第434話『もうひとりの不老不死』


――世間で『ヴォイニッチ手稿』と呼ばれているもの。あれを書いたのはボクだ――


――は……はいぃ~~~~!?――


 アメリカの大学教授だという男が言いだしたのは、そんな突拍子もない話だった。

 ヴォイニッチ手稿の後半には『これを読める人物との再会を望む』なんて書いてあった。


 あきらかに、だれかへ宛てたメッセージ。

 でも、こうして実際に目の前に現れるだなんて……。


――懐かしいな。この言語で話すの何百年振りか――


 たしかに著者が最期どうなったのか、それは手稿には書かれていなかった。

 でもまさか、この時代までずっと生き続けているなんて、そんなわけ……。


――ボクもキミと同じように未来から過去へと転生して世界を救ったんだよ。といっても未然に防いだことで、その事件は歴史にも残っていないがね――


――は、はぁ――


――ただ当時のボクは、自分がべつの世界からここへと渡ってきたのだと思い込んでいてね――


 男は回顧するように遠くへと視線を向ける。

 それは本当に、ずっとずっと昔のことなのだろう。


――世界を救ってしばらくして、ようやくここが同じ世界の過去だと知り……そして、歴史を変えたことで自分の故郷が生まれなくなったと気づいたときは、さすがに受け入れるまで時間がかかったよ――


 それこそがヴォイニッチ手稿に用いられていた言語が、ほかの言語と断絶していた理由。

 これは生まれるはずだった・・・・・言語なのだ。


――まぁ、もう過ぎたことだけどね。今は好きに余生を過ごさせてもらっているし。世界中を見て回るのは楽しい。たくさんの未知と触れ合うのもね。キミもアマゾンの奥地へ行ったらしいじゃないか――


――アマゾン……えっ!? もしかして、あなたがフィールド言語学者の!?――


 俺を助けてくれた現地の部族に『良い人』と呼ばれていた存在。

 彼らに腕時計などをプレゼントしたり、一部の者に英語を教えたりした張本人。


――いや、ボクの本職は言語ではなく植生や天体なんだが。そういう風に伝わっていたのかい?――


――そういえば、生活や周辺の植物についても聞かれた、って言ってたような――


 言われてみれば、彼らは『フィールド言語学者』とは言っていなかった。

 状況から俺がそう判断していただけ。


――イロハ……もうキミもわかっているよね? 『同郷』に会うことはとっくに諦めていた。だけど、まさか『同類』に会えるだなんてね。この数百年生きてきて、一番の驚きだよ――


――なるほど、よくわかりました――


 俺はその男の話を聞き、深く頷いた。

 そして……。



《――先生ぇ~! この人、頭がおかしいですぅ~~~~!》



――あっれぇえええーっ!?――


 俺は気味悪いものでも見る目を男へと向けながら、先生に助けを求めた。

 いや、だって……そうだろ!?


《この人、自分は何百年も前から生きてるとか、並行世界から来たとかめちゃくちゃなこと言ってくるんですけど!? 病院かどこかに連れて行ったほうがいいと思います!》


 人間が何百年も生き続けられるわけないんだから!

 そんなことを言うなんて、中二病か……頭の病気かの2択だ!


――しぃーっ! イロハ、それトップシークレットだから!? 言っちゃダメ―っ!?――


《先生、この人って本当にアメリカの大学教授なんですか? 詐欺とかじゃないですか?》


《いや、そんなはずは……ない、と思うんだけど》


――イロハ~~~~!? お願いだからボクのこと信じてくれないかなぁ!? というか、なんで!? 信じないほうがおかしくない!? キミだって自分の肉体の変化に気づいてるよね!?――


――はぁ……変化って。そもそも、わたしはここ数年ほとんどと言っていいくらい成長してませんけど。なんですか? 身長が低くて悪いですか?――


――いや、それぇーっ!? それのこと! キミ、ボクと一緒で『神さま』のお願いを叶えたことで”不老不死”になってるんだって!?――


――うわぁ……この人――


――その目、やめてくれるかな!? ボクなにも間違ったこと言ってないからね!? そもそも、キミの能力が失われかけたとき……取り戻すために力を貸したのもボクなんだけど!?――


――はぁ?――


――ほら、2年前! キミが退院してきた直後に、ボクが道を聞くフリをして能力を刺激してあげて……覚えてない!? そのあとに、また外国語がわかるようになったでしょ!?――


――全然覚えてないです――


――あーもぉ~~~~!?――


《ええっと、教授……?》


 だんだんと、男の慌てふためく姿に先生も疑いの目を向けはじめる。

 俺たちは彼からそっと距離を取った。


《ふたりとも誤解だ!? ボクは怪しいものじゃない!》


《……怪しい人はみんなそう言うよね》


《はい、わたしもそう思います》


《だーかーらぁ~~~~っ!?》


 やがて、ガクリと男はうなだれて「わかった……」と諦めたように言った。

 お、ついに自首する気になったか。


《いや、ちがうからね? あーもう、連絡先だけ渡しておくから、そのあたりのことは数年後――自覚したころに改めてでいいよ。長い人生・・・・だし気長に待つよ》


 俺はすこし警戒しながら名刺を受け取る。

 男は「それからもうひとつ」と続けた。


《べつに今すぐじゃなくていい。状況が落ち着いたら、ウチの大学に来ないかい? これはスカウトだと受け取ってもらって構わない》


《きょ、教授……! それは本当ですか!?》


 なんでも、アメリカでは推薦状の価値が非常に高いらしい。

 大学受験にはほぼ必須と言っていいし、それこそ推薦者によって合格率が大幅に変わることもあるとか。


《イロハ、キミはあと数ヶ月もすれば16歳になるよね?》


《えっと、はい》


《ならば、高卒認定試験を受けるといい》


《えーっと?》


 正式名称『高等学校卒業程度認定試験』。

 それに合格する高校卒業者と同程度の学力があると判断されるそうだ。


 そして、その受験資格は『16歳以上』。

 一般的に高校に通う学生ならだいたいだれでも受験可能。


 ただし、合格したとしてもどうせ日本の大学は『18歳以上』じゃないと入学できないし、あまり意味がない。

 そう――日本の・・・大学は。


《高校に通うつもりがない、と聞いた。ならば高卒認定試験に合格したあと、直接アメリカの大学を受験すればいい。いきなり大学課程に進んでしまえばいい》


《……!》


 それは目からウロコの提案だった。

 そうか、それなら『今』じゃなくても好きなタイミングで進学できるのか……!

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