのあいだだと思っていたのに。──それでどうなのこの頃は」

「何がです」

「御夫婦仲がよ」

「別にどうという事もありません」

「じゃもううれしいところは通り越しちまったの。うそをおっしゃい」

「嬉しいところなんか始めからないんですから、仕方がありません」

「じゃこれからよ。もし始めからないなら、これからよ、嬉しいところの出て来るのは」

「ありがとう、じゃ楽しみにして待っていましょう」

「時にあなた御いくつ?」

「もうたくさんです」

「たくさんじゃないわよ。ちょっと伺いたいから伺ったんだから、正直に淡泊さつぱりとおっしゃいよ」

「じゃ申し上げます。実は三十です」

「すると来年はもう一ね」

「順に行けばまあそうなるかんじようです」

「お延さんは?」

「あいつは三です」

「来年?」

「いえ今年」

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