第410話『ライブ・スタート!』


 開演前のアナウンスが会場に響いていた。

 VTuberたちがいろんな言語で『撮影禁止』などの注意喚起を行っている。


 俺は撮影エリア脇に立っていた。

 そこには本番前特有の空気があった。


《イロハ……オマエ、手が冷たいぞ》


《おーぐだって》


 ギュッとあんぐおーぐが手を繋いでくる。

 空調がきいているはずなのに……あるいはだからこそ、か。空気が冷たい。


 これから動き回って汗をかくだろう俺たちに合わせているのかもしれない。

 はたまた、これからくる会場の”熱”に備えた嵐の前の静けさか。


 なんだか不思議な感じだ。

 寒くて、冷たくて、吐く息は凍りそう。なのに身体の奥のほうはやけどしそうだ。


 ワクワクともちょっとちがう、身体がジッとしていられず落ち着かない感覚。

 恐怖――それが一番近いのだが、しかしもっとプラスの感情。


 大舞台の前はいつもこうなる。

 俺はこの感情の名前を知らない。


《そろそろ時間です。準備はいいですか?》


 スタッフに尋ねられて俺とあんぐおーぐはコクリと頷いた。

 そして、カウントダウンがはじまる。


《5、4、3……》


 途中から声はなく、指のみでの合図となる。

 あんぐおーぐは俺に笑みを見せた。


《じゃあ、先に行ってくる。オマエのために場を温めておいてやるから――安心して来い》


 そして、あんぐおーぐが撮影エリア内へと飛びこんだ。

 瞬間、「うおぉおおおッ!」という大歓声に会場全体が揺れた。


 ビリビリビリィっ! と肌にまで振動が伝わってくる。

 室内にあるモニターから、今あんぐおーぐがどのようにみんなの目に映っているのかが確認できた。


《オマエら、待たせたなーっ! VTuber国際ライブ……開催だぁあああっ!》


 そう叫ぶあんぐおーぐの姿は会場のみんなに、まるで実際にそこにいるかのごとく見えているだろう。

 目の錯覚を利用した特殊な舞台構造がそうさせているのだ。


 新宿にある巨大な3Dディスプレイの広告を知っているだろうか?

 土台や枠の一部まで映像にすることで、飛び出して見えるアレだ。


 プロジェクションマッピングでもあるような手法。

 この舞台も同じく、土台の一部まで映像にすることでVTuberが実際にその場にいるかのように見せている。


《”ぐるるる……どーも、ゾンビです”。あんぐおーぐです! オマエらみんな今日は来てくれてありがとうなー! あの日、中止になっちゃったライブが……こうして今度こそ開催できたのはみんなのおかげだ!》


 このライブは会場内だけでなく、世界中に配信されている。

 視聴者が書き込んだ無数のコメントがすごい勢いで流れていく。


 コメントもまたこの部屋のモニターで確認できていた。

 そして、今回のライブ映像……驚くことに、無料で視聴できるようになっている。


 それに伴い、切り抜きやスクリーンショットも自由になっている。

 通常ならありえないことだが、国家という巨大なバックアップがあったからこそ実現できていた。


 というより、無料で配信すること自体がおかみ・・・からの要望であったのだろう。

 政治が絡んでいる今回、ひとりでも多くの人に視聴してもらう必要があるから。


《にしても広い会場だなー。ふっふっふ、ワタシも……こっちから、こーーーーっちまで走り回れるぞ!》


 舞台の上をあんぐおーぐが端から端まで駆けていた。

 ちなみに、配信のほうは会場内の様子を単純に流すのではなく、映像に3Dモデルを合成してあった。


 そのため、映像のぼけがなく……じつは配信のほうが見やすくはあったりする。

 必ずしも現地が”上”というわけではないのだ。


 会場でのライブ感か、見やすさか。どちらにも良い部分があるのだ!

 まぁ、それでも……。


《オマエらー! ステージのこっち側のやつー! 見えてるかー!? こっちはどうだー!? 後ろのやつー、オマエらのこともちゃーんと見えてるからなーっ!》


 やっぱり、俺は現地が好きだな。

 あんぐおーぐの声に合わせて、そのエリアに座っていた人たちのペンライトがぶわぁっと一斉に動いていた。


 3Dライブの技術はすさまじい速度で成長している。

 今はあくまでスクリーンに映した疑似3Dだが……。


 いつか現地で本当に3Dのライブが観られる日が来るだろう。

 そして、それはきっとそう遠い日ではない。


《っと、それじゃあそろそろ……紹介したいヤツがいる。今日の司会進行をメインで担当してくれるVTuberだ。オマエらもずっと会いたかったよな? ――おーい、イロハ~っ!》


 いよいよ、俺の出番がやって来ていた。

 だが、緊張でなかなか足が動かない。


 そんな俺の背をトンっと温かい手が押してくれる。

 振り返ると、あー姉ぇとイリェーナがいた。


 俺はもう躊躇わなかった。

 大きく足を踏み出し、手を差し伸べるあんぐおーぐのもとへと駆け寄る。


《おーぐっ!》


 俺は勢いあまってすこし転びそうになってしまい、あんぐおーぐに受け止められた。

 彼女はやさしく笑う。


《……ようやく会えたな、イロハ》


《……うんっ》


 こうして公の場で俺たちが顔を合わせるのは2、3ヶ月ぶりになる。

 会場が一気に湧いた。


《ほら、イロハ。みんなにあいさつしてやれ》


 言われて、俺は正面を向いて――その瞬間、視界と感覚がリンクした。

 俺は今、会場に――本当に舞台に立っていた。


 実際は撮影エリアにいるはずなのに……不思議な感覚だった。

 キョロキョロとあたりを見渡す。


 観客の顔がすぐそこにある。

 端のほうから手を伸ばせば、届くんじゃないかとさえ思えた。


 俺たちを照らすまばゆいライトの熱を感じる。

 手でひさしを作ると、会場の一番うしろのほうまで観客が本当に見えた。



《――”わたしの言葉よあなたに届け!” 翻訳少女イロハです!》



 まだライブははじまったばかりだ。

 にもかかわらず、ボロボロと俺の両目から涙がこぼれだしてしまう。


《みんな……いっぱい待たせてごめんっ! わたし、無事に帰ってきました!》


 俺の涙が伝播したように、会場内でも大勢の観客が泣き出してしまう。

 あんぐおーぐは自身も泣き声になりながら……でも、彼女は一流のプロだから――。


《おいおい、オマエら。そこは泣くところじゃなくてよろこぶところだろ! ……イロハ、おかえり》


《うんっ……、うんっ! ただいま、おーぐっ!》


 そうやって、あんぐおーぐは進行をしてくれた。

 俺もいつまでも泣いてはいられない。


 すべては分単位でスケジュールが決められている。

 自分たちが遅れれば、そのあとに続く予定すべてに影響が出るのだ。


《それじゃあ、まずは1曲目……聞いてくれ。ワタシとイロハで……》



《――『ラスト・イン・ピース』》



 そうして、国際VTuberライブの幕が上がった――!

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