第437話『教えて! イロハ先生!』
高校へ進学するか、あるいは事業へ専念するか。
考えもしなかった、選択肢があるだなんて。
今の俺はどちらを選ぶのも”自由”なのだ。
それは逆に言えば……。
――どちらかを自分の意思で選ばなければならない、ということ。
ふと、あのライブのとき聞こえた声を思い出す――『これからは好きに生きなさい』。
それは、こういう意味だったのかもしれない。
「……お母さんは、残酷だね」
ついそんな言葉をこぼしてしまう。
選択肢がなければ迷うこともなかったのに。
「なんで、こんなタイミングで」
そもそも、なぜ校長先生に説得を頼まれたとき俺には伝えず、無断で断ったのか。
勝手に世界へ飛び立つことに怒っていたなら、すぐに俺を問い詰めればよかっただろうに。
それに母親としては間違いなく進学してほしかったはず――渡りに船だったろう。
なのに……。
「それは世界へ飛び立つことが、あんたが自分の意思で決めたことだったからよ。だったら、母親としては……その背中を全力で押すしかないじゃない」
「……!」
「でも、そのときとは状況が変わったでしょ? 自分ひとりじゃなく、友だちと同じ高校への進学に変わった。なら今度は母親として、あんたの選択肢を増やすべきだと思ったのよ」
「……選択、肢」
「それが親の役目だと思ったから……たとえあんたに――愛する娘に嫌われたとしても。中学受験のときは、それをしてあげられなかったから」
母親は言った。
「今度は間違えない」と。
もしかしたら、彼女はずっと後悔していたのかもしれない。
俺に中学受験を強要してしまったことを。
「ごめんなさいお母さん……それとありがとう、わたしに選ぶ機会をくれて」
今ここで選択肢を提示されなければ、俺には未練が残ってしまっていたかもしれない。
ほかになかったから、そうするしかなかったから……
「……ふふっ」
そういえばあんぐおーぐに怒られたことがあったっけ。
「英語の辞書に”ショウガナイ”なんて諦めの言葉は存在しない!」って。
でも自分で選択したことなら――たとえ後悔したとしても、言い訳はできない。
だからこそ覚悟することができる。
「……うん、決めた」
「イロハちゃんぅ~?」「イロハサマ?」
ふたりがすがるみたいな目で俺へと視線を注ぐ。
俺ははっきりとそんな彼女たちに正面から向き合って、答えた。
「ごめんねマイ、イリェーナちゃん。わたしは自分の意思で――ふたりとの約束を破るよ」
「っ……!」「そンナっ……!」
ショックを受けるふたりの表情を俺はしっかりと見据えた。
ここで目を逸らしたら、それこそ後悔すると思ったから。
「い、イロハサマ……どうしてデスカ!? ワタシたちはずっとそのタメニっ……そ、ソウデス! とりあえずで進学だけしておきマショウ! 登校は時間に余裕があるときだけスレバ……!」
「ごめんね、それだけはできないかな」
「どうしてデスカ!? イロハサマのわからず屋!」
「理由は……いろいろあるよ。たとえば事業の話が予想よりも大きくなっていて、そんな余裕がないとか」
毎日、担当者たちとやり取りをしているが、雪だるま式に規模が膨れ上がっていた。
どこから聞きつけたのかアメリカ大統領ことあんぐおーぐの母親まで一枚嚙むつもりらしく……。
俺との約束を果たすためか、あるいは利用しているだけか……まぁ、後者な気がするけど。
なんにせよ、もう俺ひとりの話ではなくなっている。
「でも一番は……」
「わたしはもう――ふたりのことが好きになっちゃったから」
「「っ……!」」
「ふたりはだれよりもわたしのこと、わかってるでしょ? 夢中になったらそれしか見えなくなるの……これでもちょっとは自覚あるんだよ。もしも同じ学校に通ったら、わたしはきっとガマンできなくなる」
俺は想像した。
幸せな学校生活を。
ふたりと一緒に机を並べて、授業中にこっそりおしゃべりしたりして。
お昼休みは一緒にお弁当を食べて。
マラソン大会で遅い俺にふたりが並んで、励ましの声をかけてきたり。
プールの授業では足のつかない俺の手を、ふたりが引っ張ったり。
テストの結果を見せ合って、一喜一憂して。
放課後は一緒に寄り道して、買い食いしたりして……。
「あれも、これも、全部……ふたりと一緒がいい。もっと一緒にふたりと高校生活を送りたい、って……そう、絶対に思っちゃうから。事業を全部ほっぽってでもふたりを優先したくなりそうだから……ダメなの」
言って、俺は笑った。
笑ったはずなのになぜか頬が濡れていた。涙が伝い落ちていた。
「イロハちゃんのバカ」
「マイ」
「イロハちゃんなんてどこへでも行っちゃえばいいんだ」
「マイ……」
嫌われてしまっただろうか。
そりゃ……そうだよな。人の愛は決して無限ではない。
愛しているから、愛されているから、なにをしてもいいわけじゃない。
マイがいよいよ俺に愛想をつかして、嫌いになってしまっても……。
「っ……」
仕方ない、と言おうとしてズキンと胸が痛んだ。
俯きかけた俺に、マイは言った。
「世界でもどこでもイロハちゃんは行っちゃえばいい。マイは……」
「――絶対にそこまで追いつくからぁ~っ!」
「……えっ? わたしのこと嫌いになったんじゃ」
「マイがイロハちゃんのこと嫌いになるわけなんてないよぉ~っ! マイはイロハちゃんが大好きで、一緒にいたくて……でもそれは足枷になりたいわけじゃない。だからこそっ……」
マイの強い意志の宿った瞳が俺に向けられる。
ドキっと心臓が跳ね、息を飲んだ。
なんだか顔が熱い
さっきまで痛かった胸が、今は……。
「イロハちゃんは自分の道を行くべきだよぉ~っ!」
ボロボロと両目から涙をこぼしながら、マイはそう言い切った。
それを横で見ていたイリェーナは「~~~~っ!」と葛藤するように悶え、それから大きく嘆息した。
「イロハサマは大バカだと思イマス」
「……うん」
「デモ……ワタシはそんなイロハサマが大好きデス」
「……ありがとうっ!」
マイとイリェーナが俺に改めて抱き着いてくる。
俺もまたふたりを強く抱きしめ返した。
そうして俺は友情よりもVTuberを選び……。
* * *
そんな感動的な決断から数ヶ月後。
高校の教室で、俺は「こほん」と咳ばらいをひとつして言った。
「――特別非常勤講師のイロハです。みなさん、これから仲良くしてもらえるとうれしいです」
「い、イロハちゃんぅ~!?!?!?」「イロハサマ~~~~!?!?!?」
マイとイリェーナが愕然とした表情で、教壇に立つ俺を見ていた。
いやー、ははは……まさかこんなことになるとは――。
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