第六話
翌朝。
「今日は皆でお買い物に行きましょうか」
朝食を食べ終えた後、エルネスタはふたりにそんな提案をした。
着の身着のまま未来からやってきたハイデマリーのために、着替えや身の回り品を揃えるべきだと思ったからだ。
本当ならデザイナーや仕立屋を呼んで一から仕立てたいところだが、それでは時間がかかりすぎる。
幸いにして最近は、魔道具を使って生産された既製品を置く店も増えてきている。
当座はそれでしのげるだろう。
「お買い物! お父さまと、お母さまと一緒にですか?」
「いや、俺は――」
「ええ、もちろん。三人で一緒に、あなたのドレスやお靴や日用品を見に行きましょう。ね、ヴィンフリートさま」
やんわり断ろうとするヴィンフリートの言葉を遮り、エルネスタは笑顔で圧をかけた。
今日、彼の仕事が休みであることは知っている。
たった一人で未来からやってきた娘が、両親と買い物に出かけられるかもしれないと、期待に目を輝かせているのだ。たいした理由もないのに断って、わざわざ失望させずともいいだろう。
「……わかった。すぐに準備をする」
ハイデマリーの笑顔に負けたのか、あるいは娘の期待を裏切るなというエルネスタの無言の訴えに負けたのか。結局、ヴィンフリートは複雑そうな顔をしながらも頷いたのだった。
町へ繰り出すに当たって、エルネスタとヴィンフリートはハイデマリーにある約束をさせた。
それは、人目のあるところではふたりのことを『お父さま』『お母さま』と呼ばないこと。
元々賢い子なのだろう。ハイデマリーはすぐにふたりの言いたいことを理解し、頷いてくれた。
ただ、問題だったのは、彼女が提案した呼び方だ。
「では、お父さまのことはおじさま。お母さまのことはお姉さまとお呼びしますね」
十歳の子供からすれば、二十七歳は確かに『おじさま』なのかもしれない。
しかし、つい先日まで独身だった彼にとって突然の『おじさま』呼びは、中々に破壊力が強かったのだろう。ましてや、妻のエルネスタは『お姉さま』なのだ。
「おじさま……そうか、おじさまか……」
どこか遠い目をしながら呟くヴィンフリートを前に、さすがの中将閣下も子供には叶わないのだと、エルネスタは笑いをかみ殺すのに必死だった。
町の雑貨店や衣料品店に寄って、一通りハイデマリーの身の回り品を揃えた三人は、ひとまずどこかで昼食を取ろうということになった。
「マリー、プリンが食べたいです! 果物がたくさんのったの!」
「では、プリンが美味いと評判のレストランに行こうか。エルネスタ殿はそれでいいか?」
「ええ、もちろん。プリンは私も大好物ですわ」
甘い物がそこまで得意ではないエルネスタだが、プリンだけは別だ。子供の頃から、実家の料理人にねだっては色々なプリンを作ってもらい、父から『プリンの食べ過ぎだ』と叱られるほどであった。
(親子で食の好みって似るものなのね)
自分とハイデマリーの共通点を見つけて、なんとなく嬉しくなる。
「それにしても、ヴィンフリートさまがプリンが評判のお店をご存じなんて」
印象で決めつけるのは失礼かもしれないが、屈強で厳めしい顔立ちをしたヴィンフリートとプリンという組み合わせがあまりにも意外だったのだ。
「お母さまのために調べたんですよね」
「マリー!」
横から小声で口出ししたマリーを慌てて制止したヴィンフリートだったが、彼女は父のことを無視すると、少し得意げに胸を反らす。
「お父さまが言ってました。お母さまと結婚する前に、お母さまの好きなものをたくさん調べたんだって。いつか一緒に行きたい場所とか、お店とか、色々考えてたんだって」
「そうだったのですか?」
言われてみれば、彼が用意してくれた婚礼衣装や部屋の内装は、すべてエルネスタの好みに合わせて揃えられていた気がする。
避けられ続けていたせいで厭われているものだとばかり思っていたけれど、実はそうではなかったのだろうか。ヴィンフリートなりに、この結婚をよきものにしたいと思ってくれていたのだろうか。
「……そうだと答えたら、どうなんだ」
ヴィンフリートが、睨むようにエルネスタを見る。けれど迫力のないその表情は、怒っているというより、むしろ秘密ごとがバレて気まずい思いをしている、子供のような印象だ。
「とても嬉しいです。嫌われていると思っていましたから」
「嫌ってなどいない。……言っておくが、君が前に言っていたように外に女性を囲っているわけでもないから、勘違いしないように。俺にはエルネスタ殿だけだ」
「え――」
まっすぐな眼差しに射貫かれ、エルネスタは言葉を失う。
俺にはエルネスタ殿だけ。
まるで告白のようなその一言に、じわじわと頬が熱くなった。
「そ、それを聞いて安心いたしました。これで、妻としての面目は保てそうです」
それでも、すぐさま平静を装って微笑んだのは、ヴィンフリートが深い意味で言ったわけではないとわかっていたからだ。
彼は、単に自分が浮気をしていない事実を伝えたかっただけ。それ以上の意味などない。
幸いにして、エルネスタが動揺によってぼろを出すより早く、一行は目的のレストランに到着した。
店先にある小さな看板を目にした途端、ハイデマリーが嬉しそうな声を上げる。
「わあ! ここってもしかして、〝金の仔牛亭〟ですか」
「――知ってるの?」
「はい! マリーがおなかの中にいる時、お母さまは食欲があまりなかったらしくて、お父さまがよくこのお店のプリンを持って帰って食べさせてたって言ってました」
子供のいない老夫婦が経営していたため、自分が物心つく頃にはもう、店は無くなってしまったのだと付け加える。
「お父さまとお母さまの思い出のお店に来られるなんて、マリー嬉しいです」
「私たちも、あなたと一緒に来られて嬉しいわ。また――」
またいつでも一緒に来よう。
無意識にそう口にしようとしていたエルネスタは、不意に口を閉じる。
未来へ帰る方法がわかったら、ハイデマリーはいなくなってしまう。そうすればもう、ヴィンフリートと彼女と三人でこの店に来ることは二度と叶わないのだ。
ただ、以前の通りの生活に戻るだけ。
それなのに、エルネスタはそのことを無性に寂しく思った。
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