第402話『本番前夜』


 時間はあっという間に過ぎて行った。

 そして本番を明日に控えた前の夜、収録が……。



 ――終わっていなかった。



《イロハさん、難しいですか?》


《だいじょ……けほっ、こほっ》


 乾いた咳が出てうまく話せなかった。

 そんな俺の様子を見て、ディレクターたちが顔を合わせて首を振っていた。


《イロハさん、ここまでにしましょう。これ以上のノドへの負担は明日の本番に響きます》


《でも、まだ収録できていない曲がっ……》


《仕方ありません。そちらについては――明日、ぶっつけ本番でやるしかありません》


《……!?》


《幸い、残っているのは合唱曲ですから、なんとか誤魔化しは利くと思います。我々もそういった場合を想定して、もとより準備していましたから……大丈夫ですよ》


《そう、でしたか》


《だから、今日は明日に備えてしっかりと休んでください》


 そう言われて、俺たちはライブ会場近くの宿まで送り届けられた。

 昨日からはただの収録現場ではなく、実際のライブ会場(正確には……俺たちはVTuberなので、その裏にある撮影エリア)でのリハーサルも行っていた。


 俺の役割はただ歌って踊るだけではない。

 司会進行役としての務めもある。


 メジャーな言語についてはべつの人になるべく担当してもらっているが、今回は国際ライブ。

 意図的に多数の国からVTuberを選んで招いているため、どうしても俺の担当は多くなる。


「リハーサルが長引いちゃって結局、収録も終わらなかったし……ぶっつけ本番なんて、本当にわたしにできるの? あぁダメだ、失敗する未来しか見えない……」


《――大丈夫だ、イロハ》


 俺がベッドで身もだえしていると、ギュッと手を握られた。

 追い詰められて半泣きになっていた俺が顔を上げると、ベッドの脇にあんぐおーぐが腰かけていた。


 彼女は指先でそんな俺の涙をぬぐうと、やさしい笑みを向けてくる。

 そのまま己の指と、俺の指とを絡め合わせていく――もはや慣れた手つきで。


「んっ……!」


 その感覚にピクリと身体が反応し、肩が跳ねてしまう。

 心臓がドキドキと早鐘を打ちはじめ、顔が熱くなる。


 触れ合った手のひらから――絡み合った指先から、彼女の体温が伝わってくる。

 なんだか、頭がぼぉっとしてきて……。


《なぜなら――残ってるのは合唱曲だけだから! ほら、スタッフさんも言ってただろ? 大丈夫、ダンスがないから運動オンチのイロハでもこける可能性は低いぞ!》


《そのレベルの心配されてたの、わたし!?》


 俺はズッコケた。

 しかも『転ばない』じゃなくて『可能性は低い』なのかよ!?


 俺はあんぐおーぐの手を振りほどくと、「フンっ」と枕に顔をうずめた。

 このっ、俺の気持ちと雰囲気を返せ……って、いやべつになにもないけどね!?


《あぁーっ、イロハの手がーっ! ……せっかく繋いでたのにー》


《うるさい、バカ》


《じゃあ、イロハ。代わりに……ちゅぅ~っ――むぐっ!?》


《こここ、このヘンタイおーぐ!? ななな、なにしようとしてんの!?》


 俺に覆いかぶさって、顔を近づけてきたあんぐおーぐを全力で枕で殴り飛ばす。

 全力なのに、なった音が『ぽふんっ』なあたりダメージはお察しだが。


 これは手加減したとか、俺の力が貧弱だからとかでは断じてない。

 収録やリハーサルでヘトヘトだったからなだけだ!


《えぇー、いいじゃないかイロハ。だって、もう――すでに一度した・・・・んだし》


《わーっ!? わーっ!? アレはそういうんじゃなかったでしょ!?》


《しかもイロハのほうから》


《だから、ちがうって言ってんだろーがあほー!?》


 枕を振り回し、あんぐおーぐを何度もぽふっ、ぽふっと叩く。

 彼女は「ふははは、全然痛くないぞー」と平然としていた。


 昨日のアレ・・・・・は本当にちがうのだ!

 俺がやろうとしてやったわけじゃなくて、完全に事故で……。


《でもまぁ、明日には全世界へ向けてその様子が配信されるんだけどな!》


《あうあうあうーっ!?》


 俺は頭を抱えてうずくまった。

 どうして、よりによって本番収録中にあんな事故が起きてしまったんだ……!?


《おかげであのあと、みんなにも……ううぅ~っ!?》


「イロハちゃん無事だったぁ~!? 大丈夫ぅ~!? おーぐさんに変なコトされてないぃ~!?」


 と、ウワサをすれば。

 バァン! と大きな音を立ててマイが部屋へと駆け込んでくる。


「あぁ、マイ――って、うわぁあああ!? 服ぅううう! なんで裸ぁ!? 先に服着て、服ぅううう!」


 マイの最近成長著しい胸部が大きくバウンドしてるぅ!?

 俺のと全然ちがっ……じゃなくて! 俺はそれをなるべく直視しないよう、必死で顔を逸らす。


「ふぅ~っ、危ない危ないぃ~。なんとかイロハちゃんがおーぐさんの魔の手にかかる前に、お風呂をあがってこれたみたいだねぇ~。じゃあ、イロハちゃんぅ~。失礼してマイも同じベッドにぃ~」


「魔の手はお前だぁーっ!?」


「ままま、マイサン!? アっ、いマシタ! 速攻でお風呂をあがったと思っタラ、いったいなにをしようとしてるんデスカ!? 早く戻ってくだサイ!」


 言って、部屋にイリェーナまで駆け込んでくる。

 その姿は、よほど急いでマイを止めに来たのかタオルを一枚腰に巻いただけで……。


 しっとりと濡れた銀色の髪に、すこし赤く火照った白い肌。

 なんだかイケナイものを見ている気になる……というか、まさしく見てはイケナイものだった。


「はー、いいお湯だったよー! 気分スッキリ!」


 あー姉ぇがスッポンポンで腰に手を当てながら、風呂あがりの1杯を楽しんでいた。

 悠々と歩いてきたあたり、お前は服着る余裕あっただろうがー!?


「なんであー姉ぇまで裸なのさ!?」


「なんたって――お姉ちゃん、だからね!」


「聞いたわたしがバカだった……!」


 しかし、そんなアホなあー姉ぇだが普段からムダに動き回るせいか、スラっと身体が引き締まっている。

 ついつい、その肢体を目で追ってしまいそうになって……。


 うぅっ、俺……どうしたんだ!?

 アマゾンから帰って来てからなんか変だ!?


 俺が興味のあるのはVTuberだけのはずだ。

 ……いや、実際ほかの人は変わらず今までどおりだ。


 だが、なぜか――彼女たちだけのことは妙に気になってしまうのだ!

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