第405話『触れる指先は熱く』
イリェーナが馬乗りになって俺を押さえつけていた。
彼女が手首を握る手にギュッと力がこもり……思わず「んっ」と俺の口から声が漏れた。
<イロハサマ……>
<だっ……ダメっ! イリェーナちゃんはもう、わたしの身体に触っちゃダメっ……だからっ! つ、次に触ったらもう絶交だからねっ!?>
<でもイロハサマ、同じ布団で寝ている以上は少なからず触れてしまうことがあると思イマス>
<そ、それは……って、でもこれは絶対にちがうでしょ!?>
<ムゥ……厳しいデスネ。デハ、どこまでならセーフかワタシに教えてくださいまセンカ?>
言って、イリェーナは掴んでいた手首を持ち上げて、俺をバンザイの姿勢にした。
そのまま両手を……頭の上で、まとめて片手で押さえつけられる。
<っ!? は、離してっ! なにするつもり!?>
<イエ、言ったトオリ……教えてもらうだけデスヨ。ちょこっとイロハサマのお身体に聞くだけデス>
<……!?!?!?>
ちょっ、「身体に聞く」って本当になにするつもりだ!?
俺は慌てて全力で暴れるが、腰はがっちりと彼女の内ももでホールドされているし……両手も、イリェーナは片手で押さえつけているだけなのにビクともしなかった。
俺は逃げられないことを悟った。
彼女は見せつけるみたいに、俺の前で指を1本立てた。
<サァ、イロハサマ……これはどうデスカ?>
イリェーナがツーっと指先で俺の身体をなぞる。
かすかな刺激なのにゾクゾクゥっ! と、変な感じが――快感、みたいなのが背筋を駆け上がって……!?
<~~~~ぁ、はぅっ……!? そ、それ……ダメっ……!?>
<でもワタシ、指1本しか触れてないデスヨ。それはさすがに厳しすぎまセンカ?>
<それは……たし、かに……ひゃうんっ!? で、でもそれはダメ!>
<触る場所が悪いのでショウカ? デハ、ここはどうデスカ? ココハ? コッチハ?>
<んっ!? ひゃっ……はぅんっ!? ら、らめぇっ……!? 肩とか……んっ、はぁっ……首、とか……脇とか、太ももとか……そういうのは、全部っ……らめ……にゃのぉっ!>
<ウーン、それじゃあほとんどダメじゃないデスカ。むシロ、どこならいいのデショウ? たとエバ……ソウ――
言って、イリェーナの指先が首筋からあごを通って、俺の唇へと到達した。
そして……そこをやさしく撫でた。
<~~~~っ!>
カァ~っ、と顔が熱くなった。
俺は必死にツンっと顔をそっぽ向けてイリェーナの手から逃れた。
<だっ、ダメ……
<……っ!? ……っ、……っ!>
<どどど、どうして急に無言になるのぉっ!?>
イリェーナがジィ~~~~っと、すごい熱量がこもった視線を、俺の顔へ――いや、唇へと向けていた。
俺はいろんな意味で怖くなっていた。
正直、俺も……彼女に唇を触られるのがイヤ、ではなかった。
でも、その一線を越えてしまうとなんだか歯止めが利かなくなってしまいそうで……。
<そう……手! 手ならいいよ! そこなら……その、好きなだけイリェーナちゃんが触ってもいいから!?>
だから、俺はそう提案した。
イリェーナはしばらく葛藤するかのように無言になったあと、「フゥっ」と息を吐いた。
<あやうく理性がトビかけマシタ。けレド、了解デス。手ならいいんデスネ?>
<……う、うん>
俺はコクリと頷いた。
イリェーナが俺の手首から手を離し、拘束を解く。
<じゃ、じゃあ……その、はい>
言って、俺はすっと彼女の前に手を差し出した。
なんだか、自分でやってて恥ずかしくなってしまう。
だって、それはまるで……ダンスに誘われたお姫さまとか、あるいはプロポーズを受け入れて――今、まさに指輪をはめられようとしているお嫁さんみたいな仕草だったから。
イリェーナはそんな俺の手を取って……。
<あっ、ちょっ……んっ、それ……ぁ、ひぅっ……!? な、なんでっ……そんな、手っ……全体で!? それ、らめっ……指、絡めて……スリスリするの、らめなのぉっ……!?>
<『手なら好きなだけ触っていい』ってイロハサマが言ったんデスヨ~? それに指1本しか触れないなんて約束モ、した覚えはありまセンシ>
<そ、それはそうっ……だけ、どぉっ……んっ、あっ、ひゃう……っ!?>
<今夜はズーット、こうして過ごしまショウネ?>
<……っ!? そ、そんなのりゃめぇ……! わらひ、寝られくなっちゃう、からぁっ……!>
イリェーナは俺の手を文字通りに弄んでいた。
俺はビクンビクンと何度も震え……しかし、あるときパッと彼女はそれをやめた。
<ナーンテ、冗談デス>
<……ぁっ>
<どうしたのデスカ、そんな名残惜しそうな声を出シテ。もっとしてほしかったのデスカ?>
<そそそ、そんなことないし!?>
<デスガ、これ以上は本当に明日に支障が出てしまいますカラ。……クッ、明日が本番でさえなケレバ。……イロハサマ、代わりに今晩はこうやって手を繋いだまま寝ても構いまセンカ?>
イリェーナは俺に馬乗りになるのを止めて、となりにゴロンと寝転がった。
ただし、手はギュっと握ったままで。
俺もおそるおそるといった感じで、彼女の手を握り返す。
彼女の手は――温かかった。
<大丈夫デス、イロハサマはひとりじゃありマセン。ワタシたちがずっと一緒デス>
<……! ……うん>
さっきまではいろんな意味で心臓がドキドキして忙しかった。
けれど、今は……それがゆっくりと落ち着いている。
なんだか、今の俺はすごくリラックスできていた。
急に眠くなってきて……。
<イロハサマ……おやすみナサイ>
<うん……おやすみ、イリェーナちゃん……みんな……>
イリェーナがやさしく頭を――髪を撫でてくれていた。
俺はその感触に身を任せながら、ゆっくりとまぶたを下ろして……。
ふと、カチャリと扉の開く音が鳴った。
こそこそと小声で会話しているのが聞こえてくる。
「イロハのヤツ、ちゃんと寝たカ?」
「ハイ、大丈夫だと思いマス」
「そっかぁ~、よかったよぉ~。イロハちゃん、本人はあまり自覚がなさそうだったけど、かなり不安になってたみたいだからぁ~」
「早めに眠ってくれて一安心だナ」
「そうデスネ。寝れないのが一番ツラいですカラ」
「マイたちと大騒ぎしているうちに、気も紛れたみたいだねぇ~」
「うん!!!! これでお姉ちゃんも一安心だーーーー!!!!」
「「「(アネゴ)(お姉ちゃん)(オネエサン)うるさい!?」」」
あの~、俺まだ完全には寝てないんですけど。
ていうか、あー姉ぇ……あんたって人は相変わらず。
でも、みんなの声を聞いているとますます安心してしまい……結局、そのまま俺は眠りへと落ちていった。
その晩はとってもいい夢を見た気がした――。
* * *
そして――いよいよ、本番当日の朝がやってくる。
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