第4話

「……可能なのか?」


 ハイデマリーと名乗った女の子をしばらく無言で眺めた後、ヴィンフリートが小声で問いかける。


「君は魔術省に勤める国家魔術師だろう。時空を超える魔術というものは存在するのか?」

「いいえ……。今はもう、滅んだ魔術のはずです」


 オルヴァン王国には、偉大な魔術師を始祖とする七つの一族が存在している。

 一族はそれぞれに異なる属性の力を司っており、例えば王家であれば光、フォイエルバッハは炎、ローゼンミュラーは大地……といった具合だ。


 しかし、かつて時空を司っていた七大家の内のひとつであるトルンメル家は、もう二百年も前に忽然と姿を消してしまった。それも、かの家が保有していた屋敷や膨大な魔術書、蓄えた知識と共に。

 強大な力を厭った王家の差し金によるものとも、絶大な権力に嫉妬した他家の仕業とも言われているが、実際のところはわからない。

 ともかくそれによって、研究者たちの間でも長い間、現在の魔術では時間旅行をすることは不可能とされてきた。


 だが、これだけの証拠を突きつけられてなお、この子が自分たちの子供ではないと否定できるほどエルネスタも愚かではない。

 しかし、である。


(子供! 私と、ヴィンフリートさまの間に! 手すら繋いだことがないのに!?)


 やることをやらねば子供はできない。

 しかし、現実にエルネスタたちの目の前には、ふたりの特徴をそっくりそのまま受け継いだ愛らしい女の子が佇んでいる。


「あなた、年はいくつ?」

「はい、九つです!」


 元気よく答えられ、またしても目眩に見舞われる。

 今より十年後の未来からやってきた、九歳の娘。


(つまり単純計算すれば、少なくともこれから一年以内に、私はこの子をに、に、ににに妊娠……)


 妊娠に伴う具体的な行為に思いを馳せ、顔が赤くなる。

 ちらとヴィンフリートを見ると、彼もなんとも言えない表情で腕組みをし、黙り込んでいた。


(そうよね。まさか私たちに子供なんて、想像もできないわよね)


 一体、少し未来の自分たちの身に何が起これば、こんな可愛い娘が生まれるのだろう。


(酔った勢いで一夜の過ちを犯したとか……? それとも、お義母さまの策略で媚薬を飲まされたとか) 


 だが、その可能性は低いように思えた。

 なぜならハイデマリーは、明らかに両親を慕っているからだ。

 様子を見ていればわかる。きっと彼女は両親それぞれから深く愛され、大切にされて育った子供なのだろう。


「ねえ、マリー。私――ではなくて、あなたのお父さまとお母さまって、どんなご夫婦なの?」

「お父さまとお母さまは、とってもラブラブです! いつも行ってらっしゃいのチューとか、お帰りなさいのチューをして、弟たちからも呆れられるほどです」

弟たち、、、?」

「マリーには四人の弟がいて、お母さまのおなかにはもうひとり赤ちゃんがいるんです。お友だちのお母さまたちからはいつも、ご両親の仲がよくて良いわねぇって言われます」


 紅茶を飲んでいたヴィンフリートが、そこで盛大にむせた。

 彼はごほんげふんと音を立ててひとしきり咳き込んだ後、口元を拭いながら椅子から立ち上がる。

 そして膝を折って大きな身体をかがめ、ハイデマリーと視線を合わせた。


「き、君はどうやってここへ? なんの目的があって、過去にやってきたんだ?」


 やや強引に話題を逸らしたような気はするものの、むしろその質問こそが、今回の事態においてもっとも重要であることは疑いようもない。


「うーんと。マリー、自分のお部屋でお人形さん遊びをしてたんです。そしたら、突然鏡がピカーッて光って、知らないおばあさんが映って……」

「おばあさん?」

「はい! 絵本に出てくるような黒いローブを着た、魔女みたいな、白髪のおばあさんでした。そのおばあさんが言ったんです。過去に戻って、昔のお父さまとお母さまに伝えてほしいことがあるって。フィッシャーには気をつけろって」


 漁師フィッシャー? と、エルネスタとヴィンフリートは揃って顔を見合わせる。

 その『おばあさん』とやらの正体もさることながら、伝言の内容にもまったく思い当たる節がない。


「ヴィンフリートさまのお知り合いに、漁師さんはいらっしゃいますか?」

「いや……。君のほうは?」

「私もまったく……」


 知らぬところで漁師の恨みでも買っただろうかと考えてみたが、その可能性も中々に低そうだ。

 もしかすれば他に手がかりが得られるかもしれないと、エルネスタはもう一度ハイデマリーに問いかけた。


「そのおばあさんは、他には何か言っていた?」

「えっと、すごく悲しそうな顔をして、ごめんねって何度も謝ってました。その後、スーッて幽霊みたいに消えちゃいました」


 しかし残念ながら、ハイデマリーの持つ情報はこれだけのようだった。

 

(でも、だったらどうすればいいのかしら)


 老婆の正体がわかるのであれば、彼女の許を訪ねて、ハイデマリーを未来へ帰してもらえばいい。  しかし先ほどハイデマリー自身が『知らないおばあさん』と言っていた通り、謎の老婆の正体を知ることは難しそうだ。

 頭を悩ませていると、ふと、ヴィンフリートと目が合った。


「エルネスタ殿、少しいいか。……マリー、君はちょっとそこで、お菓子でも食べていなさい」

「はい、お父さま」


 行儀よく返事をしたハイデマリーをティールームに置き去りにし、エルネスタは促されるがままいったん廊下へ出る。

 扉を閉めたヴィンフリートが、真剣な表情で話しかけてきた。


「――俺は魔術のことはさっぱりだが、君はどうすればいいと思う」


 声は小さく、扉の向こうにいるハイデマリーに聞こえないよう気を遣っているようだ。

 ――どうすればいいのか。

 それはたった今、エルネスタが頭を悩ませていた問題とまったく同じ問いかけで、すぐに答えることはできなかった。 


「たとえば魔術省の上司なり長官なりに相談して、この子を未来へ送り返すことはできないのか?」

 

 その提案に、エルネスタは慌てて首を横に振る。

 探究心旺盛、と言えば聞こえは良いかもしれないが、魔術師というものは総じて、魔術絡みのこととなると目の色を変える。

 それも、既に滅んだとされる時空魔法によって過去へやってきた存在がいると知れば、こぞって研究対象にしたがるだろう。


「人体実験……まではさすがにしないと信じたいですが、魔術師の中には、魔術以外は二の次という過激な者も存在します。小さな女の子にとって、厳しい環境に置かれることは間違いありません」

「なるほど、それはよくないな。あの子は何も知らないまま、この時代へ送られた、いわば被害者だ。辛い目に遭わせるわけにはいかない」


 彼が自分と同意見であることに、エルネスタは安堵した。

 軍の人間である以上、魔術師と顔を合わせずに済むことはできない。

 きっとヴィンフリートも、自分の知る『過激な魔術師』を思い浮かべたのだろう。


「しばらくの間、マリーはこの屋敷で保護しましょう。その間に、私は父に相談してみようと思います。父であれば、いたずらにマリーのことを外部へ漏らすような真似は決してしないでしょうから」

「わかった、その件に関しては君に任せる」


 こうして、三人の奇妙な共同生活が幕を上げたのである。

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