第421話『「ただいま」』


《――わたしに雇われてもらえませんか?》


 俺はそうシークレットサービスの……いや、元・シークレットサービスの女性に提案していた。

 彼女は目を丸くして驚いていた。


《雇うって、アタシになにをしてほしいの?》


《わたしの秘書兼ボディガードとして一緒に来てほしいんです》


《……? マネージャー、ってこと?》


《ごめんなさい。マネージャーの枠はもう予約済みなんです》


 俺の頭に浮かんでいるのはひとりの女の子の姿。

 けれど、それはまだ先の話……。


《一緒に来てほしい、か。イロハちゃんはどこへいったいどこへ行くつもりなんだか》


 その言葉に俺は笑みを返す。

 今までずっと迷っていた。


 俺はどうするか、どうなるべきか、なにを為すべきか。

 けれど、ようやく決心がついたから。


 そのためには彼女のような存在の力が不可欠だと思った。

 俺は戦闘力がなさすぎる。


《ボディガードといっても、アタシもうあまり走ったりできないわよ?》


《大丈夫です。……わたしも走れないので!》


《あっ、たしかに。アタシもさすがにイロハちゃんよりはまだ動けるし、問題なさそうな気がしてきた》


 ……あっれぇー?

 俺の機動力低すぎ? ケガした彼女以下ってさすがにどうなんだ。


《そ、それはともかく。どうしますか? わたしに雇われてもらえますか?》


《……ふふっ、言っておくけどお姉さんは高いわよ?》


《知らないんですか? わたし、結構稼いでいるんですよ?》


 どちらともなく、顔を見合わせて笑みをこぼす。

 よかった、俺はこれからも――”ボディーガード”の彼女と一緒にいられるのだ。


《じゃあ、そろそろアタシは自分の病室に戻らないと。検診の時間だから》


《わかりました。あと、あなたも早く出て行ってください。しっしっ》


《ありゃ、嫌われてしまったかな。まぁ、ボクも素直にお暇させてもらうことにしよう。ほかにも仕事があるし、伝えるべきことは伝え終わったからね。……ではまた、ミス・イロハ》


《いーっ、だ! あなたとはもう会いたくありません!》


《いやぁ、それを決めるのはボクじゃなくて上司だからねぇ》


 俺はスーツの男性を威嚇して追い払った。

 彼は最後まで飄々とした、うさん臭い態度のままだった。


《……ようやく落ち着いたな》


《うん。……って、あれ? ところでみんなは?》


 俺はキョロキョロと病室内を見渡す。

 現在、この病室に残っているのは俺とあんぐおーぐだけで、ほかの面々の姿が見えなかった。


《ひと足先に全員、日本へと帰ったぞ》


《えっ。ちょっとくらい……わたしの目が覚めるまで、待ってくれたっていいのに》


《マイもイリェーナもまだ中学生だからな。もともと、かなりムリしてこっちに長居してたから》


《……そうだった》


《アネゴのやつも配信やら収録やら……仕事が山積みだし、オマエのママさんも知り合いに猫を預けっぱなしだって言ってたからな》


《はぁ~。それでわたしのために残ってくれたのはおーぐだけか~》


《だって、ワタシの帰る家はアメリカこっちにあるからな。……それにオマエも、だろ?》


《……!》


 あんぐおーぐが手を差し出してくる。

 それはずっとずっと俺が望んでいたことだった。



《イロハ――帰ろう、ワタシたちの家に》



《……うんっ!》


 俺はその手を取って、ベッドから抜け出す。

 あんぐおーぐが繋いだ手にギュッと力を込めてくる。俺もまたその手を強く握り返した。


 もう2度と離れてしまわないように――。


   *  *  *


《うわ~! なんかもう懐かしいな~!》


 ひさびさの我が家にテンションが上がりながら、俺は室内へと入っていく。

 正確にはホームステイなのだけれど……それでも、ここはもう俺たち・・・の家だった。


《あはは、全然変わってない》


 すこし散らかっていたりホコリが溜まっていたりするが、あのときのままだ。

 そうあちこちを見て回り――”そこ”に目が留まった。


 壁に、あの日付けのままで止まっているアドベントカレンダーがあった。

 俺たちはしばらく無言でそれを眺めていた。


《おーぐ、ありがとうね》


《ん? なんだ突然》


《多分、イタズラだったんだと思うけど……》


 と、あんぐおーぐが俺のカバンにこっそりと入れた離乳食で命が救われたことを伝える。

 すると、なぜか彼女は泣き出してしまって……。


《えっ? えっ? どうしたのおーぐ!?》


《だって、オマエが森の奥でどんな生活を送っていたのか……ワタシは今まで伝聞でしか知らなかったから。でも、そんな……過酷な……》


《わーっ!? そんなつもりで言ったんじゃないから!? それにこうやって生きて戻れたわけだし!?》


《ワタシ、せめてライブが終わるまでは……聞いちゃいけないって、聞かないようにガマンしようって、そう思って……ずっと、ずっと……》


《泣かないで! 大丈夫! 大丈夫だから!》


 俺は必死にあんぐおーぐをなだめた。

 それから、ようやく落ち着いてきた彼女へと「そうだね~」と語りはじめる。


《向こうでは本当にいろんなことがあったよ。それにたくさんのことを学んだ》


 生きるのは難しいこと。命の儚さ。仲間の大切さ。

 あとは……甘味の少ないバナナは焼いたり煮たりして、火を通したほうがおいしいことまで。


 ツラくなかったと言えばウソになる。

 けれど、不思議と……またいつかあの場所へ行きたいという思いがある。


 彼らに助けられたお礼だって言えてないし。

 そのときは……また子どもたちとVTuberの配信を見て、一緒に歌ったり踊ったりしたいな。


《おーぐはどうだった? わたしがいない間、寂しくて泣いたりしなかった?》


《バカ。そんなの……いっぱい泣いたに決まってるだろうが》


《そっか。わたしも……いっぱい泣いたよ》


《大変だったんだぞ。オマエがいなかった間。本当に、本当に大変だったんだ……》


 俺たちはいつもそうしていたように定位置のソファーに座った。

 それから肩を寄せ合って、指を絡ませ……。


 長い時間をかけて、お互いがいなかったころのことを語り合った――。

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