第433話『ヴォイニッチ手稿の著者』


『卒業証書――』


 俺は名前を呼ばれ、体育館の舞台へと上がっていた。

 校長先生から卒業証書を受け取る。


 中高一貫でも、区切りにはきちんと卒業式がある。

 べつにエスカレーター式に上がるだけだから泣く人はいない……かと思いきや、これを境にほかの学校へと進む人もおり、あちこちからすすり泣く声が聞こえてくる。


「……お母さん」


 舞台の上で振り返ると、後方の保護者席で母親がボロボロと涙をこぼしているのが見えた。

 そっか……もしかしたら、彼女はこの光景を見れない可能性だってあったんだもんな。


 自分の娘が飛行機事故から帰ることなく、ひとりぼっち。

 卒業式には写真だけ持って参加する――そんな未来だってありえたのだ。


「っ……」


 中学卒業だって記憶にあるだけでも2回目だ。

 だから、なんとも思わないと思っていたのに……。


 俺は嗚咽を抑え込むのに必死だった。

 それからみんなで涙交じりの声で校歌を合唱し――。


   *  *  *


 俺は卒業式のあと、教室でクラスメイトたちと集まっていた。

 寄せ書きしたり、写真を一緒に撮ったり……。


 彼ら彼女らには本当に助けられた。

 あの事件のときも翻訳などでたくさん協力してもらった。


 と、そんなことを考えていたらひとりの女生徒に尋ねられた。


「イロハちゃん、じつはずっと聞きたかったんだけど……あのマザコンとはどうなったの!?」


「マザコン?」


「ほら、元・四天王の……」


「あー、シテンノーくん?」


「そうだそうだ! オレも気になってたんだよ! アイツ、イロハを追いかけてアメリカ行きやがってさー。しかも留学期間を延長して卒業式にも来やがらねーで。……ったく」


「あとで写真、SNSのグループにあげといてやろーぜ。あいつもよろこぶんじゃない?」


「それで私……向こうで進展とかなかったか、ずっと気になってて!」


「ん~……」


 シテンノーか、と俺はすこしだけ思い出し笑いをしてしまう。

 しかし、それがクラスメイトたちには意味深な笑みに見えたようで……。


「うわーっ!? やっぱりなんかあったんだー!?」


「ウッソだろ!? そそそ、そんな!? オレたちのイロハちゃんが!?」


「いやいや! ない! なにもないから!? それに……シテンノーはVTuberじゃないし!」


「「「あっ、よかった。いつものイロハちゃんだ」」」


 いや、いつものってなんだ。いつものって。

 みんなからの俺の評価がちょっと気になるところだが……まぁいいか。


「じゃ、じゃあ今はフリーなんだよな!? ちなみにオレはアイツとはちがって、VTuberデビューして活動中だぜ! ちなみに名前は――」


「あ、絶対に言わないでね!? 中の人なんていないから!? そんな情報知りたくないから!?」


「……あ、あれ? もしかして、これどうやってもアプローチなんてできないやつじゃね? VTuberじゃないとダメで、でもVTuberのことは明かせないって」


「お前、今さら気づいたのかよ……」


「あっ、ちなみに私もVTuber活動はじめたよー!」


「ボクもー!」


「あたしたちはグループで活動中!」


「~~~~! そそそ、そうだったの!? みんな~っ!?」


 もしかしたら、それがなによりもうれしい報告だったかもしれない。

 世界は確実に変わってきていて――。


   *  *  *


 そして、そんなやり取りも終わって解散。

 教室をあとにした俺は、卒業証書を片手に廊下を進み……コンコンと扉をノックする。


《入っていいよ》


《失礼します》


《待っていたよ、イロハ!》


 英語準備室に入ると、先生が出迎えてくれた。

 と、それから応接用だろうソファにもうひとりの男性が。


《イロハ、紹介するよ。こちらがキミに会わせたかったアメリカの大学教授で……》



《やぁ、イロハ――ひさしぶり・・・・・だね》



《……え?》


 はじめまして、と返そうと思っていた口の動きが止まる。

 しばらくジーっと観察してみるが、ちっとも思い出せない。


 すなわち……VTuber関係の知り合いではないな!

 つまり、とくに大事な相手でもないな!


《わーほんとおひさしぶりですねーお元気でしたかー》


《……うん。君、私のことを忘れてるね》


 速攻でバレた。

 しかし、そう言われても本当に覚えがないのだ。


 アメリカの大学教授とのことだが、アメリカ系ではない。

 というか、俺はこれでもかなり国際的にいろんな人と関わっているのだが……。


 今まで会ってきたどの人種とも特徴が合致しない気がする。

 しいていうなら、ヨーロッパ系だと思うのだが……。


《まったく、仕方ないな。――”○△◇×、☆▽”》


《はい?》


 唐突に知らない言語で話しかけられる。

 正直、驚いた。俺はもうかなりの種類の言語を習得しており、未知の言語に出会う機会が減っていたから。


 といっても、あくまで日本やアメリカで出会う機会がないというだけ。

 未習得の言語そのものは、まだ世界にいくらでもあるのだけれど。


《□□×、▽△○――》


《ええっと、教授? ボクにはなにを言っているのかわからないんだが、イロハならわかるかい?》


《すいません、わたしにもわからな……いえ、ちょっと待ってください》


 集中する。

 なんだか記憶に引っかかるものがあった。


 はじめて聞く・・言語だ。

 俺には『言語チート能力』があるため、それは間違いない。


 だが、俺はこの言語を知っている……?

 いったい、どこで?


 『言語チート能力』がその気づきとともにフル回転をはじめていた。

 そして……。



――”ヴォイニッチ手稿”は楽しんでもらえたかい?――



《……!?!?!?》


 その瞬間、カチリとピースが嵌まったかのように一気に言語が理解できた。

 いや、バカな……そんな、でも間違いない。


 それは失われたはずの言語。

 彼が話していたのは……。



 ――ヴォイニッチ手稿を記述するのに使われていた言葉だった。


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