第七話

「マリー、今夜はお父さまとお母さまと一緒に寝たいです」


 ハイデマリーがそんなことを言い出したのは、夕食も湯浴みも済ませ、後は寝るだけという時間になってのことだった。

 期待に満ちた目を向けられ、エルネスタとヴィンフリートは揃って顔を見合わせ、互いに眉を下げる。

 幼子のおねだりは実に可愛らしい。が、結婚してこの方同じ寝室で眠ったことのない夫婦にとって、同じ寝台で眠るというのは、いささか難しい問題だ。


「いえ、それはちょっと……。ねえ、ヴィンフリートさま」

「あ、ああ、そうだな。マリーはもう大きいから、ひとりで眠れるだろう?」

「だめ……ですか?」


 やんわり断ろうとしたふたりだったが、捨て犬のような悲しげに潤んだ目を向けられてはたまらない。


「い、いや。全然駄目じゃないぞ。なあ、エルネスタ殿!」

「そ、そうよ! 駄目じゃないわ。皆で仲良く一緒に寝ましょう!」


 慌てて前言撤回すると、沈んでいたハイデマリーの表情がぱっと明るくなった。


「本当ですか!? やったぁ! マリー、枕取ってきますね」


 そう言って自分の部屋へ姿を消したかと思えば、今日町で買ったばかりの枕を抱えて戻ってくる。

 両親の気が変わることを心配してか、わざわざ走って行き来しているところが可愛らしい。


「それじゃ、マリーが真ん中で、お父さまは左。お母さまは右ですね!」


 寝室へ入るなり、ハイデマリーは寝台へぴょんと飛び乗り、自身の左右を手でぽんぽん叩いて指し示す。

 エルネスタとヴィンフリートは互いにゆっくりと顔を見合わせた。同時に苦笑を零し、娘に促されるがまま寝台へ横たわる。


「手、繋いでもいいですか?」

「もちろん、いいわよ」

「お父さまも?」

「ああ。先に灯りを消すから待っていなさい」


 小さな魔法石を埋め込んだ操作器を使って部屋の灯りを消すと、部屋の中を照らすのはほんのりとした月明かりのみ。

 暗闇の中で繋いだ手は小さくてぽかぽかと温かく、いつまでも握っていたい心地にさせられた。


「おやすみなさい」

「ええ、おやすみなさい」

「おやすみ、ふたりとも」


 就寝の挨拶を交わし、しばし寝室には静寂が満ちる。

 だがやがて、暗闇の中で小さな笑い声が響いた。


「……ふふっ」

「どうしたの、マリー?」


 問いかけると、ハイデマリーが少し眠そうな、幸せそうな声で言う。


「こうして家族三人で眠るの、とっても久しぶりで嬉しいです。……お父さま、お母さま」

「ん?」

「ずっと、ずっとマリーの側にいてくださいね。どこにも、いなくならないで……」

「――マリー?」


 どこか寂しげなその声に違和感を覚え、僅かに身体を起こしてハイデマリーの顔を覗き込めば、彼女は既に夢の中の住人と化していた。

 むにゃむにゃと寝言を零すマリーの頭を撫でていると、暗闇の中、ヴィンフリートもまた上体を起こして彼女の様子を窺う。


「……やはり、両親が恋しいのだろうな」


 マリー越しに視線を合わせ、ヴィンフリートがぽつりと小声で呟いた。


「そうですね。……未来の自分相手にこんなことを考えるのはおかしいかもしれませんが、少しだけ、嫉妬してしまいます。この子の、本当の両親たちに」


 ハイデマリーは自分たちを両親と呼んで慕ってくれるし、笑顔も見せてくれる。けれどやはりふとした時、寂しい目をすることがあるのだ。

 今日買い物に出かけた時も、仲睦まじげな親子連れを見るたびに目を伏せ、視界から追い出そうとしていたように思う。


「俺もそうだ。こんなに可愛らしい子に慕われて……未来の自分を、少し羨ましいと感じている」

「ふふ。ヴィンフリートさまに子供好きの一面があるなんて、思いもしませんでした」


 ハイデマリーが現れてから二日間、ずっと彼の様子を観察してきたが、ヴィンフリートは中々の子煩悩だった。

 食事の際に汚れた口元を拭いてあげたり、切りにくい料理を切り分けたり、ハイデマリーの好きな果物を分けてあげたり。

 その姿を見ていれば、彼はきっと将来良い父親になるのだろうなと、容易に想像することができた。


「自分の子供は特別可愛いものだろう。ましてや、君との子ともなればなおさら」

「そうですよね、私との子供ともなれば……って、――え?」


 思わず聞き流しそうになったエルネスタだったが、途中で何かがおかしいことに気づき、口を閉じる。

 今、ヴィンフリートはなんと言った?


(私との子だったらなおさら、何……? 特別か、可愛いって仰ったの?)


 その言葉の意味するところは、つまり。

 ――いや、聞き間違いに違いない。結婚してからずっと塩対応だったヴィンフリートが、今更そんなことを言うはずないではないか。

 きっと自分で思っている以上に眠いのだ。だから、耳が妙な錯覚を起こしてしまったのだろう。


「言っておくが、聞き間違いではないからな」

「うぇっ!?」


 ヴィンフリートは魔術が使えないはずだったが、いつの間に読心魔法の類いを習得したのか。

 今まさに心の中で考えていたことを否定され、エルネスタの声が裏返る。


「読心魔法でもない。……君は、わかりやすいんだ」

「そ、それは失礼いたしました。今後はいつでも冷静沈着に対処できるよう、精進いたします」


 おそらく、今口にすべきはそんな決意ではない。

 だが、エルネスタは自分で思っている以上に混乱していっぱいいっぱいだった。


(聞き間違いではないって。でも、でも、だったら一体、ヴィンフリートさまはどういうおつもりで――)


「すまない。君を困惑させるつもりではなかったんだ。ただ……今、伝えておくべきだと思ったんだ。俺は、マリーを初めとしてこれから俺たちの間に産まれてくる子供たちの成長を、君と一緒に見守りたいと考えている」

「えと、それは、そうしないと将来マリーたちが産まれてこないから……ということですよね?」

「違う。もちろんマリーには産まれてきてほしいが、何より俺が……その、君に惚れているからだ」


 そう言って、ヴィンフリートは初めてエルネスタと出会った時の思い出を語り始めた。

 正直、言われてみればそんなこともあったかもしれない程度の記憶だったが、ヴィンフリートにとってはとても印象深い出来事だったらしい。


「君はこの結婚を、血統貴族と新興貴族の不和を取り持つための政略だと思っていたようだが、それは違う。俺が、君を望んだんだ」


 政略と思い込んでいる相手に「好きだから求婚した」なんて、あまりに情けなくて言い出せなかったが、と彼は言う。


(つまり、私は最初からずっと勘違いして……?)


 望まれた結婚であるにも拘らず、初夜の床で夫に対して任務やら義務やら散々無神経な言葉を放った記憶が、唐突に思い起こされる。


 灯りを消していてよかった。そうでなければ、エルネスタは青くなったり赤くなったり、忙しなく変化する顔色をヴィンフリートに見られてしまっていただろうから。


  

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