第422話『Iroha言語』


 俺たちは帰ってきた家で長い時間、語り合った。

 ひとしきり話し終えたころ、ふとあんぐおーぐが視線をよそへと向ける。


《どうしたの、おーぐ?》


《……ちょうど同じ日数だな》


《?》


 あんぐおーぐの視線を追うと、その先にはアドベントカレンダーがあった。

 俺が旅立った日のまま時の止まっているそれを見ながら、彼女は言う。


《ワタシたちがあとアメリカで過ごせる時間だ》


《そっか、たしかに》


 あと1週間ほどだったか。

 俺たちも近いうちにこの家を離れ、日本に戻らなければならないのだ。


《言ってたとおりワタシは日本に移住する予定で、1年の半分はそっちで過ごすから》


《わたしも留学期間が終わりだからね。って言っても結局、半分くらいしか通えなかったけど》


 また、しばしの沈黙。

 寂寥感がそうさせるのか、この家に戻って来てからあんぐおーぐとたびたび無言になる。


 けれど、それはイヤな沈黙じゃなくて……むしろ逆で。

 お互いの心を繋がった手のひらから確かめ合っているような感覚。


《なぁ、イロハ。これから……ワタシたちがこの家で過ごす残りの時間で、毎日ひとつずつアドベントカレンダーを開けていかないか? ワタシはオマエと――あの日の続きがしたい》


 手のひらか伝わってくるのは不安の感情。

 断られるんじゃないか、なんてあんぐおーぐは考えているようで……。


《うん、もちろん》


《……! やったっ……!》


 あんぐおーぐは小さくよろこぶ。

 まったく、俺が断るわけないのにな。


 それに……それは俺にとっても都合がよかった。

 アドベントカレンダーの最後のひとつを埋めるためのピースは、すでに俺の手の中にあるのだから。


《っと、そうだおーぐ! 忘れてた! 帰ってきたこと娘ちゃんたちにも報告しに行かないと!》


 一緒にバーベキューをしたりハロウィンを回ったりした、同じアパートのご家族。

 彼らにもずいぶんと心配をかけてしまったと思うから。


《あ、いや……。イロハ、彼らはもういないんだ》


《え?》


《引っ越したんだよ》


《……そっか》


 3ヶ月というのは人がいなくなってしまうには十分な時間だったらしい。

 そういえば、ここは仮の住まいだと言っていたもんな。


《あぁ、だから……ほら、これ》


《これは手紙?》


 そこには拙い文字でこう書かれていた。



『――イロハちゃん、おーぐちゃん、またあそぼうね。あーねぇちゃんや、マイおねえちゃんともまたあそびたいな。あたらしいおうちにもぜひあそびにきてね!』



 手紙の末尾には娘ちゃんの名前と、それからパパさんが書いたのだろう丁寧な字で連絡先が記されていた。


《っ……》


 そうじゃないか、なにを勘違いしているんだ俺は。

 引っ越したからといって永遠の別れになるわけじゃない。


 彼らはもともと引っ越す予定だった場所の治安が悪くなってしまい、やむをえずここに住んでいた。

 だから、むしろ今回の引っ越しはとてもめでたいことで……!


《とりあえず今度、娘ちゃんとビデオ通話でもしてやれよ》


《……っ! うんっ!》


 3月は別れの季節。

 でも、それは新しいはじまりのための別れなのだ。


 そして、俺にはもうひとつの別れがあった――。


   *  *  *


《いいい、イロハぁあああ!? おっ、おっ、おっ……お前ぇえええ!? 無事だったのかぁあああ!?》


《いやー、ひさしぶりシテンノーくん》


 スクールバスに乗り込んだ途端、車内は大騒ぎとなった。

 シテンノーも、いつも俺のとなりの席に座っていた女生徒も泣き出してしまう。


 俺の正体は薄々……というか、ガッツリバレているらしく「なにがあった?」という質問はされなかった。

 だが「どうだったんだ?」「大丈夫だったのか?」とアレコレ心配はされた。


《心配かけてごめんね。でも、もう大丈夫》


《そうか……》


《あっ、そうだ! シテンノーは今もあの研究所のお手伝い行ってるよね?》


《あぁ、ボクもこいつも通ってるぞ》


《ふふんっ、まぁね!》


《あの研究所の翻訳システムが、国際ライブの自動翻訳に採用されてたでしょ? すっごい精度だった! いったいどうやったの?》


《……はぁ、お前はなんというか》


《ん?》


《守秘義務があるからここで詳細は言えない。だが、大まかに言うと……》


 と、シテンノーは同じく関係者である俺にはこっそり教えてくれる。

 その話によると……。


 これまでの機械翻訳では『英語→日本語』と直接翻訳していた。

 それを『英語→”I言語”→日本語』とワンクッション置いて翻訳するようにしたらしい。


 すると非常に翻訳の誤差が小さくなった――精度が上がったのだと。

 ただし……。


《2回も翻訳をかましている関係上、通常の機械翻訳よりも時間がかかるがな。国際ライブではそれをマシンスペックでムリヤリなんとかしていたが》


《へぇ~!》


 2回も翻訳するなんて、余計に翻訳の誤差が大きくなりそうなのに。

 俺にはとても思いつかない逆転の発想だ!


 でも、そういえば俺も無意識にリンガフランカを介してさまざまな言語を……いやまぁ、それは関係ないか!

 とにかく「すごい!」と連発していると……。


《……》


《え? どうかしたの?》


《いや……なんでもない》


《???》


《まぁ、翻訳速度についても『I言語』の完成度を高めれば改善することがわかっているから、あとはサンプル数の問題で……また大きく上昇するだろうけどな》


《さっきから話に出てる『I言語』ってなに? ……”Iわたし”の言語?》


《お前、わかって言ってるだろ》


《……?》


《はぁ~、頭文字だよ》


《なんの……あぁっ! ”内向的言語”のことか!》


 E-言語――外在的(Extrovertエクストロバート)……英語や日本語など、人間の”外”に存在する言語。

 I-言語――内在的(Introvertイントロバート)……思考や概念など、人間の”内”に存在する言語。


 きっとそれのことだろう!

 まさか、彼らはそんな不定形ともいえる言語を定義しようとしていただなんて……。


《もうお前、絶対にワザとやってるだろぉおおお!?》


《ほぇ?》


《……はぁ~~~~》


 本当にわからず首を傾げる俺に、シテンノーは大きなため息を吐いた――。

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