第4話

「心残りを解消してもらいたい死人がいるなら、そう言えよ。で、そいつはどこよ?」

 スメラギは再び死神の背後をうかがった。死者が見えないはずはない。だが、日暮れ時の長い影のような死神の背後には誰もいない。

「お前の耳はトオセンボウか、ハリセンボン。私が依頼人だとさっきから言っている」

「はあ? お前、死神だろ? 死神が何の心残りがあるってんだよ?」

「心残りを解消してもらいたいのは死人の方だ。十五分前に死んだ宮崎という老人だ」

 ははんとスメラギは勘付いた。

「さては、逃げられたか? その死人を探し出せってか?」

「外で待たせてある」

「何だよ。なら、事務所に連れて来いよ」

「私の依頼を引き受けるというのならば、連れてくる」

「なあ、それだよ。お前の依頼って何よ? 宮崎っていう死人の心残りを解消してほしいっていうのが依頼じゃねえの?」

「そうだ。この後、私は宮崎を連れてくる。彼は、心残りを解消してもらいたいと言うだろう。お前には、その依頼を引き受けると言ってもらいたい。それが私の依頼だ」

「わかんねえな」

 スメラギは頭に手をやり、白髪をくしゃくしゃにもみしだいた。

「死人の心残りなら、毎度、解消してるじゃねえかよ。何で今さらあらたまって『引き受けると言ってもらいたい』んだよ」

「お前には、宮崎老人の心残りを解消してもらいたくないからだ」

「死神よぉ……。お前、俺に死人の心残りを解消してもらいたいのかよ、それとも解消してもらいたくないのか、どっちなんだよ」

 唇を尖らせ、スメラギは死神を睨みつけた。

 スメラギの抗議などどこ吹く風の体で死神は「解消してもらいたくない」と言った。

「その、心残りの内容とやらを一応聞こうじゃないか」

 スメラギは両腕を組み、ソファーの上に胡坐をかいた。

「手紙を渡して欲しいというものだ」

「何だよ、そんな簡単なことかよ」

 拍子抜けしたあまり、声が裏返った。

「解消してもらいたくないからって言うから、もっとまずい内容かと思ったぜ。手紙を渡すぐらい、どうってことないじゃねえの」

「だが、渡してもらいたくはないのだ。手紙が渡されると不幸な出来事が起きる」

「不幸な出来事が起きるって、不幸の手紙、チェーンレターってか?」

 スメラギの冗談は通じず、死神は真顔でチェーンレターとは何かと聞き返した。

「チェーンレターってのは……」

 回さないと不幸な出来事が起こるというのだから、死神が言っている渡すと不幸な出来事が起こるという手紙とは違うなと思いあたり、スメラギは何でもないと返事するに留めておいた。

「まあ、どんな手紙かは知らねえけど。渡してもらいたくない手紙だっていうなら、宮崎っていう爺さんに、すいません、渡せませんって言って引き下がってもらえばいいんじゃねえの?」

「そこは、手紙を確かに渡すと言ってもらいたい」

 ふりあげた鎌を一気に振り下ろすかのような勢いで死神が言った。

「何でよ?」

「渡せないと言うと、ぐずられる。面倒だ。私はさっさと死者をあの世へ連れていってしまいたいのだ」

「それで、俺に、嘘つけってか」

「そうだ。お前は嘘をついても地獄にはおちない。そういう決まりになっているのだろう、ハリセンボン」

「さすが、死神。地獄耳だな」

 口元に笑みを浮かべ、余裕のあるふりをしてみせたが、内心ははらわたが煮えくり返る思いだった。正確には、何をしても地獄には落ちないという、閻魔王と皇家で交わされた密約だ。心残りを解消することで死者を安らかにあの世へ送り出しているからという理由で、皇の家の人間は死後の地獄行きを免れている。というと聞こえはいいが、嘘でいいくるめてでも死者をあの世へ引きずって来いという訳だ。

「よしっ」と、スメラギは胡坐をかいた両膝を叩いた。

「お前の依頼、引き受けてやるよ」

 喜んでいるかと、スメラギは死神をうかがった。能面のような死神の表情はぴくりともしていない。

「ただし、条件がひとつある」

「何だ、さっさと言え」

 言葉はきついが、死神の物言いは淡々として、表情は平坦なままだ。

「『お願いしまぁす』って言ってくれたら、引き受けてやる」

 オクターブ高い声でわざとらしくしなを作って見せたなり、

「それと、地獄行き免除は他言無用だ」

 いつになく真剣な顔で死神に釘を刺す。

「ふたつだ」

「んあ?」

「条件はひとつだと言った。それでは二つになる。どちらか選べ」

 お願いしますと言わせるか、地獄行き免除について口止めするか。

「んじゃ、『お願いしまぁす』って言って」

 即決だった。

 口元は笑いながら、挑むような目で死神を見据える。死神は決して頭を下げない。死者を連れてくる時は「心残りを解消しろ」と命令形である。言われなくとも引き受けるつもりでいるが、意地悪がしたくなった。

 死神は気分を害しているだろうが、表情のまったく浮かばない顔からはうかがい知れない。そもそも死神は感情を持たない存在だ。気分を害するもなにもないかと思っていると、死神が口を開いた。

 低い声なりに懸命に媚を売る調子で「お願いしまぁす」と死神が言うのを聞き、スメラギは腹を抱えて大声で笑った。

「いいぜ、その依頼人とやらを連れてこいよ」

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