第5話 神隠し初詣


よく晴れたお正月。

三日の日だけ私とさかきさんの休みが被ったから、私たちは白水市はくすいしでも大きな神社へ初詣に行くことにした。

「晴れ着見たかった……」

待ち合わせの神社前で分かりやすく項垂れる榊さんに、私は溜息をつく。今日は白いセーターに紺色のハカマパンツにベージュのダッフルコートという、至って普通の格好だ。髪は下の方で団子にしてまとめてるけど。榊さんも、黒のブイネックセーターにパンツ、深緑色のジャケットという、いつも通りの格好。

「……着れる訳ないじゃないですか」

晴れ着はいろいろ準備も大変なのに。でも、いつかは着ても……良いのかな。こんなこと言われるなら。

「でも今日の格好も似合ってる」

榊さんががばっと顔を上げ真顔で言うので、私は思わず顔を逸した。榊さんが声を出して笑う。

「顔真っ赤」

「誰のせいですか!」

「俺だけど?さ、並ぶか」

まだ笑っている榊さんに手を取られ、私も歩き出す。釈然としないけど。人出は多く、参道にはかなり人が並んでいる。榊さんと並んでいたら、後ろからよく知った声に名前を呼ばれた。

「榊!菫ちゃん!」

「あ?吉瑞きずき?」

「吉瑞さん!」

振り向いたら、佐和商店の店長・佐和吉瑞さわきずきさんが居た。隣には、吉瑞さんのお祖父さんである芳賢よしかたさんもいる。

「明けましておめでとうー!店でも言ったけど」

「明けましておめでとう」

私たちも、二人にそれぞれ新年の挨拶をする。

「菫ちゃん今日もかわいー!!」

真後ろにいる吉瑞さんが、ギュッと抱き締めてくる。

「吉瑞さんも綺麗ですよ、今日も」

吉瑞さんは、薄紅色のロングスカートに灰色のトッパーコート姿。いつも結っている髪を、今日は下ろしている。背の高さも相まって、すらっとして綺麗だ。吉瑞さんは私を見て、嬉しそうに笑う。

「菫ちゃんに褒められちゃったー!」

更に強く抱き締められる。

「へいへい、そこまでな。列動くから」

不機嫌そうな顔の榊さんに肩を抱かれ、強制的に前進する。後ろから、爆笑する声が聞こえた。

「榊余裕無さすぎ!」

「うるせぇ、これでも寛大だわ」

榊さんと付き合っていることは、吉瑞さんももう知っている。吉瑞さんどころか、芳賢さんも天我老くんも魚住さんも知ってるのだ。隠すつもりは無かったけど、めちゃくちゃお祝い言われて恥ずかしかった。

「……俺は格好良いとか言われたこと無いのに」

肩を抱かれてるせいか、呟いた声が確かに聞こえた。

「榊さん?」

パッと肩から手が離れる。

「参拝終わったら甘酒でも飲むか」

そう言って笑う榊さんは、いつも通り、に見えた。吉瑞さんは後ろでまだ爆笑してて、芳賢さんに怒られてた。


無事に参拝を終えて、みんなでおみくじを引く。

榊さんがパッと目を輝かせる。

「おっ、大吉ー!さすが俺」

「私も大吉ー!!」

「私も大吉です」

「僕も」

四人全員大吉。私はおみくじの中身を読む。ん?

「“懐かしい人と再会” “大事の為なら迷いなく進め”」

この二つの文が、パッと目に飛び込んで来た。何だろう?

「すみちゃん?どうした?」

榊さんの声で我に返る。

「いえ。大吉ですし、持っておきます。このおみくじ」

少し、胸騒ぎがする。おめでたいお正月の初詣なのに。とにかく並んだから、私たちは休憩で小さな神社が並ぶエリアまで来た。縁日が無いせいか、不思議とあまり人が居ない。

「こっちにも神様たくさん居るんだねー」

吉瑞さんは無邪気に笑って眺めている。

「あれ、鳥居しかないね。何の神様が祀られてるのかな?」

吉瑞さんが笑って、一基の鳥居を指差す。朱色が鮮やか過ぎる鳥居の向こうは、石畳があるだけで、社が見当たらない。ドキリとした。あれをくぐってはいけない。そんな気がして。吉瑞さんは軽やかな足取りで鳥居に向かう。

「吉瑞さん!その鳥居は、」

「吉瑞!」

芳賢さんも声を上げた。私が動くより早く、榊さんが駆けた。

「馬鹿!行くな、」

するりと鳥居の向こうへ行く吉瑞さんの腕を、榊さんが掴む。だけど。二人はそのまま、鳥居を抜けて消えてしまった。私と芳賢さんが鳥居の前まで来ても、二人を見つけられない。私も鳥居をくぐってみたけど、何も変わらない。まるで、神隠し。

「芳賢さん、」

「全く……あの子と来たら……」

芳賢さんは呆れたように溜息をついたが、焦ってはいなかった。

「菫ちゃん、せっかくの初詣なのに済まないね。手伝ってくれないかな」

「も、もちろんです。私に出来ることなら」

芳賢さんは、優しい目をして笑った。


「あの、本当に大丈夫なんでしょうか……?その、破魔矢を放つなんて……」

「大丈夫大丈夫。悪いことに使うんじゃないし」

芳賢さんが気楽に笑っているが、私は全く笑えない。芳賢さんはあの後、神社の社務所に向かい、宮司さん?と何か話をしたらしい。よく分からないけど。その後、何故か弓と破魔矢を持って戻って来た。そして、あの鳥居を抜けるように、破魔矢を放ってほしいと言われたのだ。

「ちゃんと宮司さんにも許可取ってるし、本当に大丈夫だよ。誰も怒らないから。神様もね」

「は、はい……」

破魔矢には、神様への手紙?というのか、二人を戻してください、という旨の内容が書かれた紙を結んでいる。

「矢を放って、矢が消えたら成功。道がまた通るから、菫ちゃんなら通れるよ。帰り道は、また同じように破魔矢を放てば良いから」

「分かりました……」

私は深呼吸する。“大事の為なら迷いなく進め”おみくじの言葉が胸に浮かぶ。このこと?私は破魔矢を持ち、弓を構える。弓を扱ったことはない。弦を強く引き、手を放す。風を切り、矢は真っ直ぐに鳥居を抜け、消えた。

「凄い凄い。菫ちゃん上手だね。成功したよ」

「ありがとうございます……。行って来ます」

「気を付けて。二人を頼むね」

私は頷いて、鳥居をくぐる。気づいたら、走ってた。榊さんは、無事だろうか。吉瑞さんも。石畳は終わって、石段の階段が続いていた。私は迷わず駆け上がる。登った先は、さっきまでいた本殿だった。ただ、人が居ない。静まり返る境内は、清々しく綺麗な空気だ。神社に無かったはずの東屋を見つけて、私はまた走る。人影が見えた。あれは、

「榊さん!吉瑞さん!」

叫びながら、私は東屋に飛び込んだ。座っていた二人は目を見開いて私を見ている。

「すみちゃん!」

「菫ちゃん!」

息が苦しい。肩で息をする私の背を、榊さんが擦ってくれた。

「来てくれたのか」

「……当たり前じゃないですか」

榊さんを見上げたら、優しい目で私を見ている。吉瑞さんが頭を撫でてくれた。

「菫ちゃんありがとう!」

ここで初めて、二人以外に誰かいることに気付いた。身体を立て直すと、藍色の着物姿の若い男性がいる。あれ、この人は。記憶が一気に蘇る。

「……三途の川のお兄さん?」

「やあ。久しぶりだね、菫ちゃん」

榊さんと吉瑞さんが息を呑んで驚いているのが、気配で分かった。

「曽祖父ちゃん!菫ちゃんのこと知ってるの!?」

「曽祖父ちゃん?」

私は吉瑞さんを見る。

「あれ?言ってなかったっけ?吉瑞。昔、死にかけた私を助けてくれたのは、此処に居る菫ちゃんだよ」

「はあっ!?初耳よ、そんな話!」

「あれー?だから縁あって菫ちゃんを雇ったのかな、って思ったんだけど」

あっけらかんと言い放つお兄さんに、吉瑞さんは噛み付くように文句を言う。

「あ、あの……お兄さん、名前は……」

「うん?ああ、そっか。別れ際に教えたから、菫ちゃんには聞こえてなかったんだね。私の名前は、吉芳きちよし佐和吉芳さわきちよしだよ。お兄さんも良いけど、吉芳、って呼んでくれたら嬉しいな」

吉芳さんは、私の記憶の中の姿そのままに笑った。

あの時のことは、よく覚えている。私だって、死にかけていたんだから。

「すみちゃん」

榊さんに目で聞かれ、私は頷く。

「ーー私、昔火事に巻き込まれて煙を吸って、意識不明の重体になったんです。小学校高学年くらいの頃でしょうか。それで……」


ーー見たことの無い河原に、一人で立っていたのだ。色は無く、天も地も灰色だった。

目には寒々と見える景色だが、実際寒くも暑くもなくて。自分と、自分の着ている服だけが、色彩を放っていた。

「私もね。あの頃うっかり悪い風邪で高熱を出してね。やっぱり三途の川に居たんだよ」

吉芳さんは、私を見ながら懐かしそうに目を細めた。

「私は亡者に嫉妬されたのさ。私にはよく分からなかったが、どうやら生き返れる身だったようだ。それが、向こう様には気に食わなかったようで。川に引きずり込まれたんだ」

榊さんと吉瑞さんは、興味津々で聞き入っている。

「私、よく覚えていないんです。気付いたら、川に入って吉芳さんの手を掴んでて。子供が、大人くらいの体格の男性を、引っ張り上げられる訳ないのに。でも、出来てたんです」

川の水は、驚く程綺麗だった。吉芳さんのことがなかったら、留まりたかったくらいに。川から上がっても、不思議と私たちの身体は濡れていなかった。

「あの時の菫ちゃんは格好良かったよ」

そうだっただろうか。首を傾げていたら、笑う榊さんと目が合った。何だか気恥ずかしくて、直ぐ目を逸らす。

「菫ちゃんがね、一緒に帰ろう、って言ってくれたんだ」

「そう……でしたね。言いました、確かに」

帰れる、と思ったのだ。二人一緒に。何故かは分からないけど。

「だから、私は最後まで、曾孫の成長も見届けて天寿を全う出来た。ーー本当にありがとう、菫ちゃん」

目元を和ませて、吉芳さんが穏やかに笑う。吉瑞さんと同じ笑顔。気づいたら、私は泣いてた。あれから、生きてる吉芳さんに会ったことは無かった。生きている、と漠然と思ってそれで自分を納得させてたけど。本当に生きてたんだ。

「私こそ、ありがとうございます……無事で良かった……」

榊さんが、頭を撫でてくれた。吉瑞さんも、涙目になってる。

「でもどうして、三人は一緒に?ここは、」

私の問いに、吉芳さんが笑って答えてくれた。

「ここの神様は愉快な方でね。おまけに凄く気まぐれで抜けているところもある。時折うっかり、神の棲む異界への道を開いてしまうんだよ。さっきの鳥居みたいにね」

「じゃあさっきのは、うっかり……?」

うっかりで神隠しなんて、たまったものではないけど。榊さんも複雑な顔をしてる。吉瑞さんは楽しそう。

「私も一応正月は歳神の類に入るから、人間が二人もいると思って覗いて見たら、二人だったわけ。さっき破魔矢を放ってたでしょ?あれ、提案したの芳賢だよね。だからあまり心配ないかなってここで世間話してた」

あっけらかんと言う吉芳さんに、私は力が抜けそうになる。走って来たのに。

「でも長く居るところじゃないから、早くお帰り。帰り道用の文はもうあるから」

吉芳さんは、懐から私が放った破魔矢を取り出し、手紙を結びつけてくれた。

「弓は……持ってるね。じゃあ、ここから真っ直ぐ放つんだ」

私は矢を受け取り、さっきと同じように矢を放つ。真っ直ぐ飛び、消えた。

「成功だね。じゃあ、帰ろうか」

「えーもう帰るのー?」

「吉瑞はもう少し反省しろ。すみちゃんたちが居なかったら帰れなかったんだぞ」

榊さんが呆れたように言う。

「あはは。吉瑞、店のみんなを大事にね。あと、もうちょっと慎重になろうね」

「はーい」

全然反省して無さそうに言う吉瑞さんを先頭に、私たちは東屋の入口に立つ。

「もう私は一緒に帰れないけど、あの時、帰ろうと言ってくれたこと、嬉しかったよ。菫ちゃん」

耳元で言われた言葉に、私は吉芳さんを見た。

「吉芳さん、」

「またね、みんな」

とん、と背を押され、皆で一斉に東屋から出た。

景色が変わり、あの鳥居の前にいる。私たちの前には、芳賢さん。

「おかえり」

息を吐き出した。帰って来れた。異界なんて慣れるものじゃないけど、帰って来れた時はいつも、安心する。

「バカ孫」

「でっ!」

吉瑞さんは芳賢さんにデコピンされてた。

「知らなかったんだから仕方ないじゃない〜」

芳賢さんと榊さんが溜息をつく。ちょっと、吉瑞さんが羨ましいような。私は何故かくたびれてしまった。走ったこと以外、疲れる要素無かったはずなのに。榊さんの袖を引き、少し声を潜めて伝える。

「榊さん、今日はもう帰りたいです。……せっかくの初詣なのに、すみません」

「そうだな。もう出るか」

吉瑞さんたちへの挨拶もそこそこに、私たちは神社を出ることにした。

「榊くん、菫ちゃん、ありがとう。ごめんね。いろいろ」

「榊、菫ちゃんありがとうね!またねー!」

二人に見送られ、歩き出す。

「疲れただろ。悪かった」

「榊さんも吉瑞さんも悪くないです」

神様のうっかりでこんなことになるとは思わなかったけど。

「初詣、仕切り直しだな。別日にまた来ようぜ」

「え。でも、」

「お守り買えてないし、甘酒も飲めてないだろ」

「う。そうでした……」

覚えてたんだ。私が今日したかったこと。

「助けに来てくれて、ありがとな」

無事で本当に良かった。そういえば。

「並んでる時、何で不機嫌だったんですか?」

榊さんが立ち止まる。じっと私を見つめて数十秒。呆れた溜息をついた。何で。

「菫のそういうとこ本当……」

「私何かしたんですか?」

何をしたのか。全然心当たりが無い。どうしよう。

考え込んでいたら、笑い声が降って来た。

「……良い機会だから言っておくけどな。俺、独占欲は強い方だから」

「へ?独占欲」

榊さんを見上げたら、にやっと笑った。

「男だろうが女だろうが、あんな抱き着かれてんの見せられると、不機嫌になるわけ。男はそもそもさせねぇけど」

「え。えと、じゃあ、あれは」

「おまけに?俺には格好良いとか言ってくんないのに、吉瑞には綺麗とか普通に言ってるし?」

え?あの呟いてたのは、つまり、その。

「嫉妬……?」

耳まで顔が熱くなる。見られたくない。でも、榊さんに両手を掴まれ、動けなくなる。

「まだまだ分かって無さそうだな。俺がどれだけ菫のこと想ってるか。菫の一方通行じゃないんだぜ?」

「晃さん、」

全然分からなかった自分をぶん殴りたくなる。嬉しいのと恥ずかしいのと、感情がぐちゃぐちゃ。

「……榊さんはいつも格好良いですけど……格好良いって言っちゃったら、榊さんのこと見れなくなっちゃう、から……気持ちを伝えた後は……特に」

泣きそう。でも、そういうことで榊さんを不安にも不機嫌にもさせたくない。榊さんを見上げたら、目を丸くしてる。これは、何で?手を引かれ、あっという間に榊さんの腕の中。暖かい。

「可愛すぎ」

「え!?」

「でも格好良いは言って欲しい。たまにで良いから。菫から言われたいし、俺が嬉しい」

「わ、分かりました……。でも、」

「ん?」

「顔赤くなってもからかわないでくださいね」

「可愛いから問題無し」

「あのですね!」

叩こうとして、榊さんに笑いながら手を封じられた。この人は!

ご機嫌になった榊さんとそのまま、手を繋いで帰る。疲れが軽くなったのは、まだちょっと悔しかったから、言わなかった。








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