第397話『因果は巡る』


《――あなたを助けに来ました》


 その言葉をどれほど心待ちにしたことか。

 張りつめていた緊張の糸がプツンと切れ、喉の奥から叫びとも嗚咽とも知れない声が溢れる。


 涙がボロボロとこぼれて止まらなかった。

 女性の兵士が俺を安心させるように、ポンポンとやさしく背中を撫でてくれる。


「わた、し……わたし……ずっと、ずっと。助けっ……」


《……えぇ、……えぇ!》


 日本語がわからないだろうに彼女は俺の言葉にうなずき続けてくれる。

 だれかに聞いてほしいことがたくさんあった。


 ツラいこと、苦しいこと、悲しいことがいっぱいあったのだ。

 その中でも、たったひとりで必死に戦い続けたのだ。


 VTuberを見たかったのにガマンして、いっぱいがんばったのだ。

 でも、もうこれで……いや、ちがう!


「あの!? 《もうひとり女性はいませんでしたか!? そのかたは無事ですか!?》」


《ちょっと待ってね……うん、彼女も無事に保護したそうよ。今は治療を受けているって》


《よ、よかったぁ~》


 彼女は通信機で確認して、俺に教えてくれる。

 シークレットサービスの女性もちゃんと救助されていたのだ。


《あっ、あと村の人たちも! 彼らがわたしを逃がすために戦ってくれたんです!》


《大丈夫、死者はいないそうよ。ケガ人も私たちのほうで手当てさせてもらっているわ》


《あとは、あとはっ……ジャガーもわたしを助けてくれて》


《じゃ、ジャガー!? それは……ちょっと、ごめんなさい。調べてみないとわからないわ》


《そ、そうですか。それからっ……》


《ちょっと落ち着いて!》


《ご、ごめんなさい》


《いえ、怒ったんじゃないのよ。……本当、評判どおりのやさしい子ね》


《……?》


《さっきから、あなたの口から出るのは他人の心配ばかりね。でも、こんなときくらいは自分のことを一番に考えてあげなさいな》


 そんなつもりではなかったのだけれど……。

 ただ、クセになっていたのかもしれない。


 ここでの生活で自分はひとりでは生きていけないと痛感したから。

 だから、これも全部自分のこと。自分の一部の話なのだ。


 それでも……もし甘えてもいいというなら、やはりアレしかない。

 俺は女性兵士に尋ねた。


《あの……今は何月何日ですか? わたしたちはいったい、どれだけ遭難していましたか?》


《今日は2月の――》



「――ギャァーーーー!?」



 それを聞いて俺は悲鳴を上げた。

 周囲の兵士たちが「なにごとか」とざわめくが、俺はそれどころではない。


 2月ってことは、ひのふのみの……か、数えきれないほどの配信を見逃してるじゃないか!?

 わかってはいたが、こうして突きつけられるとショックが大きい。


《あの、スマートフォンの充電器ありませんか!? 今すぐに必要で!?》


《わかったわ、手配しましょう。家族に連絡を取りたいわよね》


《え?》


《……ちがうの?》


《あっ、いや!? ももも、もちろんそうですよ!?》


 VTuberを目の前にして、みんなのことを忘れていたわけではない。

 ないったら、ない。


 ただね、その……ほら、わかるでしょ?

 仕方がないんだ、これは本能だから!


《あっ、そういえば》


 充電器が届くのを待っている間に、俺は彼女に質問した。

 さっき襲撃者のひとりが言っていたことが、すこし引っかかったのだ。


《あの、彼らは最初わたしを殺すつもりだったけど、捕まえることにしたって……「状況が変わった」って言っていたんですけれど、わたしが遭難している間になにかあったんですか?》


《そっか。本人はまだ知らないのよね》


《えっと?》


《今、世間じゃ……》



〖――キサマのせいだぁあああッ!〗



 そのとき、叫び声が聞こえた。

 襲撃者のひとりが騒ぎ出していた。


 その男と目が合った。

 キュウっと視界狭まるのを感じた。


「……っ」


 俺は彼のことを知っていた。

 人の顔なんてほとんど覚えられないが、こいつだけは一目見ればすぐにわかった。


 前世で俺を撃ち殺し、あんぐおーぐを攫おうとした人物だ。

 この男も襲撃に参加していたのか。


《大丈夫よ》


 呼び起こされた恐怖が顔に出ていたのか、そう言って女性兵士が壁になってくれる。

 俺は思った――こういうのを因果と呼ぶのかもしれないな、と。


〖あのときだ……あのとき、キサマにジャマされてからすべてにケチが付きはじめた! キサマだけは必ず排除する! 祖国の敵ぃいいい!〗


〖なっ!? お前、なにを――!?〗


 その男の手にはいつの間にか拳銃が握られていた。

 銃口はまっすぐに俺へと向いていた。


 アメリカの兵士たちは即座に彼を射殺しようとして……。



 ――パァン!



 それよりも一拍早く、銃声が鳴り響いた。

 血がポタリポタリと零れ落ち……バタリ、と地面に倒れた。


 俺ではなく――前世の俺を殺した、その男が。


 あたりはシンと静まり返っていた。

 地面に伏した彼を見下ろしていたのは……撃ったのは、同じく襲撃者のひとりだった。


〖……これが私なりのケジメだ〗


 そうか、さっきの男がいるということは当然……もうひとりがいたっておかしくないよな。

 彼もまた、前世の俺を殺した現場にいた男だった。


〖もっと早く、こうするべきだった。キミには何度も怖い思いをさせて、申し訳なかった〗


 アメリカの兵士たちが動き、仲間を撃った彼を地面に押さえつける。

 彼は抵抗することなく銃を手放していた。


〖どうしてこうなっちまったんだろうな。私はただ祖国を――みんなを、救いたかっただけなのに〗


 彼はそう悲し気に笑っていた。

 これで、本当に全部終わり……。


《なっ!? コイツ、まだ生きて……!?》


 撃ち殺されたと思っていた男は、もうひとつなにかを握っていた。

 それは拳銃ではなく、なにかのスイッチのようで……だれかが叫んだ。


《退避ィーーーーっ!?》



〖――祖国、万歳〗



《イロハ!》


 とっさに女性兵士が俺を抱きしめたのと同時――その男が爆発した。

 轟音とともに熱と空気が激しく身体中を叩き、強烈な光が網膜を焼いた。


 あまりのまぶしさに視界が一瞬きかなくなっていた。

 耳がキィンとして、うまく音も拾えない。


《……イ……ハ……! ……イロハ! イロハ!》


 女性兵士は青ざめた顔で俺に声をかけていた。

 彼女の額や腕から血が流れていた。


 俺を庇ってそうなったのだろう。

 「大丈夫ですか!?」と声をかけようとして……。


《イロハ、動かないで!》


 ちがった。

 女性兵士が青ざめていたのは、己の傷の痛みにではなかった。


 彼女の視線は俺に向いていた。

 正確には、俺の腹部を見ていた。


《……ぁ》


 自分の身体を見下ろし、遅れて気づく。

 そこに金属片のようなものが突き刺さっていた。


 痛みはなかった。

 ただ、全身から力が抜けて立っていられなくなった。


《イロハ! イロハ! 寝ちゃダメ! 意識をしっかり! 手当てを早く!》


 そのまま、俺の意識はブラックアウトした――。

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