第438話『語学でなにをしたいのか?』


 教壇の上に立つ俺を見て、教室のみんながざわついていた。

 マイとイリェーナがポカンと口を開けて固まっているうちに、ほかの生徒たちが一斉に声をあげる。


「えっ? ほんとにイロハ!? なんでそっち側に立ってんだよ!?」


「数ヶ月前まで同じ教室で勉強してたのに!?」


「イロハちゃーん! あたしのこと覚えてるー?」


 中高一貫校ゆえに見知った顔も多い……と思う、たぶん。

 いや、覚えてないとかじゃなくてね!? た、たしか彼女は――。


「前に一度、VTuberのおすすめを聞いてきた人……だよね?」


「それ、あたしのこと覚えてるんじゃなくてVTuberのことを覚えてるだけなんじゃ?」


「うっ!? そ、ソンナコトナイヨ?」


「あははっ。あんた、忘れられててワロタ。でもうちのことは覚えてるよねー?」


「……?」


「ウソぉっ!? あんなに何度もおしゃべりしてたのに!?」


「あたしより覚えられてないじゃん」


 ちょうど席が最前列だったギャルっぽい女子たちに詰められて、俺はタジタジだった。

 騒がしくなった生徒たちを、担任教師がパン! とひとつ手を叩いて諫める。


「はーい、みなさんお静かに。高等部から編入した人も多いので知らない人のために説明すると、彼女は我が校の中等部を卒業後、すでに社会に出て活躍している女性で……今日はみなさんのために特別講義を――」


 そんな説明がされている間も、マイとイリェーナはじぃ~~~~っと俺を見ていた。

 視線が痛い!? 「いったいなにしてるの!?」と目で語っていた。


 いやでも、これには事情があるんだ! 仕方なかったんだ!

 今すぐ言い訳をしたいところだが、そうもいかない。


「というわけで、ここからはイロハさんにお任せしたいと思います。講義よろしくお願いいたしますね」


「は、はいっ」


 担任教師は教室の脇へとはけていき、壇上には俺ひとりが残された。

 すまん。マイ、イリェーナ……説明はあとだ。今は俺も”お仕事中”だから。


「えーっと、ごほん。改めて、ご紹介にあずかりましたイロハです。同い年相手に教壇に立ってなにかを教えるというのは、わたしもすこし不思議な感じですが――」


 そう前置きしたときだった。

 「チッ!」と敵意剥き出しの舌打ちが響いた。


《そう思うんなら引っ込んでろよ。なんでアタイがガキの話なんて聞かなきゃいけねぇんだよ》


 視線を向けたそこには、不機嫌そうに机に肘をついている女子高生の姿があった。

 う、うわー。めっちゃ不良だー!?


 でも、この学校に通っているということは語学や勉強にはかなり熱心な生徒だと思うのだが……。

 彼女は「こんなの時間のムダだ」と吐き捨てるように言った――そのときだった。


《……!? な、なんだ? 急に寒気が……!?》


 突如、不良っぽい女子高生はビクゥッと身体を震えさせ、あたりをキョロキョロと見渡しはじめた。

 どうしたのかと思ったら、彼女の背中を人でも殺しそうな目でマイとイリェーナが睨みつけていた。


 俺は慌てて、ぶんぶんと首を振ってふたりを制止する。

 しかし、そんな視線にも気づかず彼女は悪態を吐くのをやめず……。



《ふんっ、アタイが尊敬してるのは――VTuberのイロハだけさ!》



「「「……ん?」」」


《アンタはたまたま同じ名前みたいだけど、チョーシ乗ってんじゃないよ!》


「「「あっ……」」」


 急にみんながその不良女子を見る目がやさしくなった。あるいは暖かいものを見る目になった。

 マイとイリェーナも一転、今度はニヤニヤと俺を見はじめる。


《なんだ? 寒気がなくなった……アタイの気のせいだったのか?》


 不良女子は首を傾げながら、また頬杖をついてこちらを睨みはじめた。

 あ、あの……今度は俺がいたたまれないんだが!?


 にしても、教壇の上からだと思っていた以上に生徒たちのことがよく見えるもんだな。

 俺が生徒だったときも、じつは先生にいろいろバレてたのかも。


《えーっと、すこしでも有意義な時間になるようにがんばらせてもらうね》


《ふんっ、わざわざ英語で返して「わかってます」アピールか? 英語くらいウチのクラスのやつならだれだってできるっつの。〈でも、どうせそれだけだろ?〉》


〈フランス語だよね? 伝わってるよ。わたしもすこしだけ語学は得意だから〉


〈……!? ふ、ふんっ! そのくらいでチョーシに乗るんじゃねーよ〉


 きっと出会ったころのシテンノーもこんな感じだったんだろうなぁ。

 あと、不良女子が俺に悪態を吐くたび、ちがう意味で俺にダメージが来るからやめてくれ!


「でも、ここからの話は日本語でさせてもらうね。わたしはみんなよりひと足早く社会に出て語学で仕事をしているんだけど、それでわかったことがひとつあるの。それは……」



「――語学ができることと、語学でお仕事・・・ができることはまったくの別もの!」



「ってこと!」


 イリェーナや生徒の何人かは「ふむ」とわかった様子でうなずくが、マイたちは「?」と首を傾げていた。

 これは俺も実際に体験してみないとわからないことだった。


「たとえば『通訳』の場合、そのためにはもちろん語学が必要。でも……それだけじゃダメなの」


 人が話している横で並行して通訳し続ける『同時通訳』。

 人が話し終えたあとに通訳を述べる『逐次通訳』。

 その人のそばについてほかの人の言語を通訳し耳元で囁く『ウィスパリング通訳』。


 いずれの場合でも言えることだが……。


「たいていの場合、語学と一緒に”専門知識”が必要になってくるの」


 当然の話だが、スポーツ選手の通訳をするならそのスポーツの知識や用語を知っている必要がある。

 そして、野球とサッカーじゃあ必要な知識も用語もちがう。


 だから野球の通訳ができるからといって、サッカーの通訳もできるとはかぎらないのだ。

 あくまで語学というのは通訳に必要なひとつの要素にすぎない。


「わたしもビジネスでいろんな言語を使ってるけど、ただ話せるだけじゃダメで……たくさんのビジネス用語を覚えなくちゃいけなかった」


 必ず台本のある会話とはかぎらない。

 あったとしても台本どおりになるとはかぎらない。


 かといって、単語がわからないからといって通訳はそこで『ちょっと待って』とは言えない。

 知っている単語で言い換えたり、あるいは類推する必要がある。


 ただ、間違ったことを言うのだけは許されないから……。

 たとえば魚の話をしていそうなら――『その魚は』、それもわからないなら――『その生きものは』と、広義では正しい言葉を用いてなんとかするしかない。


 いくら『言語チート能力』を持つ俺でも知らない単語まではどうにもならないし。

 まぁそれでも、大抵はその場で覚えてしまえるのだが……それでも大変に感じた。


「ほかにも聞く・通訳する・話すを同時に行う能力とか、相手の言葉が訛っていても聞き取る能力とか」


 語学以外の能力が必要なのは、通訳以外の仕事――『翻訳』などでも同じだ。

 そちらはそちらで言葉選びのセンス、ピッタリな単語を見つけだす能力、場合によっては新たな単語を作り出すことさえ必要になってくる。


「どんな仕事も語学単体で成り立つことってじつは少ないの。だからみんなには、ぜひその語学で”なにをしたいのか?”――そこまで考えながら勉強してみてほしいな」


 その目的は同時に勉強へのモチベーションにもなる。

 そうすれば「得意だから」「好きだから」のさらに先へと……今よりもずっと駆け足で進めるようになるだろう。


「じゃあ、イロハちゃんセンセーはなんのために語学を身につけたのー?」


 生徒のひとりが尋ねてきた。

 そんなの、答えは決まっている。



「――推しVTuberのため!」


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