第419話『ラストアンコール』


 ――世界中の人々の声が聞こえる。


 今、世界はひとつになっていた。

 不思議な感覚だった。


 いったいこれはなんだ……?

 まるで自分という存在が世界に溶けていくかのようだった。


「あれは……翼?」


《イロハちゃんの背中に天使の翼が見える》


<すごい演出ね……>


 俺にもその翼は幻視できていた。

 けれど、こんなの練習でもリハーサルでも聞いていない。


 サプライズ演出などでは決してない。

 これは……。


 ――あぁ、そっか。俺、夢が叶ったから……。


 納得感が全身を支配する。

 叶っちゃったから、だからもう――終わり・・・


 舞台に光る羽根が無数に舞い降り……そして、ゆっくりと音楽は終わっていく。

 俺はもう疲れもなにも感じなくなっていた。


 あれだけ貧弱だった身体のはずなのに、今はもう……。

 俗世の概念から解放されつつあった。


 暗転した舞台の真ん中で、俺の姿だけが照らされ続けていた。

 ふと、遠くで歓声が上がるのが聞こえた。



『――ご覧ください! 今……ウクライナ大統領とロシア大統領のふたりが我々の前で固く握手を交わしました! ”終戦”です! 戦争は回避されたのです!』



 どこかからアナウンサーだろう人の声が聞こえてくる。

 彼女は続けた。


『彼らの背後のモニターに映るあれは、バーチャルMyTuberのライブ映像でしょうか? ……間違いありません、”VTuber国際ライブ”の映像です!』


 一時は「戦争再開か?」とまで言われていた両国。

 しかし、そんな未来は回避されたようだった。


 どうやら――世界は救われたらしい。


 今回のライブは無料配信され、だれでも観られるようになっている。

 その意味を今さら理解する。


 これであんぐおーぐの母親との約束も果たしたことになる。

 そして、俺の役目の終わりも意味している。


 やがて、ゆっくりと俺を照らしていた光が消えはじめた。

 舞台が完全に暗転して……。


《イロハ……?》


「イロハちゃん……?」


<イロハサマ……?>


 あんぐおーぐが、あー姉ぇが、イリェーナが同じ舞台の上から俺を見ていた。

 彼女らの瞳は、なにかを感じ取ったかのように揺れていた。


 暗く静まり返った世界に「アンコール」の声が響く。

 だが、俺はここまでだ。


「わたし……みんなに会えてよかった」


 一度は潰えた夢がこうして……見ている方向は逆だったけど、実現した。

 そして……。



 ――俺はこれから”永遠”となるのだ。



 いつまでも、いつまでも、ずっと……。

 空の上・・・から彼女らを見守り続ける存在となる。


「神さまって本当にいるのかもな」


 思っていたのとはすこしちがうが、俺の願いをすべて叶えてくれたのだから。

 できれば、天国からでもスパチャができるといいなぁ……と、そんなことを思った。


 俺はゆっくりとまぶたをおろしていく。

 あんぐおーぐたちの口からかすかに悲鳴のような声がこぼれた。


 だが、彼女たちは動けない。

 運命づけられた「アンコール」がそこにあるから。


 もうすぐ暗転が明ける。

 今、ここで動けば前撮りした映像との繋ぎがおかしくなってしまうから。


 彼女らはプロだ。

 この舞台に選ばれるほどの一流だからこそ、だれも動けずにいた。


「みんな、今までありがとう。それから……」



「――さようなら」



 俺は完全にまぶたをおろした。

 身体の感覚がなくなる。浮遊感に身を任せる。


 これから俺は肉体というくさびから解き放たれ、べつの存在へと変わる。

 どこからともなく、鐘の音が鳴り響き……。








「――イロハちゃん!」







 俺の唇に……熱くて、やわらかい感触があった。

 驚きのあまり、目を見開く。


 急速に世界へと――色が、音が、感覚が戻ってくる。

 俺の目の前には……。



 ――マイがいた。



 彼女はゆっくりと唇を離した。

 その目がまっすぐに俺を見ている。


「イロハちゃんはマイのものなんだからぁ~! 神さまにだって! 世界にだって! ……絶対にあげてなんかやんないんだからぁ~!」


 視界の端で、慌ててマイを連れ戻しにやってくるスタッフの姿が見えた。

 彼女はあっという間に引きずられていく。


《だれだこの子は!?》


《いったいどこから入った!?》


《勝手に入っちゃダメでしょ!?》


 そんな会話がなされているのが聞こえてくる。

 ……そういうことか、と俺は理解した。


 この舞台の上で――撮影エリアの中で彼女だけがVTuberではなかった。

 彼女だけがずっと……。


 ――現実だけ・・の存在だった。


 だから、観客の目には見えない。

 センサ類の取り付けられたスーツを身にまとっていない彼女は透明人間だった。


 それでいて、その”神域”に触れてはならないと教え込まれたスタッフでもなかった。

 だから動けた。


 ――マイの力が必要になるときが来るかもしれない。


 それはただの方便だった。

 でも彼女は……本当に俺を助けてくれた。


「……ぁ」


 俺は、熱の残る自身の唇に手を当てて……。

 自分の顔を真っ赤になったのがわかった。


 なんだこれ、熱い……!

 というか、暑い……!


 全身が沸騰したみたい。

 スーツの中が噴き出した汗で蒸れているのがわかる。


 そのことに強い不快感を覚えた。

 さっきまでの俺には……これからの俺には無縁となったはずの感覚だった。


 ……俺はずっとVTuberさえあればそれでいいと思っていた。

 でも……、だけど……。


「あんぐおーぐ、あー姉ぇ、イリェーナちゃん……マイ……。それにお母さんも……」


 俺の中に新たな未練が生まれていた。

 現実・・に未練ができてしまった。


《暗転明けます! 急いで! あと3秒! 2……1……》


 そうして俺の意識は再び舞台に”舞い・・戻って”いた。

 俺は小さく、心の中で呟いた。


 ――ありがとう、マイ。


 会場に響いていた「アンコール」の声。

 ピタリとそれが止んで、世界が静まり返っていく。


 そして音楽が再び鳴りはじめる。

 それは、あのとき戦争から世界を救った曲だった――。

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