十
「まだ御帰りになりません」
「奥さんはおいでですか」
「奥さんはいらっしゃいます」
事実を云うと津田は吉川よりもかえって細君の方と懇意であった。足をここまで運んで来る途中の彼の頭の中には、すでに最初から細君に会おうという気分がだいぶ働らいていた。
「ではどうぞ奥さんに」
彼はまだ自分の顔を知らないこの新らしい書生に、もう一返取次を頼み直した。書生は
彼がそこにある椅子に腰をかけるや否や、まだ茶も
「今御帰りがけ?」
彼はおろした腰をまた立てなければならなかった。
「奥さんはどうなすって」
津田の
「奥さんができたせいか近頃はあんまり
細君の言葉には遠慮も何もなかった。彼女は自分の前に
「まだ
津田は軽く砂を揚げて来る風を、じっとしてやり過ごす時のように、おとなしくしていた。
「だけど、もうよっぽどになるわね、結婚なすってから」
「ええもう
「早いものね、ついこの
「何がです」
「御夫婦仲がよ」
「別にどうという事もありません」
「じゃもう
「嬉しいところなんか始めからないんですから、仕方がありません」
「じゃこれからよ。もし始めからないなら、これからよ、嬉しいところの出て来るのは」
「ありがとう、じゃ楽しみにして待っていましょう」
「時にあなた御いくつ?」
「もうたくさんです」
「たくさんじゃないわよ。ちょっと伺いたいから伺ったんだから、正直に
「じゃ申し上げます。実は三十です」
「すると来年はもう一ね」
「順に行けばまあそうなる
「お延さんは?」
「あいつは三です」
「来年?」
「いえ今年」
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