第430話『帰ってきた日本』


 日本に帰国して、出迎えに来てくれたのは母親ひとり。

 寂しいと思う一方……1週間前までずっと一緒にいたからなぁ、とも思う。


 それにみんな今はすごく忙しい時期だから仕方がない。

 俺以上に、空港に来れなくて悔しがっているのは彼女たち自身だろうし。


《それじゃあ、イロハ。ワタシはここで》


《うん、じゃあね~》


 あんぐおーぐとも分かれる。

 彼女もこれから日本で本格的に活動するために、しばらくドタバタするらしい。


 というわけで……。


「ん~~~~! ただいま~! ひさびさの我が家だ~!」


「はい、おかえり」


 半年ぶりの実家にリラックスし、ぐぐーっと背筋を伸ばす。

 なんだかんだ、やっぱりこの家は……日本は落ち着く。


”んん-? だれだー、おまえー?”


「おー、お前もひさしぶりだなー。うりうりー」


 チリンチリンと首輪の鈴を鳴らしながら仔猫……とはもう呼べないくらいに成長した猫が階段を下りてくる。

 そのままやや警戒した様子で俺の足元を嗅ぎまわっていた。


「あー、完全に忘れられてる。”ほれー、お前の上司だぞー。敬えー”」


”……ていっ!”


「ほぎゃっ!?」


 忘れているようだったから力関係を再度、教え込もうとして……次の瞬間、猫に飛び掛かられた。

 顔面にダイブされ、その勢いでステーン! と俺は転んでしまう。


”ふんっ! あたいのほうが強い!”


「なぁっ!? お、お前ぇ~! やったなぁ~!?」


 怒って追いかけるが、ちっとも捕まえられない。

 ちょろちょろと逃げ回られ続けて……。


「ぜぇっ、はぁっ……きょ、今日はこのくらいにしておいてやるっ!」


「……うちの娘、猫に負けてる」


「う、うるさいっ! 負けてないしっ!」


 俺は体力切れでダウンし、リビングのソファに突っ伏した。

 母親はそんな俺に、かわいそうなものでも見るような目を向け……み、見るなぁっ!


「そうだお母さん、あー姉ぇはなんて?」


「あー子ちゃんならお仕事が忙しいって」


 やっぱりそうかー。

 収録が溜まっていて片付けないといけないから、と先に帰国してたもんなー。


「じゃあ、マイとイリェーナちゃんは……」


「あんたもわかってるでしょ?」


「……うん」


 俺はクッションを抱き寄せて、そこに顔をうずめる。

 母親がやさしい声音で言った。



「やっぱり、あんたも受験――したかった・・・・・?」



 母親は過去形で俺へと尋ねた。

 じつは今日は……俺がマイやイリェーナと一緒に行くと約束していた女子高の”受験日”だ。


「大丈夫だよ、わかってるから。仕方ないって。だって……」



「――とっくに出願終わっちゃってたし」



 そう、俺は戻ってくるのが遅すぎたのだ。

 そのせいで日本の受験シーズンに間に合わなかった。


 マイとイリェーナと交わした約束を果たせなかった。

 一緒の高校に進学する、という夢は――もう叶わない。


「……そう」


「もうっ、なんでお母さんのほうが落ち込んでるの」


「……ご、ごめんなさい。だってあんた、みんなのため――世界のためにあんなにも一生懸命がんばったのに、これじゃあ報われないって……そう思って」


「あーもう、泣かない泣かない!」


 すこしだけ迷い……けれど、俺は立ち上がって、母親の頭へと手を伸ばす。

 それから、まるでよしよしするみたいに撫でてあげる。


「それに、べつに高校に行けないってわけでもないし」


「そういえば、あんたの学校は中高一貫だったわね」


 だから、そのままエスカレータ式に高校へと上がるのはまだ間に合うらしい。

 まさか中学受験がこのような形で効いてくるとは思っていなかったけれど。


「でも、お母さん……わたしは――」


「あっ、そうだ!」


 俺がある決意を伝えようとしたとき、母親が「ハッ」とした様子で顔を上げた。

 首を傾げていると、彼女は言った。


「あんたの学校の先生から電話をもらってたのよ。日本に帰ってきたら連絡がほしいって。たしか、英語担当の……あんたの留学にも協力してくれた人よ」


「えっ?」


 なんの話だろう?

 俺は留学前に交換していた連絡先へと電話をかけ――。


   *  *  *


《おひさしぶりです、先生》


《イロハ! ……はぁ~、本当によかったよ。キミが無事に帰って来てくれて》


 電話の向こうから、ひどく安堵した様子の声が聞こえてくる。

 彼とこうして話すのも何ヶ月ぶりだ。


 中学受験の試験官を担当してもらい、英語授業の――最難関クラスで担当をしてもらい、さらには留学先の学校なども手配してもらい……。

 彼にはずいぶんとお世話になった。


《すいません、先生。せっかく留学させてくれたのに、ほとんど通えなくて》


《いやいや、キミのせいじゃないさ! ただ、教師としてはすこし残念ではあるけれどね。キミならどこの高校だって合格間違いなしだったろうに》


《そんな、買い被りです》


《いや、本当に……というか「イロハほどの逸材を大成させられなければ、どうなるかわかってるね?」って上から圧力かけられて、留学の件もゴリ押しで……しかもあんなことになって毎日、胃が……痛つつつ》


《な、なんというか……本当に申し訳ないです》


《いや、私立の進学校はそんなもんさ。教師よりも優秀な生徒のほうが優先される。たぶん、キミがひと言「この先生嫌い」って言ってたら、ボクはほかの教師と挿げ替えられてただろうし》


《わ、わたしそんなこと言わないですよ!?》


 そうか、留学で――あんぐおーぐの家に泊まると決まる前、ホームステイ先に自身の実家を提供していたり……やけに献身的だったが、そんな事情があったのか。

 なんというか、世知辛いというか。


 でもまぁ、当然の対応かもしれないな。

 あのころにはもう俺がハイパーポリグロットであることやVTuber活動のことは学校も把握していたっぽいし。


 一介の教師とノーベル賞受賞者の生徒……。

 うーん、学校からしたらどちらを優先するか比べるまでもなさそう。


《それで、これからどうするんだい? 日本での受験は間に合わないし、海外で進学するのかな? キミなら飛び級もそう難しくはないだろうし、言語にも困らないだろうし……》


《あ、いえ》


《なるほど、じゃあ内部進学だね。ボクからも高校の英語教師には話を通しておくから――》


《すいません、内部進学でもなくって》


《えっ!? ええっと、それってつまり》


《はい。わたしは――高校へは進学しません》


《っ……!?》


 俺はそう、先ほど母親にも伝えようとしていた決心を――キッパリと告げた。

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