第414話『棒読みイロハ』


 俺は撮影エリアへと――舞台の上へと飛び出した。

 あー姉ぇのそばまで駆け寄った、そのとき。


「イロハちゃん、むぎゅぅ~~~~っ!」


「ぎゃーっ!? いきなりなにすんだボケーっ!?」


 抱き着いてきたあー姉ぇの腕から抜け出そうとするが、ビクともしない。

 こ、こんな大舞台でなにを考えてるんだ!?


「え~っ!? イロハちゃんのいけず~! ちょっとくらい抱き着いたって悪くないよ姉ぇ~?」


「悪いわ!?」


「そんなこと言って、おーぐとはキスまでしてたクセに~!」


「んなっ!?」


 またしてもカァ~っ! と、俺の――翻訳少女イロハの顔が赤くなる。

 スタッフの反応がやたらと早い。お前ちょっと手慣れてきてるだろ!?


「あああ、あれは事故だから!?」


「へぇ~? イロハちゃんは事故だったらちゅーしてもいいんだ~?」


「なわけあるかーっ!?」


「とまぁーそういう話は置いておいて」


 と、あー姉ぇがようやくアドリブを中断してくれる。

 さっきからスタッフさんが必死にカンペをアピールしてたからな……。


 ほんと、うちのバカがすいませんっ……!

 彼女が司会をやると、まずもって台本どおりにはいかない。


「イロハちゃんがこうしてライブに参加できて本当によかったよ姉ぇ~っ!」


「その節は大変ご心配をおかけしました」


「ううん、イロハちゃんは悪くないから姉ぇ~っ! お姉ちゃんはこうして無事に戻って来てくれて、今度こそ一緒に舞台に立てただけでっ……、っ……」


「あー姉ぇ……」


 いつも明るくて元気なあー姉ぇが声を震わせていた。

 彼女の感情が会場やコメント欄に伝播し、みんながうるうると涙を流す。


「……大丈夫だよ。あー姉ぇ、わたしはもうここにいるから」


「……うんっ、……うんっ!」


「それに、もう2度とこんなことは起こさせない。起こらないように、わたしの声を世界に届かせてみせる」


「イロハちゃん……ぐすんっ。それでは……ごめんね、みんなお待たせして。どうぞ、聞いてください。翻訳少女イロハで……」



「――『イッツ・ア・スモール・ワード』」



 あー姉ぇの言葉で舞台が暗転する。

 そうしてはじまるのは俺のソロ曲だ――。


   *  *  *


 ついさっき、まさにそんなことを体験したな。

 そんなことを思いながら俺は音楽に身を任せる。


 ――案外、世界は小さい。


 ほんのひと言で……言葉で、繋がることができる。

 こんにちは、ハロー、アンニョハセヨ……歌詞の中でいろんな国の言葉で俺はあいさつする。


 多言語話者ハイパーポリグロットとしてのキャラクターを活かした曲。

 俺は想いを歌に乗せて届ける。


 小さな言葉で友だちを傷つけた。

 小さな言葉がわたしに勇気をくれた。

 小さな言葉が世界を変えた。


 そんな感動的な調子から、一転。

 俺はぐでーっと、横になって言いだした。


『……歌うのと踊るのもう疲れたー』


 するとガラガラと黒子がなにかを押してやって来る。

 そこで登場したのはまさかの……抱き枕!?


 俺の代わりにその抱き枕へとマイクを当てる。

 そしてピッと電子音が鳴って……。


>>ぼ、棒読みイロハきちゃーーーーっ!

>>生きてたんかワレェっ! そこにおったのか!?(米)

>>代役立てて歌うのサボってて草(韓)


 抱き枕の中から聞こえてきたのは『棒読みイロハ』の音声だった。

 オラ、どうだ! これがお望みだったんだるろぉん!?


 俺はかつて『チートじみた翻訳能力』の影響で棒読みしかできなかった。

 しかし、それは『言語チート能力』に変わったことで解消され、ただのオンチになった。


 結果、どうなったのかというと……視聴者のみんなは「物足りない」「棒読みが恋しい」「戻して」「こんなのイロハちゃんじゃない」とか言いだしたのだ!

 ゆ、ゆ、ゆ……許せねぇえええ~!?


 しかし、作曲家もどうやらそのイメージが強かったらしく……。

 見事におふざけでこんな棒読みパートを入れられてしまったのだ!


「……ぷぷっ!」


 ふと、となりから吹きだす声が聞こえた。

 見れば、あー姉ぇが堪えきれなかったらしく笑いだしていた。


 このソロ曲も前撮りしたものだ。

 俺は自分の歌っている(?)姿をあー姉ぇと並んで見ながら「ホっ」と息を吐く。


 あー姉ぇの目元は真っ赤になっていた。

 じつは、彼女は先ほどのトークパートが終わって音楽が鳴りだした直後、本気で泣きはじめてしまったのだ。


 スタッフたちはこんな彼女を見たことがなかったのか、大慌てだった。

 もし、曲が終わるまでに泣き止んでなかったら大惨事……事故になっているところだった。


「……よしよし」


「イロハちゃん?」


 俺はなんとなくあー姉ぇの頭を撫でてあげた。

 彼女はキョトンとした顔をして……けれど、すぐに気持ちよさそうにコテンと頭を俺に預けた。


 そんな様子をスタッフにほほえましそうに見られて、ちょっと恥ずかしかったが……。

 まぁ、いいか……このくらい。


 ……だって今さらだしな!

 すでにキスとかいう最大の羞恥を見られたあとだからなぁっ!?


「……にしても」


 じつはこの棒読み音声、俺の声を再現した『読み上げソフト』をそのままで使っているわけではない。

 あくまで『棒読みイロハ』風に、俺本人が棒読みで歌ったものにエフェクトをかけた音声だったりする。


 うん、言いたいことはわかる。

 ややこしいことしてる……という自覚はある。


 偽物を本物が模倣するという逆転現象。

 だが、仕方ないのだ。


 権利の都合上、安全をとって俺本人が収録せざるを得なかったのだから。

 これを作った本人は自由に使ってくれ、と言っているのだが……。


 これを作るために使ったソフトがウンヌンカンヌン。

 このソフトで作ったものを商用利用する場合はどうたらこうたら……。


 この世において恋心と権利関係は本当に複雑怪奇なのである。

 それで安全を取って、俺自身が歌うことになった。


 そのためにめちゃくちゃ棒読みの練習させられた。

 こ、こんな屈辱ってあるぅ……?


 しかも、おかげでちょっと棒読みに歌うクセがついてしまったし。

 そのせいで前より歌がヘタになった気が……。


「いや、きっと気のせいのはずだ! そうであってくれぇ~!」


 俺は自分の歌声を聞きながら、慟哭するように叫んだ――。

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