第24話

吉田です。今S県S市にいます。明日迎えにきてください。「波濤荘」という旅館に泊まってます。

場所と連絡先は……


 冬には温泉処として、夏には美しいビーチでの海水浴が楽しめるS市の文字を目にし、スメラギは腕時計を確かめた。時刻は午後2時。S県なら東京からおもったほど離れていない、今から車を飛ばせば夕方には着くだろう。

「おい、死神! 小夜子の迎えにいくぞ! 今度はヘマすんなよ!」

「そっちこそ」



「……おい。なんで死神のお前が温泉つかってんだよ」

「人間どもが気持ちいいというから、どんなものか試してみようかとおもってな」

「どうせ、死神のお前にはわかんねーだろーが」

「全然わからん」

 旅館の温泉につかりながら、スメラギは吉田を待った。平日の夕方とはいえ、遅ればせの夏休みを楽しんでいる家族連れや学生たちで浴場はにぎわっていた。

 ゆであがりそうなスメラギに対し、死神は死人のどんよりとした肌色のまま、平然と湯につかっている。

「男湯で待っていてください」――それが吉田の指示だった。

 美月のことがなかったら、楽しい旅行になっただろう。来る途中、車窓を流れた白い砂浜と明るい海がスメラギを誘っていた。

 ビーチにのんびり寝そべって、おしげもなくさらされる女の子たちのゴム鞠のように弾けそうな肉体を気兼ねなく堪能して…ああ、メガネは欠かせない、余計なものまでは見たくないし、紫水晶の濃い紫色が視線の先をごまかしてくれる…。

 ビーチでけだるい午後を過ごした後には、温泉にゆっくりとつかって日頃の疲れをほぐし、湯上りには冷たいビールで汗をひっこめ、その後は、地元で獲れた海の幸やら山の幸やらをいやというほど胃につめこんで……。

「すいませんでした」

 と、男湯に入ってきて、勢いよくスメラギの隣にとびこんできたのは吉田だった。

「小夜子さんがなかなか放してくれなくて……」

 前世での恋人と言葉を交すことのできる肉体を得た小夜子は、かたときも吉田のそばを離れようとせず、スメラギたちに見つかるのを恐れてか、ふたりきりで過ごしていたいためなのか、せっかく景色の美しい場所にやってきたというのに、部屋にとじこもったきりだという。

 唯一、小夜子のそばを離れられるのがトイレと風呂ぐらいなので、吉田はスメラギと話をする場所に男湯を指定した。

「体は男なんだから男湯に入ってきそうなもんだけどな」

「他の男の裸はみたくないとかで……。でも女湯を使うわけにはいかないので、夜中か朝早くかにこっそり入ってます。この時間帯は混んでるので、絶対入ってきません」

 男湯は、小夜子を死神に受け渡す計画を練るには、うってつけの場所ということだった。

「……すいませんでした」

 そのまま頭から湯につかってしまいそうなほど、吉田は深々と頭をさげた。湯にあたった項が真っ赤に染まっていた。

「手紙を読んでいるうちに、思い出したんです。どれだけ小夜子さんを愛していたか……」

今際の際にあって書かれた手紙には、恋人の安否を心配し、その生を天から与えられたままにまっとうしてほしいと願う言葉がつづられていた。愛おしい人には生き延びてもらいたいという思いが吉田の心を揺り動かし、その心に共鳴したかのように柏木孝雄の記憶が鮮やかによみがえった。

 前世での記憶を取り戻した吉田、言葉を交わすことのできる肉体をもった小夜子――

 ふたりで生きよう―そう持ちかけたのは小夜子だった。気付くとふたりはこっそり事務所を抜け出していた。そして3日間、気のむくままに漂い続けた。

「僕は小夜子さんを愛していたし、今も愛しています。でも、こんな形で、美月さんの体を借りたままで、一緒にいたいとはおもわない。美月さんには美月さんの人生があるわけで、それを奪ってまでだなんて……」

 吉田は躊躇し始めた。愛に夢中な小夜子に現実はみえない。一方、吉田健二という男として20年間を生きてきた吉田の前には現実が立ちはだかる。小夜子を愛していたが、目の前にいるのは、美月龍之介という人間だ。小夜子ではない。宮内小夜子は、60年以上も前に死んでいる。

 小夜子を、彼女がいるべき死の世界へ帰す――吉田は決心した。愛しい人の魂と再び別れなければならない悲しみに身も心も引き裂かれそうになりながら、吉田はスメラギに連絡を取った。

「彼女は…承知しているのか」

「説得します……」

 吉田はそういうと、「小夜子さんにあやしまれるといけないので…」と、そそくさと風呂をあがっていった。

 美月の体をのっとり、まるで生き返ったような感覚でいる小夜子が、たとえ恋人にさとされたからといって、恋人と一緒にいられる幸せを簡単に手放すだろうか――スメラギは吉田ほど楽観的にはなれなかった。

 情熱はときに執念に姿を変える。抑えのきかなくなった執念は……

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