第408話『ありのままの自分で』


「え? い、イスになる……って、あたしがっ!?」


 浴室、ふたりっきり、一糸まとわぬ姿の俺とあー姉ぇ。

 そんな状況で、俺は淡々と彼女に命じていた。


「ほかにだれがいるの? あー姉ぇはなーんにもできないんだから、せめてそれくらいの役には立ってよ。ほら……はーやー、くぅっ!」


 言いながら、俺はパチーン! とあー姉ぇのお尻を急かすように叩いた。

 いや、力が弱すぎて実際には「ぺちん……」みたいな音だったんだけど、そこはイメージ。


 それに彼女の反応は劇的だった。

 軽い刺激だったはずにもかかわらず……。


「ひぅうううっ!? んっ……く、はぁっ……!?」


 ビクビクゥウウウ! と激しく身体を痙攣させ、膝から崩れ落ちていた。

 ぺたんと女の子座りになり……なおも余韻のように身体を震わせながら、熱っぽい視線で俺を見上げてくる。


「はぁっ、はぁっ……イロハ、ちゃんぅ……。あた、し……なんだか、身体が変だよぉ……」


「なにが? どう変なの? 言われなくちゃわからないんだけど?」


「な、なんていうかっ……その、イロハちゃんヒドイことを言われたら胸がツラくて苦しくてきゅ~ってして、切なくて……なのに、身体が熱くなって」


「で?」


「イロハちゃんに叩かれたお尻も、なんだかずっとジンジンして……ヒリヒリして……痛かったはずなのに、その……気持ちいい、みたいな感じで」


「へぇー?」


 俺はあー姉ぇを冷笑した。

 それから彼女の耳元に口を近づけて、囁くように言った。



「――お前ってさぁ、こんなことで感じるようなヘンタイだったんだなぁ」



「~~~~っ!」


「あーあー、幻滅だなぁ。尊敬してたあー姉ぇがこんな人だったなんて――ほんっとーにキモチワルイ」


「~~~~っ、~~~~っ!」


「それはもういいから。いつまで身体を痙攣させてんの? さっさと四つん這いになってくれない? お前みたいなヘンタイにとってはご褒美だろ?」


「うっ、うぅ~っ……!」


 俺の言葉にあー姉ぇはゆっくりと手をついて、こうべを垂れ……イスになった。

 そして、俺はゆうゆうと彼女の背中に自分のお尻を下ろした。


「……んっ、んんぅ~~~~っ!?」


「ちょっと、あんまり揺らさないでくれる? ……って、あぁそうだった。あー姉ぇってなにもできないんだったね。ジッとイスになってることすら、難しかったか」


 俺が身じろぎするたびに震えている”イス”に、吐き捨てるように言った。

 すると、やがて「ひっく、えっぐ」とイスから嗚咽がこぼれだし……。


「びぇえええんっ! わかんない、わかんないよぉ……悲しいのに、ツラいのに感じちゃって……あたし、もう自分で自分の気持ちがわかんないよぉっ……! うえぇえええんっ!」


 あー姉ぇは再び泣き出していた。

 彼女は身体を震わせながら、支離滅裂に言葉をまき散らす。


「ほ、ほんとはわかってるんだもん……あたしがダメな子だってぇ! 勉強もあんまりできないしぃ……! だから必死にいっぱいがんばって明るくふるまってるのに……うぇえええん!」


 ……そうか、そうだったのか。

 いつも元気に振舞っているあの姿はそういうことだったのか。


 もちろん、あー姉ぇの素の部分もあるだろう……いや、そちらが大半だろう。

 しかし、今の言葉も間違いなく本心だった。


 だから、俺はやさしく彼女へと笑いかけた。



「――いいよ」



「え……?」


「いいんだよ、べつに……そのままで」


 ぽかん、と口を半開きにして……泣き顔だったあー姉ぇがこちらを見上げてくる。

 彼女は震える声で言う。


「で、でも……あたし、こんなにダメなのに」


「べつにいいよ。だって、俺は――あー姉ぇがダメなやつだってことわかってるから。今さらなんの期待もしてないから。だから――いいんだよ、ありのままの姿で」


「……本、当に?」


「あぁ」


「いいの……? あたし、このままで……?」


「もちろん。前にも言っただろ?」



「――ふたりきり・・・・・のときだけは甘えてもいい、って」



「……っ!」


 俺はあー姉ぇの頭へと手を伸ばして、弄ぶみたいにくしゃくしゃと彼女の髪を撫でてやった。

 固まっていた彼女の表情がにへらと崩れていく。


「い……いいんだ……あたし、イロハちゃんの前でならありのままでいて。……イロハちゃん……イロハちゃん、イロハちゃん、イロハちゃんっ……!」


 あー姉ぇはまるで甘えてくる犬みたいに、俺の手へと自ら頭をこすりつけていた。

 俺はしばらく彼女の好きにさせたあと、そろそろ身体を洗おう……とシャワーのハンドルを捻った。


 その瞬間だった。

 ――ジャー! と冷たい水がシャワーヘッドから飛び出し、俺を頭から濡らした。


「ひゃわぁあああっ!?」


 俺はあー姉ぇの上から飛び降りて、冷たい水から退避する。

 遅れて、シャワーを止めた。


「び、ビックリした……うわっ、冷たいと思ったらどおりで。温度設定間違ってるじゃん」


 あー、なんだか文字どおり冷や水を浴びせられて我に返ってしまった。

 しかし、一方であー姉ぇのほうへと視線を向けると……。


「はぅ……あぅうんっ……い、イロハちゃん……こ、今度は冷たい水をかけてあたしのことイジメるの……? でも……あたし、こういうのも嫌いじゃない……かも」


 なんか、水をかけられて身体をビクンビクンとさせていた。

 俺は思った。


 ――なに言ってんだこいつ?


 というか……なにしてたんだ俺ぇえええっ!?

 俺は理性を取り戻してしまったがゆえに「ぐぉおおお~!?」と頭を抱えてうめいた。


「ど、どうしたのイロハちゃん……あの、ね……もっとぉ……あたし、もっと欲しいよぉっ……」


「……お、オラオラー。ほ、欲しけりゃくれてヤルヨー」


「ひゃうぅうううんっ!」


 俺は今さら引くこともできず、あー姉ぇに水をかけた。

 でもなんだろう? いつもはイジメられてばっかりだから、逆をやるのちょっと楽しい気が……。


 って、いやいやいや!?

 なにを考えているんだ俺は!?


 心頭滅却! 心頭滅却!

 俺は自分も改めて、頭から水をかぶって興奮を冷まそうとして……。


「えへへっ……イロハちゃん、あたしも……どんなイロハちゃんでも大好きだよっ」


「~~~~っ!」


 どんな俺でも……か。

 そうだ、俺らしくやればいいのだ。


 もし、それで失敗してしまったとしても……きっとファンのみんなは受け入れてくれるだろう。

 だって、俺が観る側ならそう思うから。


 だからこそ恐れずに――全力でやろう。

 ありのままの自分で、できることを精いっぱいに。


「わ、わたしも……こんな自分を見せるの、あー姉ぇだけだから。特別なんだからね?」


 俺はあー姉ぇの耳元で小さくそう呟いた。

 そして、すこし長くなってしまったシャワーから上がって……。


   *  *  *


「みんな準備はいい?」


 俺たちはいよいよ出立の準備を終え、ホテルの玄関に集まっていた――。

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