幕間 ヴィンフリートの苦悩1
ヴィンフリート・ヴァレンシュタインは、生真面目というものを絵に描いたような男だった。
名門ヴァレンシュタインの嫡男としてこの世に生を享けた、エリート中のエリート。
将来オルヴァン王国の守護者となるべく、幼い頃より父について軍事基地を転々とし、武人としての英才教育を施される毎日を送ってきた。
それは、成長して大人になってからも変わらない。
毎朝鶏の声と共に目を覚まし、屋敷の庭で剣の鍛錬。簡単な朝食を取った後仕事へ向かい、定められた職務をこなして帰宅。夕食と湯浴みを済ませ、夜の鍛錬を行った後に就寝。
たまの休日には分厚い戦術書を読み込み、ありとあらゆる地形、敵部隊の構成を想定し、適切な戦略を練る。
判を押したように、日々同じことの繰り返し。
それが、ヴィンフリートの人生だった。
貴族の中には、その身分によって軍で高い地位を得た者も大勢いる。
しかしヴィンフリートは違う。名門の産まれだからと言って決しておごることなく、常に己を厳しく律し鍛え上げてきた。それは十八の時に父を亡くし、伯爵位を継いでからも変わらない。
今の地位は、すべて自分の努力と実力の結果である。
ヴィンフリートは、そのことに誇りを抱いていた。
「あなたが立派になってくれたのは嬉しいけれど、もっと息抜きも必要だと思うわ」
母は、仕事人間だった息子の出世を喜んでくれはしたものの、いつも少し不満げだった。
「いつも仕事仕事仕事で、休日だって鍛錬するか、戦術書とにらめっこしてばかり。少しは町に出て、若者らしい遊びのひとつやふたつ、してきたらどうなの?」
そうは言っても、同じ年頃の男の子たちが木登りをして遊んでいる頃から、剣術や馬術の訓練に明け暮れる毎日を送ってきたのだ。
これ以外の生き方をヴィンフリートは知らないし、酒だ女だ賭博だと騒ぐ同期連中のことを、内心で馬鹿にもしていた。
特に、恋とやらにうつつを抜かし、女の態度に一喜一憂する男どものなんと情けないことか。
あんな醜態をさらすくらいなら、自分は一生このままでいいとさえ思っていた。
「軍人に楽しみは必要ありません。国民の笑顔や平和を守るために我々は存在するのだ、自分の享楽や幸福など二の次にしろと、父上もいつもおっしゃっていました」
「お父さまは立派な方だったけれど、少し視野が狭かったものね」
もちろん母のことは親として尊敬していたが、ヴィンフリートはその言葉に小さな憤りを覚えた。
母が平穏無事に生活できているのは、父が懸命に家族を守ろうと頑張ってきたからだ。それなのに、そんな非難めいた言い方はあんまりではないか。
息子の苛立ちに気づいているのかいないのか、母はため息をつきながら一通の手紙を差し出してきた。
夜会への招待状だった。
「あなたももう二十五歳だし、断ってばかりいないでたまには社交の場に出ないとね。でないと、素晴らしい恋も、素敵な結婚もできないわ」
社交界など、くだらない噂話とつまらない駆け引きにまみれた、虚飾の世界。
女はよりよい条件の男を得るために派手に着飾り、男はより美しい女を得るために薄っぺらい言葉で己を飾り立てる。
ヴィンフリートがもっとも嫌う場所だ。
「結婚など、血を繋ぐための手段でしかありません。子を産んでくれる相手であれば、誰であろうと変わりない。簡単なことです」
それこそよほど非常識な相手でなければ、顔の美醜や性格の合う合わないはどうでもいい。
条件は至ってシンプルだ。適当な年齢で適当な家柄の、健康な子を産めそうな女性を見繕えばいいだけの話である。
愛だの恋だの、不確かで非合理的な感情など必要ない。
だが、母はあくまでヴィンフリートの考えを否定したいようだった。
「あなたはまだ若いし、人生のすべてを知った気になって、自分の進むべき方向を決めるには早すぎる。お母さまはあなたに、仕事だけでなく色々な世界を見て、知って、経験してほしいのよ」
先ほど『もう二十五歳』と言った口で、『まだ若い』と言う。
めちゃくちゃな論理だったが、それでもおおらかな彼女にしては珍しく真剣な表情に、ヴィンフリートはとっさに言い返すことができなかった。
「というわけで、私のほうから出席のお返事を出しておきますからね。誰でもいいと言うのなら、その相手は自分で見つけていらっしゃい」
言葉に迷っている間に、母はそう言い残して去ってしまった。
そして彼女が勝手に出席を決めたその夜会こそが、ヴィンフリートのその後の人生を大きく変えるきっかけとなる。
§
『子を産んでくれるなら誰でもいい』だとか『簡単なことだ』と母に豪語した以上、ヴィンフリートは今回の夜会で花嫁候補を見繕う必要があった。
そして夜会に参加するまでは、この程度の条件ならばすぐに見つかるだろうとたかを括っていた。
しかし、現実は甘くなかった。
年頃の少女たちは皆、ヴィンフリートが少し話しかけるだけで顔をしかめたり、青ざめたりするのだ。前者はおそらく、血統主義の貴族令嬢。そして後者はおそらく、ヴィンフリートの見た目を恐れたのだろう。
細身で物腰柔らかな男性が理想的とされる社交界において、ヴィンフリートの鍛え上げられた鋼のような肉体と眼光の鋭さは、明らかに異質だった。
酷い時には、近づいただけでそそくさと逃げられてしまう始末である。
夜会が始まって三十分ほどが経つ頃には、ヴィンフリートはすっかり、自力で花嫁を探すことを諦めていた。
元々、そんなに乗り気ではなかったのだ。同輩や上官、あるいは親戚にでも頼んで、誰か適当な女性を見繕ってもらおう。
広間の隅でひとりワインを飲みながら、そろそろ帰ろうとしていた時のことだった。
「おやおや、成り上がりの似非貴族の臭いがぷんぷんするなぁ」
ひとりの青年が、声高に嫌味を口にしながら絡んできたのは。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます