第427話『左手の薬指』
《じゃあ、まずはワタシのプレゼントから。開けていいぞ》
あんぐおーぐに促され、俺は自分宛てのアドベントカレンダーの最後のひとつを開いた。
中に入っていたのは……。
《これ、オマエにやる》
《……『なんでもひとついうことを聞く券』?》
《な、なんだその顔は!? まるで子どもみたいとかでも思ってるんだろ!?》
《うん》
《ちょっとはフォローしろよ!? 仕方ないだろ、思いつかなかったんだから。正直、これと『ワタシがイロハのママになってやる券』かの2択で……》
《前から思ってたけど、おーぐってプレゼントのセンスないよね》
《ガーン!?》
いやだって、ここまで哺乳瓶とかおしゃぶりとか……。
まぁ、離乳食はちょっと役に立ったけど。
《ででで、でも……本当になんでも、なんだぞ!? たとえばオマエの大好きな……》
《――ま、まさか!? これでわたしの大好きな――推しのライブチケット1枚と交換できる!?》
《引換券じゃないが!? オマエよくもこの状況で、ほかの女を話題に出せるな!?》
《でも、なんでもって言ったもん……》
《はぁ~、もう好きにしろ。でも、そのときはワタシも一緒に……ふたりで観に行くからな》
《たしかに、ライブはひとりで堪能するもよし! ペアチケットで友だちと楽しむのもよし! だもんね!》
《友だち……か。まぁ、べつにいいけどなー。どーせイロハのことだし……》
《おーぐ?》
どこか拗ねた様子のあんぐおーぐに首を傾げる。
友だち……あっ、そういうことか。
《おーぐ……わかるよその気持ち! 今までペアチケットで一緒に行く相手がいなかったんだね! 安心して、わたしもそうだから! ファン仲間がいればどちらか片方が当たるだけで一緒にライブにいけるのに――》
《そういう話でもなぁあああいっ!?》
《あれー?》
おかしい、最近の俺はちゃんと相手の心の機微がわかるようになったはずなのに。
この流れは99.99パーセントの確率で推しに関する悩みだと思ったのに(イロハ調べ)。
《もうワタシのはいいから。次は……イロハの番だな》
《……う、うん》
あんぐおーぐもなにかありそうだと察しているのか、その声にはすこし緊張が滲んでいた。
俺はもはや緊張しすぎて、彼女の顔をまっすぐに見ることもできない。
《開けていいか?》
《ちょ、ちょっと待って》
俺は深呼吸する。
最後の引き出しには隙を見て、ちゃんとプレゼントを入れてある。
だが、いざ……それを渡すとなると恐怖と不安で押しつぶされそうだった。
もし断られたらどうしよう? いらないって言われたら?
《イロハ?》
《ごめん……あとすこしだけ》
大丈夫、ここで逃げたりするつもりはない。
必要だったのは勇気を出すまでの時間だけ。
そんな俺の背中を押したのは――シテンノーの雄姿だった。
彼はこんな気持ちを乗り越えて俺に告白したのだ。
そして、俺はそんな彼の告白を断って、ここに立っている。
なら、自分だって負けるわけにはいかない。
きっと、あの一件がなければこの告白もなかった。
俺はしわくちゃになるくらい自分の服の裾を握りしめて――ようやく決意が固まった。
《……いいよ》
《……わかった》
俺は顔を上げてあんぐおーぐを見返した。
彼女はゆっくりとした手つきでアドベントカレンダーの最後のひとつを開く。
そして、中のものを目撃し……。
《――っ》
あんぐおーぐが息を飲んだ。
そこにあったのは、この日のためにずっと準備してきたもの。
本当はクリスマスに渡すつもりだった。
だから、ずいぶんと遅くなってしまったけど。
アマゾンでいろんなことがあって、それでも最後は俺と一緒に帰ってきた。
スーツの男性が配慮して、彼女たちに見つからないよう俺にこっそりと返してくれたそれは……。
《い、イロハ……もしかして、これって》
《おーぐ、それ……貸して》
あんぐおーぐが震える手で取り出し、俺の手のひらの上に置いたのは小さなケースだった。
俺はそれを彼女へ向けて開いた。
《ウソ……まさか、本当に――”指輪”っ!?》
あんぐおーぐが自身の口元を押さえて身体を震わせていた。
ケースの中に入っていたのはシンプルで、小さな宝石のついた……指輪。
《正直……なにかあるように見せかけて、オチが待ってるのだとばかり》
《おい》
《だ、だって……今まで、ずっとそうでっ……こんな、一度もっ……》
あんぐおーぐの声は大きく震えていた。
その見開かれた目からは、今にも涙がこぼれ落ちそうになっていて……。
《おーぐ……嵌めてもいい?》
《っ……》
あんぐおーぐがコクリとうなずいた。
そして、右手を差し出そうとして……。
《そっちじゃなくて――左手》
《……っ!》
俺は首を横へと振って、あんぐおーぐに言う。
彼女はまるで迷子にでもなったみたいに、泣きそうな顔であたりをキョロキョロと見渡していた。
その気持ちはよくわかる。
だって、俺もまったく現実感がなくて……自分が今いる場所すらわからなくなりそうだったから。
《おーぐ……》
あんぐおーぐの手を取る。
彼女の肩がビクリと震えた。
凍ったみたいにガチガチに硬直し……しかし、それを触れ合った手から伝わった熱が溶かす。
彼女はやがて、自らもその左手を持ち上げた。
差し出すように、すこし浮かされた薬指。
俺はケースの中から取り出した指輪をそっとそこへと通した。
指輪のサイズは――ピッタリだった。
《あぁっ……》
ずっと怖くて怖くてたまらなかった。
けれど、あんぐおーぐは俺の――わたしの想いを受け入れてくれていた。
俺は指輪の嵌まった彼女の手に、自分の手を絡め……。
そして、言った。
《おーぐ――愛してる》
途端、ついにガマンできなくなったようであんぐおーぐの両目からボロボロと涙がこぼれだした。
彼女はやがて、わんわんと声を上げながら泣いて……。
《わ、ワタシもっ……ワタシも――イロハを愛してるぅっ!》
あぁ……、きっと『幸せすぎて怖い』とか『うれし泣き』って言葉はこのときのためにあるんだろう。
俺はそんなことを思った――。
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