第15話
「何がおかしいって言うんです」
この世のありとあらゆる生命のすべてを記録した鬼籍データに記載漏れなどあるはずがない。鬼籍データベースの管理責任者である小野篁(たかむら)は憮然としていた。
地獄を取り仕切り、閻魔庁のトップを務めるのは閻魔王こと夜摩だが、鬼籍データベースの実質的なトップ責任者は篁である。
それまでの和綴の記録帳に記載されていただけの情報を電子データに移行させ、関連する情報を包括的に網羅したデータベースを作成、必要な情報を必要なときに取り出せるよう検索システムを充実させたのも篁だった。夜摩は一切関知していない。篁は、鬼籍データベースの正確性には自信をもっていたし、鬼籍データベースについて彼が知らないことは一切ない。
それだけに、「鬼籍データベースがおかしい」と言われると、自分自身を貶されたような感じがするのだろう。ニヤニヤとした笑顔を浮かべる夜摩の顎を肩に乗せ、篁はスメラギをみすえていた。
♪マルかいて~マルまいて~ ― 篁の顔をみるたびに、スメラギ自作の絵描き歌が頭でぐるぐる鳴り出す。童顔の丸顔にメガネと、どこかのテーマパークで愛想をふりまいているようなキャラクターのような愛らしい輪郭だが、頭脳の回転はその外見を裏切って鋭い。篁が手がけた以上、鬼籍データベースの正確性に問題はない。
夜摩の言い方が悪い。スメラギは、以前に出してもらった検索結果に、自分が捜している宮内小夜子という人物がいなかったと言っただけで、「鬼籍のデータベースがおかしい」とは一言も言っていない。
「おかしいなんて言ってないだろうが。この間探してもらった3人のなかに宮内小夜子がいなかったんだ」
「該当者がいない? そんなはずは…」
「もう一度調べてもらえないか」
美月の結婚の話が出たとき、スメラギははっと気付いた。
最初に鬼籍にあたった時、宮内小夜子は宮内姓のままだろう、またはいただろうとばかり思って、“宮内小夜子”を探した。
白髪三白眼の見た目の凄みを裏切って案外ロマンチストなスメラギは、恋人をずっと待ち続けて独身でいるとばかり思い込んでいた。だが、もしかしたら、宮内小夜子は結婚して姓を変えているかもしれない。
鬼籍には、死に場所や死ぬときや死んだときのデータしか記録されていない。結婚して姓を変えて死んだのなら、宮内小夜子は宮内小夜子としては鬼籍に記載されていないのである。
宮内小夜子を旧姓で探してみてほしいと頼むと、夜摩は
「忙しいンやけどなあ…」
と文句を言い、ぐずぐずしていた。
何でも、人斬り伊蔵として知られる稀代の殺し屋、岡田伊蔵が脱獄しており、はやく連れ戻さないと人間界に差し障りがあるので必死の捜索を行っているということだった。脱獄すれば地獄の刑期がさらに延びると知っていて、伊蔵は毎年のように地獄を脱け出す。
「地獄(こっち)で斬られすぎて、アホになったンとちゃうか」
地獄では、現世での行いがそっくりそのまま自分にかえってくる。天誅と称して人を斬り倒した伊蔵は、今は斬られる側だ。
「出ました」
篁が検索結果をはじき出した。ものの十秒もかかっていない。これが夜摩だと数分どころか、下手したら、検索結果なしと出たかもしれない。その長い爪のせいでなくても、夜摩はまるっきり機械に弱く、いまだに鬼籍データベースを使いこなせていない。
夜摩の立派なPCをみながら、スメラギはひそかに、豚に真珠ならぬ閻魔王にPCと呟いた。
“宮内小夜子”は、前に調べた3人のほかに4人が追加され、合計で7人の名前が画面に表示されている。
「ふん、こいつはおもろい。ひとり、幽鬼になったやつがおるで」
夜摩の赤く先の尖った長い爪に指し示されるまでもなく、スメラギも幽鬼となった女のデータに目を留めていた。
【沼田小夜子】 <旧姓>宮内
F県○×にて肺炎で27歳で死亡。魂未回収
死んだ場所は手紙の住所からは遠く離れているが、死に場所が生きている人間の住んでいる場所とは限らない。「魂未回収」とは、死神の手を逃れ、幽鬼としてこの世に留まり続けていることを意味している。
結婚の約束までした恋人の生死はわからないまま、女は別の男と結婚した。親に言い含められてで望んだ結婚生活ではなかっただろう。失意のまま病死した女の魂は、恋しい男が生きているかもしれないと望みをつなぎ、この世にとどまって男を捜しているのか、待っているのか――海辺の街の老女は生きながらに死に体と化して、騙した男の帰りを待ち続けている。
宮内小夜子もまた、この世のかたすみでひっそりと柏木孝雄を待ってはいないだろうか……。
「幽鬼やで。めんどくさいで」
夜摩はそう言い、その後に起こる悪夢を予感したかのように、くっくと喉を鳴らして不気味に笑った。
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